やる気まんまんに見えないように。ーー秋の月、風の夜(17)
☆
「ご内密にてっていう以上は、逆に早いとこ警察入れんとあかんと思います。有馬先生ええですか」四郎が、控えめにではあるが、ほかの選択肢が残らないよう、有馬先生に話す。有馬青峰はあいまいにうなずいた。四郎は詰め将棋のように、次を出した。
「先に課長に電話入れときます」
他のやり方が入る余地を排し、さっさと連絡しだす四郎。高橋は運転席で黙っていながらも、こういう時の判断基準が、いったい四郎のどこに入っているのか、ふしぎな気分だった。緊急事態についてだけ、即断即決の交渉ごとがうまい。
「斎藤課長、嶺生(ねおい)です。今、有馬先生に同行中です。ご関係先の道場がトラブル起こしとんさって、今ガラの悪いのが何人も道場に入りこんで、居座っとるようです。今から警察に通報しますけど、道場の先生が有馬先生の大事なお友達やもんで、これから少しやりとりするかと思います。なるべくご迷惑にならんようにやりますけど、また逐次ご報告入れます」
少しやりとり。
少し、って……?
やりとり、って……?
きっとおとなしい斎藤は、返事もできず固まっている……
高橋は黙って聞いていた。
「とりあえず、広徳館に向かいます、いいですね」高橋は再び車を出した。もう、さほどの距離はない。
ほどなく現地に近づいた。観音堂南の信号を曲がる手前で、ちかくのレストランの駐車場に、車を入れてしまう。
道場のそばで車を停める音など、押しかけているやつらに聞かせたくはない。
窓の死角に、三人でこっそり歩いてみる。けれども有馬先生と高橋の二人に、足音だの気配だの消す芸はない。建物から離れたところで、立ち止まらざるを得ない。
四郎だけが、建物の近くまで寄る。
しばし目を伏せてたたずみ、また二人のところへ戻った。今度は警察に通報。
あれほど電話の嫌いな四郎が、こういうときは、さっさと連絡をする。おもしろい。
「……すいません、観音堂南の剣道場の広徳館を訪問しようとしとる者です。ご主人が、監禁されとるようなんですね。ええ。ええ。中に、剣道場の岡田和臣先生がひとりで、……十四人か十五人ぐらい、ガラの悪い人が。ええとですね、窓からよく見えんのですが、見取席(みとりせき)ええと、神棚のある壁と窓のいっぱいある壁の角に、道場の先生が押しこまれて座らされて、中を変な人らが土足で荒らしよります。はい、お手数ですが、至急お願いします」と、四郎が小声で様子を通報する。
有馬先生は、中の様子をあまりに詳しく説明する四郎を、ぎょっとした表情で見ていた。
いつも高橋は思うのだが、気配で人数を把握できるのは、武術の腕ではなく特殊能力なのではないか……?
「入らずに警察待つ?」
通報が終わったところで、いちばん穏当そうな案を出してみる高橋。
四郎は、有馬先生の意向を尊重したいらしい。「有馬先生、どういう風がええですか」
「中にいる和臣君を、はやく助けてやらなきゃあ……。しかし」
有馬先生の声が、ムリを言ってごめん、でもやっぱりムリ。というヨレ具合だ。
「有馬先生も、警察来てくれたとき、和臣先生がバツの悪いのはおいやでしょう。先に入ってみましょうか。先生、お怪我や問題のないように、俺の斜めうしろから、みとってください」
ムリでもなんでもない四郎の声を聞いて、有馬先生は、うなだれながらも「すまない」と言った。
四郎は、背広のポケットから再びスマホを取り出して、高橋に渡した。「最初っから録画回しといて。警察に渡せるように。先に神棚左奥の見取席の、和臣先生が押さえられとんさるとこを狙って、どうされとりゃあすか映るように撮って。入口ここから入るとすると、こっち側な」手で位置関係を示して、高橋に混乱がないよう動作の想定をさせる。そして、つけ加えた。
「土足で道場入って、和臣先生やぁがらかしとる時点で、住居侵入罪やろうしさ。ほかにいくつもいくつも、法に触れそうな感じのトコは、見つけたなり撮ったって」
「わかった。……背広、預かろうか」
「そうやなあ……頼もか」背広を脱いで高橋に渡し、続いてネクタイをほどく。
ネクタイの剣先二本を胸ポケットに入れ込み、四郎はこっそり聞いた。
「あんまり、やる気まんまんに見えんとええけど……どうやね」
高橋は、緊張しながらも、つい笑った。「おとなしそうに見えるよ、大丈夫だ」