ファッションと本の話。 〜ソーシャルディスタンス 人と人、人と物との距離の考察〜
新型コロナウィルスの影響で、すっかり外出ができなくなった。
仕事もリモートワークになり、外出制限されているとストレスが溜まる人々がいるらしい。
しかし、自分は想像以上に快適だ(仕事以外では)。元々もの(「物」のことであるが何だか味気なく思えるのであえて平仮名で書く。)が多いと自分でも思うのだけれど、それが功を奏しているようだ。
20歳くらいから「もの貯金」と命名して、その価値があると思う大好きなものを集めてきた。主に服と本であるが、本当に好きなものばかり。
リビングにはお気に入りの本をたくさん詰めた本棚があって、それを眺めながら過ごせることに毎日幸せを感じている。そんな本たちを、思い立った時にパラパラと開いてみる。すると一度読んだ本でも新たな発見が生まれたり、忘れていた大切な言葉たちが活き活きと自分の頭の中に蘇ったりする。
服に関しては「外出できないと着られないし、意味がない。」と言う人も多いが、自分はそれと少し違う考え方で、大好きな服たちは、美しさやフォルム、デザインした人や作った人の葛藤が見える「作品」として近くに存在していることだけで嬉しいのだ。
そんな服に風を通し、ブラシをかけ、洗濯をして、と、ここぞとばかりにメンテナスをする。
すると、出会った時のことや店員さんのお話、その時の世の中や自分の状況など買った時のこと、着て行った場所のことなどが、ふと思い起こされる。
自分のからだと一番近い場所でその時その場所で、経験を共にしてきた相棒たちにまた愛着が湧く。(そして、たまにオンラインの向こう側の相手に喜んでもらおうと着てみたりする。)
また、部屋には好きなポスターを飾り、絵や写真を眺め、好きな音楽をかければ小さな小さな我が城の完成である。
一方で、このタイミングで断捨離を実践している人も多いようだ。しかし、最近見たネット情報でうろ覚えではあるが、あるモデルさんが「こんまりの影響で断捨離したけど、すごく後悔している。」との話があった。
こんまりさんは、捨て方はとても丁寧に説明してくれるが、捨ててしまった後の責任までは取ってくれないことを我々は肝に命じなければならない。
一時期もてはやされたミニマリストと呼ばれる人たちは、今でも何もない部屋の中で、毎日同じ服を着てほとんどの時間をPCやスマホと向き合って生活しているのだろうか。自分にはとても想像できないが、それはそれですごいことだとは思う。
しかし、直接会えないという理由からオンライン飲み会などが流行している現状で「落ち着いたら会おうね。」なんて言葉を多くの人が交わしていることを考えると「会って話したい。」ということが本音だろう。
それと同様に、人とものを同じ定規で見てみれば、やはりKindleでなくて本、SpotifyでなくCD(さらに言えばLIVE)など、デジタルやバーチャルでなく出来る限りものに触れ、実物と対面して体感することが一番だと思うのだ。
ということを「ものが多いから片付けてほしい」と日々言い続けている妻に言い訳として伝えてみればよいのだろうか(いや、そういう問題じゃないとうんざりされるだけか)?!
ともあれ、決して贅沢ができたり余裕があったりするわけではないが、こんな状況でも充実した生活を送ることのできていると感じる自分としては、自身が健康であること、そして同じく大切な人たちが健康でいてくれること祈るばかりである。
(2020年4月 執筆)