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  • 日々は無為に過ぎていかない

    この投稿は2019/10/5に世田谷がやがや館で開催されたニャーナラトー師の瞑想会で配布された御施本の内容を転載しています。

  • 自由に生きる ―タイ仏経僧として― プラユキ・ナラテボー

    2018/10/19第一九回日蓮宗教化研究所発表大会で行われたプラユキ・ナラテボー師(タイ仏教僧侶)「自由に生きる―タイ仏教僧として―」の特別発表が日蓮宗現代教化研究所から刊行されている「教化学研究10」に掲載されます。 そこから抜粋された小冊子『教化研究所10 抜刷 ■特別発表 自由に生きる ―タイ仏教僧として― プラユキ・ナラテボー』を転載します。 https://genshu.nichiren.or.jp/publications/ 日蓮宗現代教化研究所のサイトでは現在(2019/11/24)「教化学研究10」のpdfが刊行されていないのでサイトで読めるようになるか、もしくは何かトラブルがあったらすぐ引っ込めるかもしれません。

  • 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー有楽町編

    2019/10/17〜10/30丸井有楽町店8階イベントスペースで漫画家新井英樹氏と入江喜和氏夫妻の画業30周年共同原画展が開催されました。 開催記念として10/20に行われたトークショーの様子を書き起こしします。 イベントの様子は録画録音撮影可能で、これを受けて録音したものを書き起こししましたが、何かトラブルがあったらすぐ引っ込めるかもしれません。

  • 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー錦糸町編

    2019/10/2〜10/15丸井錦糸町店6階イベントスペースで漫画家新井英樹氏と入江喜和氏夫妻の画業30周年共同原画展が開催されました。 開催記念として10/6に行われたトークショーの様子を書き起こしします。 イベントの様子は録画録音撮影可能で、これを受けて録音したものを書き起こししましたが、何かトラブルがあったらすぐ引っ込めるかもしれません。

最近の記事

11 自由に生きる―タイ仏教僧として―

 法華経といえば、私、観音様が大好きなのです。著書の中でも公言しています。法華経では、観世音菩薩普門品で 観音様が登場してきますよね。観音様は自由に三十三変化して、様々な状況にある衆生たちを、百万億の方便でもって救っていかれるということですよね。その姿こそが、私自身の修行者としての理想像でございます。自我などといったものに一切こだわらず、真に自由にあるからこそ、そうした素晴らしいパフォーマンスを生きることが可能になるのではないかと思います。そんな意味では、観音様とは、拝む対象

    • 10 自由に生きる―タイ仏教僧として―

       先ほど、自由になるにしたがって「世界から受ける影響力がだんだん減ってくる」という旨のことを述べましたが、 それは、私たちの発する言葉にも如実に表れてきます。  まず、「何々のせいで、こうなっちゃった」というのは、まだ世界の下僕の段階に留まっている人の言い回しです。 「凡夫話法」と言ってもいいかもしれません。  次に、「何々だけど、こうなれた」と語る人は、世界からの影響にただ翻弄されたり、溺れたりする段階を脱し、 真の意味で自立をし始め、心の自由度を増してきています。いわ

      • 9 自由に生きる―タイ仏教僧として―

         ところで最近、こうした心の良き変化を求めて瞑想やマインドフルネスを実践する人たちがどんどん増えてきていますが、効果を実感する人がいる一方で、逆に、心の調子を崩したり、それまで以上に生きづらくなってしまうというケースも増えてきています。瞑想というのは、デリケートな心に直接に働きかける技術でもありますので、ポイントが少しずれるだけで、「副作用」のような症状が起こってくるのも事実です。私自身、通常の悩み相談の他、そう した人たちの相談を受ける機会も実際にすごく増えてきています。ち

        • 8 自由に生きる―タイ仏教僧として―

           このあたりの機序をもう少し詳しく説明しておきたいと思います。  例えば、「怒りは悪」という見解にとらわれていると、自分自身の心にフッと湧いてくる怒りに対しても、また、 目の前に怒っている人が現れてきても、咄嗟に否定してしまうことになります。それで、自己嫌悪に陥ったり、相手を憎んだり、喧嘩になったりします。  ところが、怒りがフッと湧いてきた際に、それを瞑想的、あるいはマインドフルネス的視点で、あるがままに観察し、さらには怒りの奥にある「相手にこうなってほしい」という願望

