自己嫌悪は、なしだよ。ーー秋の月、風の夜(63)
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「……うわー、それかあ。あいつのハナのよさを失念してたな!……奈々ちゃん、リップの色つやがとてもかわいかっただけに、がっかりしてないか」
「……あんまり」
「無理はするな。僕に言ってみることで、ちゃんと次につながる整理をしてくれ」
高橋は穏やかなまなざしで、奈々瀬にうながす。奈々瀬は安心した。
「がっかり……それは、自分にがっかり。自分に腹を立てちゃう。せいいっぱいかわいくしようと思って、自分の好みで選んじゃったの。四郎のハナの良さ、考えなかった」
「それは、四郎に言われるまでわかんないからな。そしてあいつは、君を傷つけそうなことは口に出さずにすまそうとするだろう。よく聞き出せたね」
「そうですね、ふふ」
高橋は話しながら手早くデッサンを片づけてしまい、二人は四郎のところへ戻った。
「おかえり」げっそりした顔の四郎が、二人に声をかけた。
「香料問題はきいた」高橋は四郎に、そっとした声で伝えた。「僕もアタリをつけられたはずなのに、問題にしなかった、すまん」
「高橋が謝ることやないて」
「個人の感覚の問題は、お前が飲み込むことじゃない。それは自分自身の素質なんだから、そこに自己否定をかけたら、互いの居心地のよさが全員について成り立たなくなるんだ。
ましてや僕は接客指導までしている人間だ。本来なら事前に待ったをかけられていいんだ。
いいか四郎、お前は少なくともお前の目のよさ、鼻のよさ、耳のよさを、のびのびとさせていいんだ」
まっすぐ高橋が四郎の目を見る。穏やかな目が嶺生(ねおい)の惣領の酷薄なきつい目をのぞき込むようにまっすぐ見る。(僕の目を見ろ、自己嫌悪なんかするな)と、その目が語りかけてくる。四郎は高橋の目を素直に見て返した。
「……そうなんか」
「そしてな、お前が”ちょっとなー”と思うものは、たしかに人工的で人体には益さないものだ、それは僕にもわかってる」
「……そうなんか」
「奈々ちゃん、差し出がましいことではあるが、あとで僕がリップケア製品の候補を、いくつかピックアップしてみてもいいかな。四郎も一緒に選んでほしい。天然香料を使っているからには、値段は高い。そこは先に言っておく」
二人は高橋について歩きながら、かすかに笑みをかわした。
四郎の服の次に、奈々瀬の雑貨を選ぶとは、思っていなかった。思わぬ角度から、互いの生活を覗きこむような気分で、少しどきどきした。
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