宮垣節がのびやかに読者に届くように。 ーー成長小説・秋の月、風の夜(85)
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まずは四十分後、ついで一時間半後に二度、高橋と二人で用意したペーパーを鹿野課長に持っていった。土田は外出中。この時から、土田との認識合わせに決定的なずれが生じた。
一時間半後には、組み立ての改案と留意点がペーパーになっていた。
社長の樫村が、宮垣に土下座までした本。
そのゆくすえに緊張していた課長と事業部長は安堵して、土田に説明しておくようにと四郎に指示した。四郎はこの時、役職者の課長に土田への説明をお願いするというトラブル回避方法を逸した。
……そして、差し出た話だがと断って、四郎が外出から戻った土田に話を持っていったとたん、間柄がさらにぎくしゃくしはじめた。
話をすればするほど、散々な反応になっていった。挙句に吐かれた暴言だった。
課長の隣の臨時席に帰ってきて、改案をふまえて再び作業に没頭する。
章立てと本文のよじれの直し。宮垣らしいしくみ解説のうまさと魅力がきわだつように、説明順や語句の乱れ訂正。誤字脱字修正。読点の追加削除、句点までを短く。ところどころの図版のひっくり返り修正。補助キーワードの加筆……。
四郎は徹底的に、ごっそりと手を入れた。
そうしてさいごに、宮垣が、関節ひとつ腱ひとつをずらして、人体の徹底破壊に関してとぼけている箇所を直して補足した。
「うまく言えないが、ぶっこわすのはこの近くだ! あとは自分で探し出せ」というようなほのめかしが、大手刊行本ではわけのわからない記述にぼやけていた部分だ。
あからさまに書いたら暴力行為の手引きとなってしまう。けれども、護身術の習得や相手との真摯な稽古に励む生徒には、気づける記述にしてやる。
相手に対する足の位置からまっすぐ上げた二軸と体の中心線を確認しさえすれば、容易に「ずれがある」とわかるように。
「じつは人治しと人壊しの観点では、むしろこの結節点を感覚しろ。手技や打撃において、この波が奥へ及ぶ感じを手に入れろ」と、宮垣がつかんで実践でも伝えていながら、書籍には言語化されていなかった感じについて、文を加えた。
それによって読者が治療と武芸の広がりにたどりつくように、宮垣の解説とは順序を逆の流れにした説明をも置き加えた。
大きすぎる四・五章の直しが、筆者との合意形成のキモになる。一~三章を飛ばして四・五章のみ至急の作業を入れる。でき次第、宮垣に訪問説明をする。鹿野課長は四郎にそういう指示をくれた。
あまりに仕事がたのしく、進度も快調だった。校正の助っ人は不要だった。
四・五章の作業のみ終えたところで、例の職人技の「紙ツギ」は、百七十五箇所にのぼった。
完了させた作業を前に、四郎自身も、もし自分が土田だったら、憤怒のあまり辞表をたたきつけかねんな……と、思ったものだ。
自分なりに誇りをもって一生懸命やっている仕事を、ここまで完全否定されたらたまらないだろう。しかも三年前の復活戦だけにプレッシャーの高い取り組みに対して、わずか一時間半の点検を皮切りにやられては。
あの程度の憎まれ口ですませてくれたのは、ありがたいぐらいだ。
それでも土田の理解を得られないのは、高橋以外の友達もおらず、口頭での話の練習も進まず……という、自分の能力の低さとしか思えない四郎だった。
父にも同じ叱られ方、どなられ方をしていたから。
☆
「あがろう」
十七時ちょうどに、高橋が四郎を呼びに来た。
「あ、俺もう少し……」
「明日にしな。作業の見積精度が乱れるから。今、がんばってしまって見積の精度を下げたら、後日のデコミット(約束やぶり)のもとになる」
「そっか」
「次から十六時半に作業終了、行動記録、明日の準備な。今すぐ二分で行動記録取って。
ケツが伸びる仕事のクセつけたら、挽回がきかない。客先に、そういう中高年がとても多い。苦しんでるよ」
高橋は四郎にそう言って、横の鹿野に挨拶をした。
「鹿野課長、はじめまして。有馬先生の挿画担当の、高橋雅峰です」名刺を取り出す。
宮垣のところから戻ってきたばかりの鹿野は、さっと立ち上がった。
