「贈与」とタローパン。「アンサング・ヒーロー」のいるまち、石橋商店街。
私は「読書感想文」なるものを27年間、自分で書いたことがない。書けない。
小学生の私は、夏休みの最終日、必死にインターネットから「いい文章」を拾ってきては組み合わせ、1,000文字のパズルを「どや」。胸を張って提出していた。
毎年のように学校代表に選ばれていた。「読書好きな宮武さん」「文章の好きな宮武さん」像ができあがっていた。ごめんなさい、先生。
(自由研究は父、絵画は母、技術は祖父、家庭科は祖母、で夏休みを乗り切った年は、全作品が学校代表に選ばれ「宮武さん=学校の星」になっていた。マジで、先生、ごめんなさい。)
小学校高学年から中学校まで通っていた学習塾では、毎月の課題図書を母が読んで母が書いていた。ごめんなさい、塾長。
「この本を読んで感想文を原稿用紙〇〇字にまとめてきてください。」
一冊も読んだ試しがない。
本を読んだあとに、内容をすぐに忘れてしまう。最近だと、これはマジな話、浦島太郎がどんな話か、話せなかった。魔法の箱を開けると、おじいちゃんになってしまうシーンだけ、かろうじて覚えていた。ヤバイ。友達にも若干、引かれた。
「どんな本だった?」聞かれても答えられない。そしてこれは、残念なことに、27年間変わっていない。
このあいだも
私「西加奈子さんの『さくら』、めっちゃエエ本やってん!!!絶対読んで!ぜttったい好きやと思うわ!私、健康診断で採血中に思い出して泣いたもん!!!映画化もされてるらしいわ!」
後輩「そんな感動する本なんですね!週末、映画見てみます!ちなみに、どんなお話なんですか?」
私「家族の話やねんけど、お兄ちゃんが死んじゃう話でナァ・・・・・・・・・・・・あッ(やってしまった)」
後輩「し、しゅうまつ、、映画を、、、、、(白い目)」
こんな具合だ。あらすじを聞かれると、一番頭に残っているシーンを話そうとするから即ネタバレするし、全然おもしろさが伝わらない。伝えたい思いはあるのに、どうにも、整理しないと、ダメみたいだ。おしゃべりさんになってきた3歳の私、そこから成長していない。言葉のキャッチボールがまるでなっていない。
さて。27歳にもなって、読書感想文が書けない、苦手だ、ということをつらつらとしてしまった。本題に入る。
そう、ここまでで、かなり、ハードルを下げた。(長い。すみません。)
「贈与」とタローパン。
タローパンは、大阪池田市 石橋商店街のはしっこにある創業91年のパン屋。
私は昨日、店長の堤さんの焼肉食べ放題に行った。上ヒレステーキが、うまかった。あとユッケジャンスープ。(関係ない。)
何故、ここまで仲良く(一方的かもしれないが)なっているかというと。
私は大学時代、石橋商店街のすぐそばで住んでいた。堤さんとはそのころからの仲だ。だいたい6年以上は経っているかと思う。
話すとざくざく深くまで掘っていける話がもりもりだけど、noteが終わらないのでしない。ざくざくもりもり、えさこらさっさ。本題は「贈与」とタローパン。
『世界は贈与でできている』を読んだ。その感想(感じた思い)なるものを、書き留める。
「贈与」とはお金で買えないもの。換えられないもの。交換の論理が働く資本主義社会では説明ができない、もの、行為。
ギブアンドテイク、ウィンウィン、とかじゃない。
タローパンは、ただのパン屋じゃない。堤さんは、ただのパン職人ではない。本の言葉を借りてかたい言葉で言うと、「贈与」の差出人だ。
パンを作ってお客さんに販売する、保育園に配達する、対価としてお金をもらう。パンはその日中にすべて売り切れるわけではなく、当然、残る。
すると、
「パン、あるよ🥐夜遅いけど来れるやつおるか?」
大学生、その知り合い、OB、OGなど、90人以上が入ったLINEに堤さんからLINEメッセージが届く。(そんなLINEグループがあること自体すごいが。)
「行きます!✋」
「わーい!💨」
お腹を空かせた大学生。その友達。パンは食べないけど、夜に誰かと喋りたい人。何人かが、閉店後のタローパンに駆け込む。
そうやって、パンを「タダで」みんなにあげる堤さん。そりゃLINEグループの人数も増えるわな(笑)。
堤さんと学生たちに、お金のやりとりはない。
でも、
「タダでパンが食える思たらみんな集まるやろ?
