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師匠の言葉、もう聞けない悲しさ

コロナが流行るよりずっと前に開かれたある会議の後、ご一緒した方が私に声をかけてくださいました。テーブルが離れていたので言葉を交わすことができないまま会合が終わった後のことでした

遠慮なく激論を交わすことに終始した私に「くせ球が投げられないで苦労しているだろう」と労うように肩をポンポンとしました

「〝くせ球が投げられない〟のは正解ですが〝苦労している〟はちょっと違うんです」と生意気に私は答え「苦労しているというよりチャレンジしています」と加えました

その方は大笑いして、そして「変化球投げないでどこまで通用するか楽しみだなぁ」と目を細め、さらに「ストレートに磨きをかけるために怠りなく目と耳、体を使って学び続けなさいな。ケガをしてストレートが投げられなくならないように自分のケアも怠るなよ」と忠告してくださいました

久しぶりにお会いしたので次々と話題は移り会話はしばらく続きました。そして別れ際に「ストレートを投げるタイミングが大事だからな」とポツリと言い残して去られました

その言葉が頭に浮かんだのが7月10日、藤井裕久元大蔵大臣死去の知らせに接した時でした。涙で杯を捧げ、我が師の言葉、生涯忘れずにいたいと心に刻みました。


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