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アレデライフ!(6)

9.曲がった道、ぶつ切れの今

「寝袋の洗濯は30泊ぐらいに一度」、と、どこかに書いてあったはずだ。
私はたった2-3回しか使ってないのに自分の汗臭さとすっぱさのこもったマミー型寝袋に、後悔しきりだった。
なぜ、なぜ、なぜ私は、市民プールにコレを持っていって、丸洗いすることを思いつかなかったのか!!

「マージナルオペレーション」で、主人公のアラタが自分の作戦行動の限界に直面しちゃったときのように、私は激しく自分の無能っぷりにやられていた。

久しぶりのシャワーで清潔さを取り戻した後だから、余計に。
清潔さが台無しになるぐらい、めちゃっとして臭い内壁の寝袋の中で、私は寝られずにいた。

言っておくが、私は怖がりだ。
お化けなんかに会いたくない。
とくにネット上で盛り上がってる怪談師の語りとか、廃墟ものには耐えられない。
この、今日ただいま、セキュリティのセの字もない廃寺生活を、初日からものすごく後悔しているのは……

こ・わ・い・か・ら・だ!!! 遅くまで眠れずに起きていると、こわいからだ!
深夜とか、夜中とかいう不気味な言葉に押されて押されて、ついに「真・夜中」ってついちゃうゾーンに入り込んでしまった。
私はもう、どうしていいやらわからなくなっていた。
このまま、じんまり眠れない夜がすぎていって、寝袋の周りに変な気配が来てほしくない!
寝袋をなにかにのぞき込まれたくない!

電子書籍のまんがの一気読みで寝落ちを狙うか、いやそれとも、すぐに睡魔が襲ってきては父親に辞書の角で殴られていた英語の勉強をやってみるか。

寝袋は虫が入ってこないようにファスナーで密閉して、鼻と口の面をメッシュにしてあった。私は念のために、メッシュ面の上から完全防寒状態で光が漏れないようにして、マミー型寝袋の締めバンドをはずして遊びを広くし、密閉寝袋の中で画面が見られるようにした。

ページ保存した自分のノートと、勉強途中だったワークブックを開いてみて、……

「曲がった道は、小刻みに行け」という英語の短文を見つけた。
bendがbent、過去形になっていて、なんとなく覚えていた。

お父さんのコメントの録音があった。ノートにオブジェクトで紐づいている再生ボタンを押してみた。

「自分にとって大ダメージになるようなことがあった後、大病したあと、それまでの前提が跡形もなくふっとんで日常がどっか行っちゃったあと、人間、 “一年の計は元旦にあり” なんてもっともらしいこと言ってられなくなるぐらい、計画が立たなくなる。これは、そういうときにつかえる言葉だな。曲がった道は、小刻みに行け」

もういちど、再生ボタンを押した。
もういちど、再生ボタンを押した。
もういちど・・・

しばらくくりかえして、やめた。

もしも、だけれど。お父さんやお母さんがお化けになって出てきたら、私はやっぱり怖がるだろう。
昔読んだ「猿の手」みたいに。スティーブン・キングの「ペット・セメタリー」みたいに。
生きていたとき、自分が「あるていど想像がついている」と思い込んでいた人が、まったく別のものになってしまうかもしれない、その余地があることが、わたしには、こわい。

「青頭巾和尚、いる?」
私はそっと呼んでみた。一応、私には無害な幽霊。あの人ならこわくない。

「おりませぬよ」という、答えが返ってきた。

「いるじゃん!」私は変なひきつった呼吸で笑った。返事してんじゃん!