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        • 日々は無為に過ぎていかない
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        • 自由に生きる ―タイ仏経僧として― プラユキ・ナラテボー
          11本
        • 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー有楽町編
          7本
        • 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー錦糸町編
          8本

        記事

          7 自由に生きる―タイ仏教僧として―

           スカトー寺にも、噂を聞きつけて日本人がやってくるようになりました。最初はスタディ・ツアーの大学生を受け入れていたのですが、だんだんと口コミで広がり、様々な年代の悩める人たち、あるいは、うつや統合失調症など心の病を抱えた日本人もやってくるようになりました。彼ら、彼女らは、お寺という安心できる居場所を得て、瞑想したりして過ごすうちに、日本では二進も三進も行かなかった症状がてきめんによくなっていきました。私自身も瞑想指導やカウンセリングをしながら、そうした彼ら、彼女らの大きな変化

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          6 自由に生きる―タイ仏教僧として―

           そうそう、日蓮宗では「法華経」をはじめとした三部経典を所依の経典としていますよね。その一つである観普賢菩薩行法経の一節に、「衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す」という言葉がありますよね。全ての罪業や苦しみといったものも、霜や露のようなものである。智慧の光に照らされたときに、それは全て滅し尽くされていくよと、そういった意味合いだと思うのですが、そうした現象は、確かに起こり得るのだと。それを実体験を通じて確信できたのが私にとって出家したことの何よりもの収穫でした。  ところで巷

          6 自由に生きる―タイ仏教僧として―

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           話は戻りますが、スタディ・ツアーの後、タイとのご縁ができまして、大学卒業後、タイの大学院に留学する機会を得ました。そこでは、タイの農村開発問題を研究しました。日本でも近代化の過程で公害の問題などが起こりましたが、タイでも同様、都市のスラム問題や農村の疲弊、貧富の格差が広がるなど、近代化の過程で様々な問題が生じてきていました。  そうした問題を解決しようと、タイでは「開発僧」と呼ばれる僧侶たちの一群が現れ、仏教精神を基盤として、貧困解消をはじめ、様々な社会問題解決のための活

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           ここからは私の来し方を振り返ってみたりしながら、本日の講演テーマ、「自由に生きる」についてお話してまいりたいと思います。  私自身、大学時代に社会問題に関心を持ち、国内の様々なボランティア活動や発展途上国支援のNGO活動に携わ ってまいりました。特にアジアの貧困問題に深く関心を抱き、フィリピンやタイなど発展途上国支援の活動に取り組んできました。そのうちに現地を自分の目で見たいという気持ちが起こってきて、現地を訪れるスタディ・ツアーに 参加することになりました。  当時は、

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           これは、部屋の中で勉強している様子ですね。最近になってやっと通信環境も整ってきて、携帯の電波をテザリングして、ネットにつなぐことが可能です。  こちらは、村人に瞑想を教えているシーンです。蓮池の上に小屋が建っていて、そこで心地よい風に吹かれながら 瞑想しています。  これは、村人のお家に行って、悩みごとの相談に乗っているシーンですね。悩み相談もお坊さんの大事なお役目の ひとつです。  これは、ヘビ。お寺の森の中には、コブラなどの毒蛇やサソリもいますので、誤って踏んで噛ま

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           そして次は、村のシーンですね。村にオートバイや軽トラでやってくる行商の人がいて、いわば村のスーパーマ ケット役を果たしてくれています。 そしてこれは、村娘たちが井戸水を汲んでいる様子です。飲み水は、大きな甕にため、それを飲料用とします。一 方、井戸で汲まれた水は、生活用水として、洗濯、食器洗い、水浴び等に使います。  こちらは托鉢シーンですね。大体五時過ぎ、朝、陽が上がる少し前の曙の頃に出発します。そして約五キロ離れた 近隣の村まで歩いていきます。僧侶は裸足で歩くの

