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21世紀日本で成長小説を書くこと、ふたたび--高橋照美の小人閑居(29)
スキ、コメント、フォローをしてくださってる方に感謝です。いつもありがとうございます。初めて読んでくださった方、とても嬉しいです。これからよろしくお願いします。
何度か「21世紀日本での成長小説のもくろみ」を書いている。今日もその話をしようと思う。
たまたま僕の親友は、親に「安心して育まれる」という経験を持たなかった。「長じて自分で自分の愛着土台を、心のうちに形成する」という成長のしかたを、成長小説の形でまとめておくことにしたのはそのためだ。
つまりとても、個人的な動機だった。そして社会を眺め渡してみると、それはとても貢献性の高い仕事なのではないか、と思うのだ。
うわっつらのコミュニケーションテクニックが成熟しすぎていたり、パソコンでググればだいたい何のノウハウだって検索できたり、人に会わずに過ごせるほどネットワークサービスができあがっていたり。そういう環境に生まれ落ちた僕らは、「イキモノであること」をどこかで確認しながら暮らしたり仕事をしたり家庭をいとなんだりしないと、いとも簡単に、あっさり何かを欠落させていくのではないかと思う。
20世紀には主に、平和の責任は国家や地方自治が負っていた。でも今年は児童虐待報告数が最多、つまり親のキャパオーバーをフォローしてやる近しい他者やコミュニティ機能がギモン、と僕らの社会の数字は言っている。つまり国というフィクションがほころびてきている。
子供が安心できない状況を作りだしてしまっているとしたら、すでに僕らは、あっさり何かを欠落させたあとなのだろう。人格的に成熟した親、というのはあまり期待できない。たとえ人格的に成熟していても、今の社会のスピードからいうと、その価値観はすぐ古臭くなって、子供たちが作る新しい社会形態に対する壁となってしまうだろうから。
子供会も町内会もさほど盛り上がっていないから、僕らはほぼ、育児の当事者になるまで、子育てを伝承していくコミュニティになんて所属しないと言っても言いすぎではない。
だから、親に期待できそうもない荷物を負わせるのではなく、自分たちが自分たちで愛着土台を形成する、ということに習熟してさえいれば、非情なめぐりあわせに落っこちた子供が浮かび上がれずに一生苦悩する、なんて目には合わずにすむだろう。そして親に対して、できもしない事に関する恨み言を述べずにすむ。
この話の出発点はそんなところだった。そして筆者である僕の親友の特性が「構成構造がわかんない、ただワープロに向かって入力していると物語がつむぎあがっていく」という恐るべき予測のできなさをもっているために、この話はどこが行先なのかわからない、という特徴を持っている。
というわけで、また今週もおつきあいくださる方、ほんとにありがとうございます。
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