「ねえ、丑三つ時とか三更とかに突入しちゃった。こういうときって、お化けとか幽霊とか、出るの?」
「いや拙僧が狂うて亡者を掘り起こしては食うておりましたときには、この世にとどまった魂魄には、とんと逢い申さなんだが・・・さういふことが、ききとうておられるか」
「あ、そういうことを質問してます」

そういえばこの人は、自分のお稚児さんの死体を舐め食ってしまったのを皮切りに、死肉食いが止まらなくなって村中の迷惑になっていたんだった。仏道にまい進してたはずの和尚が死肉喰いになっちゃったなんていったら、村落共同体にとっては、迷惑どころか恐怖だろう。スティーブン・キングが怖くて書けなくなっちゃうアレみたいに、自分たちの前提の外へとはずれて行ってしまうのだもの。

「青頭巾ちゃんって、ほかのお化けが私を怖がらせないような抑止力には、なってくれそうにないのよね」

「抑止力とは保護の力のことではなきかな。昼間、どこぞの少年に、お父上お母上のかわりなんぞ簡単にほしうはないと言っておられたのは間違いか」

「いやまじお化けこわいから!保護者の代わりがほいっと配給されてたまるもんですかってのは、あのときは昼間だったから中坊らしく悲しみの深さを表せるような、大きな口たたいてただけで。今まじでこわいから!」
青頭巾和尚は不気味に、ひっ、ひっ、とひきつけるような笑い方をした。

ああ、なごむなあ、と私は思った。
まともな人間なんか、一人も周りにいてほしくない。私のお父さんお母さんは死んでしまって、私はいちばん大きかった人間関係を根こそぎえぐり取られたのだから。私と青頭巾和尚は気が合う間柄ではないのだろうけれども、一番大きかった存在を失って、ぱーになってしまった、という共通項で結びあっている、孤独なもの同士。

「べんと」
と、ふいに青頭巾和尚が私の画面を読んだ。
「べんと、まがった」
「ああ、青頭巾ちゃんのご趣味に似た人たちが収容所へ入れられちゃう戯曲のタイトル・・・」中学生に「夜と霧」を読んでおけといったついでに、戯曲「ベント」を紹介したのは、父親ではなくて社会の先生だった。
「青頭巾ちゃんの時代よりずっと後の、第二次世界大戦のドイツでね、ユダヤ人も知的障がい者も同性愛者も、次々つかまって収容所に入れられて、そりゃひどかったらしいんだわ」

ニール・サイモンが書いた戯曲だっけ? なんて、ありえない、でたらめな記憶になっていたことに、私はちょっと笑ってしまった。


生きてる人間のほうがお化けよりよっぽどこわい、って大人は言う。

大人は、お化けや暗闇や怪談に、子供が泣き叫ぶしかなくって、心が潰れてしまう、という子供の恐怖を、いともかんたんに忘れてしまうから、そんなことが言えるのだろう。

私は子供の苦しみを忘れない大人になりたい、と今は思っているけれど、大人になったら、子供がなにに逃げまどい、なにに恐怖し、なにに絶望し、なにに苦しむのかなんて、忘れてしまうのだろう。思春期の脳みそを通り過ぎて、忘れてしまうのだろう。

青頭巾和尚のほそながい骨と皮の爪だけ伸びた指が、画面を通り過ぎ、またもどってきて、ひょい、ひょい、と蜘蛛の巣を爪にひっかけるような動きをした。小さい、小さい音量で、バッハのゴールトベルクが鳴り始めた。
何かの音声の再生も。画面の音声朗読をセットしてくれたらしかった。

青頭巾ちゃん……物理画面の操作なんて、できやしない霊体だったくせに……
私は急に眠くなりながら、そんなことを考えた。


「―――たとえば愛する人の死の直後には、むしろ怒りや理不尽さを燃料に、あなたは何かの行動ができているかもしれません。
ただ、三か月たち、半年たち、一年たち、まるでうつ病のように燃料が尽きた自分を見出すかもしれません。

自分が安全であることを確保したうえで、悲しむことを悲しむ。

悲しみと動けなさが、あまりにも長く続いて、あなたはうろたえるかもしれません。

そのときには、大切な人を失ったダメージを過小評価しないで、無理に立ち直ってみても、また反動が来るかもしれないことも、少しだけ、考慮してみてください。

古代中国では、喪の期間は三年間という例もあったようです。

ひとつの有機的な集団の組み立てが、ある日急に、または病気などにより徐々に損なわれたとき、新しいかたちにまがりなりにも移行するには、三年ほどはかかって当然なのでしょう。