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          1 自由に生きる―タイ仏教僧として―

          日蓮宗現代教化研究所「教化学研究10 抜刷」、「教化学研究10」2019.3 より転載  特別発表 自由に生きる ―タイ仏教僧として― プラユキ・ナラテボー 司会:本日の特別発表としまして、『自由に生きる タイ仏教僧として』と題しまして、タイ国スカトー寺副住職、 プラユキ・ナラテボー先生に特別発表をお願いしたいと存じます。先生、どうぞよろしくお願いいたします。 ナラテボー:はい。皆さま、よろしくお願いいたします。本日はこちらの発表大会にお招きいただきまして、どうも あり

          1 自由に生きる―タイ仏教僧として―

          『日々は無為に過ぎていかない』著者について

          『日々は無為に過ぎていかない』著者について ポー・オー・パユットー師は1938年1月12日タイ国のスパンブリ県に生まれました。ポー・オー・パユットーというのは、姓名のプラット・アーラヤーングーンをタイ式にイニシャルとして縮めたものです。1951年、沙弥として出家しました。まだ20歳に満たないうちに、たいへんな難関とされるパーリ語の最高位の試験に沙弥として合格しています。その後まもなく、タイ王国の後援のもと、ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)で、比丘としての具足戒を受け得度し

          『日々は無為に過ぎていかない』著者について

          日々は無為に過ぎていかない

          日々は無為に過ぎていかない ソムデット・プラ・ブッダゴーサーチャーン (ポー・オー・パユットー) ニャーナラトー比丘 訳 Amoghaṃ divasaṃ kayirȧ appena bahukena vā 一日一日を無為に経過させてはならない。 多くてもわずかでも、何かを得るように。 Ratyo Amoghā Gacchanti (ラタヨー アモーガー ガッチャンティ) 日々は無為に過ぎていかない 新年の日を、 よろこびの365日へと続いていく日に。 新年は、晴れやかで

          日々は無為に過ぎていかない

          新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展サイン会 有楽町編

          2019/10/17〜10/30丸井有楽町店8階イベントスペースで漫画家新井英樹氏と入江喜和氏夫妻の画業30周年共同原画展が開催されました。 開催記念として10/27に行われたサイン会の様子を自分が覚えてる範囲で報告します。 イベントの様子は録画録音撮影可能で、これを受けて記憶の範囲で報告しますが、なにぶんうろ覚えなので何かトラブルがあったらすぐ引っ込めるかもしれません。 【10月27日(日)サイン会開催における整理券について】 -10月23日(水)更新- 10月27日

          新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展サイン会 有楽町編

          7 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー 有楽町編(終)

          司会:新井さんは? 新井:描く場がある限りは、描きたいことが分からないっていう事は一応今まで30年間無かったので、人に会ってたり外見てたり何かしたらアレも描きたいコレも描きたいってなっちゃうんで。 せっかく昨日一昨日の今日なんであの…公益性の問題 が今…あの映画『宮本から君へ』で言われてるんですけど、まあ、何だろうゴタゴタして3ヶ月持たなかったTwitter で、俺結構ヒントを並べたんで裏の事情は全部聞いて知っていて。愛知トリエンナーレ よりも先に起きたことで、明らか

          7 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー 有楽町編(終)

          6 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー 有楽町編

          司会:『宮本から君へ』のコンビニ版を出す時に、表紙の絵を欲しいってもらいに行く時とかスゲー怖かったんですけど。やっと一枚出てきてヤッターと思ったら、写真…当時で言うとまだ資料写真を撮ってプリントして保管してた時だったんで、それを探すのが非常に嫌でしたね。 新井:もう、地獄でしたね。『ザ・ワールド・イズ・マイン』が終わった時に写真がすごい枚数あって。一番地獄だったのが3.11の地震があった時に、もう、アホみたいに揺れて家の中。家の中食器から電子レンジから何から吹っ飛ぶぐら

          6 新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展トークショー 有楽町編