極上のコーヒーと、生涯ひとりの親友。--成長小説・秋の月、風の夜(2)
☆
持ってきてもらった湯呑みに、コーヒーを注ぐ。
「斎藤さん、湯呑みに手盆ですいません」高橋はひとつを、斎藤課長のデスクに持っていった。
「お……いただきます」
おとなしい性格の斎藤が、湯呑みを持ちあげ香りを楽しむ。「ああ、いい香りだ」
ひとくち含む。小指だけでなく、薬指まで立っている。
「……ああー、なんてすんなりした味だ。むしろコーヒーっていうより、新鮮な別の飲みものみたいな感じだね」
「コーヒーはほんとは、焦がしたフルーツです。空輸の生豆を、日本に入れてから手でよりわけて、三十分前に焙煎したばかりだと、こういう味です」
「でもそればかりじゃないわー」満代が、自分の淹れたコーヒーと湯呑みを飲みくらべて話す。机にもたれかかり、サンダルをぶらぶら。
「なんか私、照ちゃんの豆だいなしにした感じ」
高橋はその言葉に反応せずスルーしたが、内心で、
(そういう気づきが出るとこまで来たか、満代)と、ひとりごちた。
「自動でぽこぽこお湯が落ちちゃうとき、蒸らし時間がとられないからさ、こういういい豆のときだけ、ひと手間、蒸らし湯をかけまわしてみると、さらに違うかもしれない。むりにやかん使わないで、このポットでいいから」
「わかった」
「満代、彼氏できたの? 例のあの人、どうなった」
「まだー。アタック中―」
「コーヒー好きな人?」
「飲むよー」
「じゃあこの豆もってって、二人で話すときいれてみなよ。おちるぜ」
「ほんとー? うれしー。照ちゃんてほんと、タラシだよね」
「満代には負けるよー」
あははー、と満代を笑わせながら、高橋はもうひとつの湯呑みを、校正作業から目をあげない嶺生(ねおい)四郎のデスクに持っていった。「飲む?」
「うん」
デスク横に湯呑みをおく高橋。校正の手をとめて湯呑みを取る四郎。白皙(はくせき)、色の白い細面細身。端正がYシャツを着たような、高卒新人半年弱。高橋照美にとって、生涯ただ一人の親友だ。
「仲いいよね二人。できてんのってくらい。絵になるわー」
満代のつぶやきに、高橋は笑い、四郎はリアクションを思いつけず、切れ長の目を伏せた。
☆
校正の手をとめた四郎を斎藤のデスク横にさそい、高橋は満代の入れたコーヒーを、四郎と斎藤は湯呑みのコーヒーを飲む。
「数字どうでした」高橋が斎藤に声をかけた。
峰スロット……
ベストセラー作家の有馬青峰。挿画の高橋照美・日本画の号は雅峰。高卒新人でいきなり担当編集につけられた校正専任の嶺生(ねおい)四郎・千八百年代ごろまでの苗字は峰。
この三人がそろった五月号で、有馬先生の連載「藤吾シリーズ」最新作に火がついた。原稿の描写と見せどころががらっと変わって、挿画も変わったのだ。
しばらくたって読者の反響に火がついた。五-六月号はさほど部数は変わらず、七月号から数字がグワッと動いた。
対前月120%、180%……と、雑誌の売切りを受けて部数は伸びていく。単行本の売行きも伸びていく。映像化コンテンツの配信実績も伸びていく。
作家と担当三人ともに峰の字がついていることから、それはまるで、スロットが揃ってフィーバーが始まったようだった。
そして、
「前月比144.6%」
「っしゃあ」高橋がハイタッチの構えをする。四郎は湯呑みを持ったまま、その手を見ていた。リアクションがわからない。……いや、小学校や中学校の球技大会の時などの、あれだ……
「嬉しい時のハイタッチはですねえ四郎、みててこんなん。斎藤さん」高橋は斎藤課長にハイタッチのかまえをして、斎藤がパン、と高橋に手のひらをあわせる。どこかダサい。
高橋はもういちど四郎に構えてみせ、四郎は半端に手のひらをあわせてひっこめた。高橋は微笑した。依然としてまだ、人間の体にさわるのは、理由はわからないがイヤそうだ。
「事業部長がなんとね、昨日。じかに社長報告をしにいってね。私も詳細説明のために呼ばれたんだけど、結局事業部長がしゃべりまくって終わったんだけど」
斎藤は、ゆるやかに寄せては返す波のような語り方をする。
出版社の課長として生きられて、よかったよね、文人。というひとだ。
要領を得ないこの語り方が、四郎はなんとも、好きらしい。
「社長がぽつりと “峰スロット” ってつぶやいてね。事業部長がすっかり感激して、何度も何度もつぶやいてたよ。社長はほんとに、抜群の言語センスしてるよね」
「んーーそれ譲(じょう)さんと飲んだとき僕が言ったやつ。社長のセンスじゃない……もとい。言っちゃう僕がおとなげない」
高橋はひとりで展開し完結した。こういうとき、四郎みたいに黙って目をふせて笑う ”おとなげ” は、性格上ムリなのか。
(承認欲求出しすぎだろ)と我ながら思う。
「なあ、お前の手柄だよ」高橋は四郎に、やさしげなまなざしを送った。「連続記録更新だ。譲さんが四郎に、社長賞くれたらいいなあ」
「ああ、もっともだ。事業部長通して、社長にかけあってみる」斎藤が言うと、四郎は「いや、課にもらえれば」と答えた。そして高橋につぶやいた。「俺、目立ちたない、相当いやや」
高橋がたずねる。「どのぐらい嫌?」
「校正もれ三ヶ所以上ぐらい嫌」
「わかった、最悪レベルなわけだな」高橋はつぶやいた。
どうしてだか四郎は、一読で誤字脱字発見率100%をあたりまえに出す。それで校正手順をきれいに守る。その仕事をする四郎にとっての「校正もれ三ヶ所以上」は、高橋にとっての「納品めどたたず」とおなじく、最悪だ。
引っ込み思案の「目立ちたくない」とは、「自分が安全と感じるスタイルでの目立ち方ではない場合はとても嫌」みたいな感覚をいう。
「目に止めてほしい人に、自分がほめてほしい形で、目に止めてもらいたい」というねがいは、承認欲求つまり哺乳動物の本能として、人間ならばだれでも持っている。
けれど、自分が親から引きついだ禁止ルールを犯す形で目立つことは、集団からの攻撃や排除を恐れたりする。なので、「その目立ち方はしたくない」という感覚につながるのだ。
「じゃあ表彰は部課単位で、一時金か昇給を交渉してみる。それでいいか?」斎藤もおとなしい性格なので、四郎の嫌がり具合は、ずいぶんとわかってやれる。
四郎は斎藤課長に「ありがとうございます」と返事をした。
「じゃ、大津詣で御前会議、十分後に出られるか四郎」
「まっとって、仕事たたむ」
四郎は、ホワイトボードの自分の欄に <出張> のマグネットを貼り、有馬先生の名と帰社明後日の十四時を記入した。たっぷりと時間をとっての出張だ。
「いい字だよなあ」高橋がつぶやく。「動画に筆文字入れさせようかな」
「楷書のこなれ方と、端正さがある分、書家を頼むよりいいかもしれないね」斎藤もつぶやく。「有馬チャンネルの低予算ぶりは、いつかこぼれ話にしたいね」
「僕らの手作りですからね」高橋は、最初期のハンディカムでのテイク17を思い返していた。
次の段:僕の親友は高卒新人で、業務オーバーフローしている。--秋の月、風の夜(3)へ
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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!