それだけかけがえのない日々だったのだ。
それだけかけがえのない人だったのだ。
おおきなダメージがいつまでたっても抜けないほど、あなたは愛し、行動し、なにかを捧げ尽くしたのだ。

そのことに気づきをもちながら、罪悪感ではなく、自分の悲しみと回復に、わずかずつ、今という時間を少しずつ、そそぎ、集中してみてください。------」

バッハのゴールトベルクとともに、そんな朗読が、私の耳をかすめながら、私を眠らせていった。
青頭巾ちゃん、ボタンの操作なんか、自分でできないから、私任せだったのに…と、私はうとうとしながら、まどろみ、ねむった。



10.D―I―Y !

「光明寺」
という看板だけは、門がまえとともに、ずどーんと威容をふり巻いていた。
廃寺のなかで。

その、門のところに、置き配。

午前10時に配達が来た時、私は前夜の寝つきの悪さのせいで、すっかり寝過ごしていたのだった。
おかげで、門構えをふさがないけど門の外、という形で、ユニットコンテナ部屋の部品を置き配達されてしまった。

「わー」
積まれた面倒な大きさと数の段ボールを見た途端、私は無感動な声をあげた。
「うわー」

そして、プリント係を呼ぶことに決めた。

「おはよ」
メッセージがなぜかすぐにかえってくる。授業中じゃないの??
「どうした?」
「鍵付きの小部屋ユニットコンテナを注文したら、組み立て前の段ボールを、寺の門の前に置かれてしまった。放課後もし手があいてたら、移動手伝ってくれませんか? というか、二人での移動むりかも。知恵をかしてほしいです」
「わかった。現場の写真とれたら送って」

現場の写真!
そんなこと思いつきもしなかった私は、ちょっと感動した。そして写真を数枚、送った。

「演劇部に相談してみてもいい?いやならやめておく」
「運搬道具があるなら借りてもらうのは助かる。ただ、プリント係以外の人とは話せる気がしないのと、住所ばらさないでもらいたい」
「かしこまりー」

かしこまられた。
私はここまでのやりとりで、すっかり疲れ切って、一画だけを掃除した本堂スペースに、あおむけに倒れた。本堂の床が一部抜けているが、柱と梁は頑丈だ。

――人間にとっていちばん必要なことは他者とつきあうことです。それを自然にできると思いがちですが、実はそうではないのです。(デール・カーネギー)

言語の習得をし、非言語のしぐさや表情からの読み取りと反応をおこなう。
どうしてほかの人は、そんな芸当が、飽きもせずできるのだろうか。

私の興味関心のなかに、現在ただいま、他人の生活とか他人への興味とかがない。

だいたい、交通事故にあったばかりの人や、犯罪被害にあって大けがしてる人たちに
「他人に興味を持って」
とか普通に言わないだろうに、なぜか二親そろって死亡、という大事件に直面してる中学生には
「もっと他人に興味を持って」
とか無理なことを言ってくる大人がいるのが、不思議でしょうがない。

私も私で、「家族が二人死んだばかりなのになんでそんな無理いうんですか」みたいな切り返しを思いつきもしなかったから、黙ってその場を去ったけれども。

ふと、AIベースのプログラミング素材のなかに、ひとりごとをぶつぶつつぶやいてたら、該当参考資料を引いてきてくれるものがあったっぽいな、と思い出した。
天井を見上げたまま、画面をひらいて、音声検索をかけてみた。検索エンジンににたもので、AIが判断していくようなもの。

「たすけがほしいとき、てきせつなたすけをもとめるほうほう」、みたいな検索。


殉死、とか喪に服す、とか、人間はいろいろな「すごしかた」を発明してきた。私もおなじだ。おとうさんとおかあさんが急に死んだので、それまでの日常を「一時停止」した。「永久停止」の気分になっている。

