【つぶやき】ワーママはいつか終わる
仕事に育児に忙殺され、休職前は毎日思っていた。
「この生活、いつまで続くんだろう」
そう思い始めると、とことんワーママを辞めたいと思ってしまっていた。休みに入る直前、限界すぎてスマホのボイスレコーダーに「やめたい、しんどい、疲れた」と独り言を録音するほどだった。これを聞く数か月後はこの状態から脱せているだろうか、どんな気持ちでいるだろうか、などを考えながら録音したのを覚えている。
ただ、最近よくしゃべるようになった一歳半の息子をみて思ってしまった。
「あ、育児っていつかは終わるんだ」
もちろん、子どもの成長はうれしいものだ。
昨日はうまく言えなかったパトカー、今日は言えるようになっている。保育園でお友達を邪険に扱った翌週は、おもちゃをシェアして遊んでいる。前はなんとなく返事していたが、いやなものはいやと意思表示ができている。
息子が寝た後、帰ってきた旦那と息子の動画を見ながらこんなことがあった、あれができるようになった、など出来事を共有する時間が楽しみでもある。
先日、甥っ子が5歳の七五三の撮影をしていた。
この前までしゃべれなかった赤ちゃんだったのに、もう5歳か。
そんなことを考えていると、働いているときに感じてた「この生活、いつまで続くんだ」という疑問の答えはシンプルなものだと気づいてしまった。
もちろん、「今」はつらい。ただ、育児にいつかは終わりがあると思うと、未来の自分は「そんなこともあったな」と笑い飛ばしているかもしれない。そんな未来を想像すると、有限である今は一分一秒でも貴重になるだろう。
明日は復職に向けた産業医面談がある。
また忙殺される日々に戻るんだとネガティブになる一方、息子もだんだんと手がかからなくなってくる。もちろん別の悩みが出てきて、すべての悩みが解決することはなく、むしろ尽きないだろう。
ただ、確実に息子は一人の人として一歩ずつ成長の階段を昇っている。昨日や今日、そして明日も息子にとっては大事な成長機会であり、確実に大人にになっていっているはずだ。家事育児に追われる忙殺された日々は少しずつゆとりが出始めて、いつかは手を離れ自立していく。
自分の時間がない、欲しい、一人になりたい。ワーママがそう思うのは仕方ないし、そりゃそうだとも思う。実際リフレッシュしてないとやってらんない。だが今までの人生で十分一人の時間はあったし、いつかまた手が離れたら嫌だというくらい一人の時間もでき始めるだろう。こうやって「ワーママ」はいつか終わりを告げてしまうんだったら、しんどい「今」をちょっと頑張ってみようと思う。