でもな、そういうことより、
知らんやつ同士が話して仲良くなってたり、商店街でこんなことやりたいって言ってきてくれたりすんねん。
俺、最近さ、夜みんなが集まってくれるときは、パン屋になって良かったな、って思うねん。」
お金では、理由を説明できない、何か、すごく、心が動くものが生まれている。これが「贈与」なのかもしれない。
誰かが誰かに、お願いされてやっているのでもない。
誰かが誰かに、申し訳なさを感じさせているわけでもない。
私も学生時代には堤さんのパンに胃袋を掴まれていたわけだが、そこに「ギブアンドテイク」のような縛られた何かを感じてはいなくて。でもなんか知らんけど、堤さんの力になりたいなあとか、一緒におもろいことやりたいなあとか、おもろいなあこのまちは、とか思ってたナァ。。。
パンを作って売る。お客さんの笑顔をもらう。そこには幸せな食卓がある。お金で生まれる、そして、お金以上のものも生まれるはずではある。
でも堤さんは、残ったパンを「タダで」学生にあげることで「パン屋になってよかった」と感じるようになったという。
それは、小さな商店街の小さなパン屋さんの、大きな心のパン職人から生まれる「贈与」だった。
贈与の受取人は、差出人に「使命」を逆向きに贈与する
本の中で、贈与はどちらから生まれるか?という議論がある。まず受取人がいて、差出人がいるという。
受取人である学生がいて、堤さんという、贈与の差出人が存在する。
そして学生は堤さんに「使命」を贈与している。
「使命感」は生命力そのもの。
生命力というと話が大きいかな、と思ってしまうが、堤さんに「パン屋で良かった」と感じさせるのはこういうことなんだろう。。「使命感」や仕事のやりがいというものは、贈与性の中だけに存在する、と書いてあった。なるほどな。。やらねばならないことをやって、まあ、それでお金を稼ぐ。お金をいっぱいもらって嬉しい人もいるだろう。私もないよりはあったほうがいい。深く考えればきっと難しい問題なんだろうけれども。
そして、贈与は、受け取ることに意味がある。そして、
受け取った私にしか、果たせない使命がある。
「アンサング・ヒーロー」のいるまち、石橋商店街。
この世界には、アンサング・ヒーローが無数に存在する。
見返りを求めないので、だれからも評価されることも、褒められることもない、アンサング・ヒーロー(歌われざる英雄)。
贈与で、人々を救ってきた人たちのことだ。
実際、私は、石橋商店街に救われた。
重い話では決してない。
大学4年生、私は、家族に内緒で公務員講座を受けているふりをしながら、一般企業への就職活動に一生懸命だった。
家族はもちろん、大学を卒業したら、香川県に帰ってきて、公務員になるものだと思っていた。
でも、
私は、自分のやりたいこと、やってみたいこと、これからの未来のこと、考えたときに、違う道を進みたくなった。家族に大反対されるのは分かっていたので、秘密で、行きたかった企業の内定をいただいた。
就職の報告をしてから、約半年くらい、帰省しても、家族は誰も口を聞いてくれなかった。ガチな話です。毎週、祖父母から、手書きの手紙が何枚も送られてくる。そんで、10,000円札とか挟まってる。二週間に一度、両親が大阪に来て、説得をしにくる。年の近いいとこには、誰でもできる仕事だからやめろと馬鹿にされる。
そんなとき、石橋商店街のおじちゃん、おばちゃんに救われた。
「自分のやりたいことしいや。仕送り止められても、あんた一人の面倒ぐらい見たるんやからっ!」
「石橋はずっとここにある。逃げたりせえへん。好きに頑張り!」
そんな支えがあったから、私は折れなかったのだ。事実、何百回と折れかけたけど、最後は、家族に東京のベンチャー企業への就職を認めてもらえた。ありがとう、石橋商店街のみんな。
石橋商店街のみんなは、著名人なわけでも、お金持ちなわけでも、ない。
それでも、そこにいて、一生懸命に働いていて、まちのために何かをしようと頑張っている。
本の中では、
贈与の受取人は、メッセンジャーとなり、他者へとなにかを手渡す使命を帯びる。使命感という幸福を手にすることができる。
のような一文があった。
私は、大きな愛を、受け取った。今度はそれを返していきたい。受け取ったものの大きさを存分に感じ取ってそれを伝えたい。
石橋商店街だけではない。私は、たkkkkkっくさんの人に支えられて、今ここにいる。毎日なにも不自由なく生活できているのは、家族が、健康に生んでくれたこと、自由奔放に育ててくれたこと、困ったときにはちゃんと手を差し伸べてくれたこと、たくさんの愛を注いでくれたこと。。もちろん家族だけではないし、それは、挙げはじめるとキリがない。
「アンサング・ヒーロー」を見つけ、ちゃんと受け取り、伝えることがしたい。
「アンサング・ヒーロー」は愛を受け取り、想像力を働かせられる人にしか見えないらしい。
私は、私の好きな場所や人、もの、の想像の先にいる「アンサング・ヒーロー」を、いろんな人へ伝えていきたいと思う。
そして、それをきっと、得意だと思うので。
長かったけど、私が最近感動した本について何かしら伝われば嬉しい。
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