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ゆでたまごじゃなくてですね。ーー秋の月、風の夜(46)
☆
大人数での夕飯に、椅子が一つ足りなくて、木の丸椅子を持ってくる。奈々瀬がそれに座ろうとするが、黙って首を振って、四郎が木の丸椅子を使う。
奈々瀬と、四郎の……二人の間を流れる情緒のようなものが、しっとりと濃くなっていく。
そんな景色をぼんやりと見ながら、高橋は安春と、燗酒を猪口であけていた。
「……照美君は、いいのかい、それで」
ふと、安春が言った。
「なにがですか」高橋の目が、すこしだけ潤んでいる。日本酒の回りがはやいのだ。
「うちの娘のこと」
もう距離は遠いまま。公式にはそれを押し通す。高橋は、心の中で、それを言葉にして、読み上げるがごとく胸に刻んだ。
奈々瀬と愛し合うような身勝手なファンタジーには、安春が気づかないよう、そのあたりの脳の回路に触れないでおく。
「本当に四郎君と、生涯ひとりの親友でいる、という意思を、固くしてるんだね」
「知己というのは、……親友というのは、……さいごは感情じゃないです。それはたぶん、自分がどうあるかの話で」
「そうあれる自分も、ほしかった、という話か」
続けて二杯、干した。
ちょっとだけ油断した……
「先に出会っていれば」思いもよらぬ言葉がほとばしった。打ち消した、「いや、そうだったとしても、僕じゃない……」
目をつむった。目をつむっても、画家の目の裏には正確な描線がすでにある。気をそらそうとして、四郎のほうをみた。四郎が、ちょっとびっくりしたように、高橋を見返した。
なぜそんな目をする。 ……いや、問題はこちらにある……
高橋は言葉を失って、奈々瀬に助けを求めるような視線を送った。
「高橋さんは、料理をつくりながら、そのお湯で、ゆでたまごを六個も七個もいっぺんに作るの、好きなんですか」
奈々瀬は知らんふりをして、そんなあたりさわりのない質問を投げてくれる。
「そうだね、好きだ」ふいに、ぷるんとした唇に指で触れたときの感触が、よみがえる……
「好きだよ」
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