見出し画像

祖母と私の備忘録

ときどき友人のような家族の形がある。昼間のバラエティ番組でまるで親友のように振る舞う親子もよく見かけるものだ。

私の場合のそういった存在は祖母だった。祖母は私にあらゆる形の愛情をくれた。祖母と孫の関係はもちろん、母として、そして友人としてありったけの愛情を注いでくれた。母の代わりに私をお風呂に入れてくれたのも幼稚園に迎えにきてくれたのもいつも祖母だった。「おばあちゃんの親友はゆりちゃんだよ~!」といつも祖母は言っていた。

そんな私にとってあらゆる存在であった祖母が亡くなったのは今年がはじまって2週間ほど経ったころだった。昨年末は私と夫の間であらゆるイベントがありばたつき疲弊し、正月の帰省は一旦見送ることにしていた。代わりに成人の日のある連休に帰ることにしていたが、私の地元は大雪警報が発令していたためまたしても帰省を見送った。更に2週間後に帰ることになっていた。その成人の日から数日後に祖母が亡くなったと母から連絡を受けた。

祖母と私はツーカーの仲というか、いつも一緒にいた。そんな私が祖母の元から離れるきっかけとなったのは私の就職だった。当時の私は、この片田舎の狭いコミュニティから抜け出して都会のあらゆる刺激を受けたいと感じていた。しかしいざ上京が決まると祖母との別れは純粋にさみしかった。そんな祖母に私は「2年で地元に帰ってくるよ」と言った。多分当時は本当にそう思っていた。嘘ではなかったはずだった。しかし、私には都会での生活が身についてきた。段々と地元にいたときの私とは別の私が存在するようになった。そして私はその生活を手放せなくなり地元に帰ることはなかった。しかし、祖母は私がときどき帰省すると「ゆりちゃんが帰ってくるって言ってたの嬉しかったよ~!待ってるからね~!」といつも言っていた。私は祖母を裏切り続けていることに罪悪感をずっと感じていたし、今でも果たせない約束をした自分を許せないでいる。

上京して2年以上経ち、「これはもう祖母との約束は果たせないかもしれない」と思い始めた頃、私は罪滅ぼしの意識から毎月帰省することとした。毎月毎月実家に帰省する私に、当時の職場の人たちはいぶかしげな顔をしていた。しかしそれでも祖母に会い、祖母に大好きだと伝え抱きしめることで、私の愛情を少しでも伝えることができたのではないかと思っている。もしかしたらただの私の自己満足かもしれない。けれども、普段から愛をストレートに伝えることのない日本という国で、言葉にして愛を伝えることには価値があったように思う。

そんな日々が数年続いたが、コロナ禍や私の結婚など環境やライフステージが変わっていったこともあり、徐々に帰省の回数は少なくなっていた。それに併せるように祖母の認知症が進行していった。きっと歳のせい。周囲の誰しもがそう思っていたが、私はどこかで自分が祖母に会いに行く回数が減ったからではないかと思っていた。祖母の介護に母が疲弊していく姿を目にすると私はとても辛かった。祖母にも母にも申し訳ない気持ちになった。そんな母に祖母を施設に入れることを後押ししたのは紛れもなく私だった。それも祖母への裏切りなような気がして仕方がなかった。私は祖母に愛情を注いだ一方で裏切り続けてきたのではないか。祖母のために私は何をしてきたのだろう。

そして祖母は施設で亡くなった。長年過ごした場所ではなく施設で亡くなったのだ。本当に直前まで元気で、寝ている間に息を引き取った。やはりここでも私は祖母を裏切ってしまったのではないか。葬儀を終えた今でも実感が沸かない。母から連絡を受けすぐに帰省し葬儀場の安置室へ向い見た祖母は、たしかに私の目には生きているように見えた。胸が浅く上下しているように見えた。頬がわずかに動いているように見えた。しかし触れると冷たいのがなんとも不思議だった。

私は祖母から目一杯受けた愛情をきちんと還元できていたのだろうか。そういえば私がリモートの仕事に就きたかった理由も祖母に何かあったときに一緒にいられるようにというのが最大の理由だった。そうしたらもう私がリモートで働く理由もなくなってしまうのかもしれない。結局大事なときに側にいられなかった私は祖母に何を恩返しできたのだろう。祖母の祭壇に毎朝拝み、遺影と目が合う度に大好き、とごめんね、を繰り替えいしている。








いいなと思ったら応援しよう!