「鹿野です。嶺生(ねおい)くんの貸し出しを、社長に直談判してくださったと、事業部長から聞いています。助かりました、ありがとうございました」名刺を取り出し、高橋と交換した。
四郎はぽけーっと、オトナな名刺交換を見ていた。「うわー、名刺てってそういう動作で渡すんかー」
「あれ、四郎もしかして習ってない?」
「……うん」
「こんどどっか客先同行作って、そんとき、身につくように練習しよう」高橋はスマホを出して、自分宛のリマインダを入れた。高卒で入社直後の四郎は、有馬先生の前任編集の塚本からとことん何も習わずに放り出されたらしい。
「みごとな人体図、解剖図とインデックス、社内作業用割りつけ図を、嶺生くんと二人で作ってくださったようで」鹿野は高橋に話しかけた。
「差し出たことでしたが、四郎が気づいたことを図解できてよかったです。期間的にお困りだろうと思いまして手伝わせて頂きました。急ごしらえでしたが、お役に立ちましたか」
「宮垣先生から “なんでもっと早く持ってこない、こういうのがほしいんだとずっと言ってたろうが” と、お叱りを頂戴しました。危機を脱しました、本当に助かりました」
合格した。高橋と四郎は顔を見合わせてわらった。
☆
「外注先のイラスト会社との契約があるかと思いますが、仕上げはどうされます」高橋はたたみかけた。
「事業部長に相談して、雅峰先生に図版をお願いしたい旨、稟議を上げます。ご迷惑でなければ、謝金のお見積額を頂戴できますか」
「わかりました。図については図鑑のイラストと同様の単価表があるので、お送りします。課長宛でいいですか」
「お願いします」
タブレットを書類カバンから出し、その手で高橋は単価表を探し出して、鹿野のメールアドレス宛に添付で飛ばした。
(仕事はやっ)
斎藤からさんざん聞かされた話は、誇張ではなかった。
月刊読物二課の躍進は、「峰スロット」と呼ばれている。
有馬青峰、高橋雅峰、嶺生四郎(千八百年代までの姓が峰)という「峰スロット」。なんとその三人のうち二人が、鹿野の課の火消しに来ているのだ。
これまで、社長が土下座までして宮垣にもらったチャンスを生かせず苦戦していた。
「峰スロット」のうちの二人のおかげで、明らかに流れが変わった。
「仕上げは外注して、コンビニに並べるムック本の図版みたいな、とっつきやすい感じで。たとえば文兆社先月刊行の『図でわかる!脳にいい習慣悪い習慣』の十二ページ見開き脳の図解とかの感じです。だいたいのイメージはそれで大丈夫ですか」
鹿野はくらくらした。課長会議で上がってあわてて自分もチェックした他社の好調本を、部外者の、しかも日本画の挿絵係が、すでにチェックしている。
自分の課の人材も外注スタッフも、全員無能に思える……
気を取り直してなんとか追いつこうと、「あれはいいですね! 図版の仕上がりイメージを、先に拝見することはできますか。素案として稟議に添付したいです」と確認質問する。
高橋は笑った。「明日の午後でいいですか、四郎と練り直して完成イメージに近づけて出します」
「そんなに早く?」
「今回かなり、スピード大事みたいですもんね。二人で精一杯がんばります」高橋は答えた。
――対前月比120%、さらにその180%、144.6%……すべて有馬先生の連載の……
斎藤の課長会議説明でのうわずって震えた声が思い出された。
(スロットじゃないんだ)急に鹿野には、「峰スロット」の実態が読めた。(コンサル兼業画家と異能の新人が組んで、苦戦してた部分にテコ入れすると、結果が変わるんだ)
鹿野は急に、「すいません十分だけ会議室でお話を。いいですか」と高橋に対して声をおとし、「嶺生くん、一緒にきてくれ」と四郎に優しく声をかけた。
あわててノートとペンを探す四郎に、「筆記具はいらないよ、手ぶらで大丈夫だ」と鹿野は伝えた。
四郎が土田に怒鳴られた話を高橋の耳に入れて、四郎に謝っておかなければならない。とんでもないことになる。
あちこちで、高橋雅峰(がほう)が嶺生(ねおい)四郎の親友だ、という話を聞いているのだから。
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