頭では、うすうす、永久停止ではないだろうことには気づいている。直線的に「もう大丈夫」ということにはならないのもなんとなくわかる。古代中国では服喪は三年だった、と昨夜の朗読は言っていた。

だとしたら、3年間は落ち込んだり沈んだり、悲しいのに泣けない、という状況に、たびたび漬かってることもあるものなのだろう。


弟が死んだ誰かが言っていた。「弟が死んだっていうのに、わたし、お腹がすいてきて、そのことがショックだったのよ」

だいじなひとの時間が止まってしまったのに、自分の細胞が時間の経過の中を、小さな小さなクジラの群れのように、にぎやかに泳いでいく。

そのことに怒りを覚えてもいいだろう、今は。

かわいそうに。私という楽団は、てんでばらばらになってしまっていて、めいめいが雑音を出していると受け取って、ののしりあっている。

おとうさんとおかあさんという機能をとりはずされてしまった私は、学校生活も家庭生活も自分の人生とやらも、かんしゃくを起こして投げ捨てて、ばらばらに分解しているのだ。かわいそうに。

両親が死んだっていうのに、わたし、虫刺されとトイレとシャワー問題なんか悩んでいる。
飛び出してきてしまった結果がこれか。
弟が死んだ誰かは自分がおなかがすいたことにショックを受けていた。私は、家がなくなって学校からすべりおちて虫刺されとトイレとシャワー問題に悩む、という生存レベルでのアウト感を作りこんでしまったらしい。

健康はむしばまれる。アタマはおかしくなる。好きなことをしていられる時間は、いつか途切れる。

その日は、朝から晴れていて、風がとめどなく流れていった。
気持ちのいい日。酷暑も厳寒も遠くにあった。
ただ、気持ちの良い日ざしと、気持ちの良い風が、何時間も、何時間も続いていた。

やがて死ぬ。いつかふたたび、苦しんでのたうちまわる日もある。
今は、ただ、気持ちの良い風がふいているのだった。

人間が幸せと感じるために、必要なものはそう多くない。


それだけだった。

仰向けに寝ていた本堂を出て、私は、積みあがった段ボールにもたれた。

現実には、私は今げんざい、「幸せ」だと感じることが難しかった。

父さんと母さんはいなくって、それをどうしていいのかわからなかった。

ふたごのれいらとは、通じ合うところと、けんかやこぜりあいになるところとが折り合いつかず、世の中でよくいう「きょうだい、助け合って、生きなさい」を具体的にどうこう実現するためのやさしいとかうれしいとかいう気持ちが芽生えなかった。

600万円ていどの「生きるに困らないカネ」を私が作り出している間に、中学生のアタマには難しい契約やら、中学生のアタマには難しい金融商品やら、中学生のアタマには難しい「頭のいい大人のマーケティングと仕組み」が中学生ふぜいの私からむしりとっていくネタは身の回りに増えすぎてしまって、私が生きるために使い続けなければいけないお金は、べらぼうに高くなっていた。

私は数学を組み合わせたサービス利用が「手に負えない」、と感じていた。

学校で習う数学よりもっともっと、複利とかオプションとか期限付きの割引とじりじり料金が上がる仕組みのサブスクリプションとかの正体が見通せない。そういう手に負えなさ。

頭のいい、数字につよい、お金をごまかすのに情熱を燃やしてしまえる誰かたちが、優しいだけの愚か者に少なく支払い、支払った生活費からむしっては曲線で貯めていくようにさえ思えていた。

かつて「資本主義」といわれていたものは、コンピュータと人工知能と自動運用の繰り返しをつかったり、集めたお金を再投資したり、ビジネスで人を安く使ったりすることができるひとにぎりの人間が、曲線的に貧富の差を広げているようにさえ思えていた。

そして、中学生の生きづらいひとりきりの私は、「しくみをよくわからないままサービス料金を払う側」、つまり、むしられる側。

ぼんやりかんがえごとをしている目に、プリント係の姿が映った。
車輪付きの手押しを借りて、押してきてくれたみたいだった。
右手をあげて、手を振った。こういうとき、何と言っていいのか、わからないまま。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!