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表現の自由(総論)


第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

1 概略

⑴ 21条の価値
 憲法は、その価値秩序は自然権思想に基礎付けられて個人の尊厳を最も重要視しており、社会契約論の影響を受けて国家という観念にこれら価値を保護させようとした。したがって、憲法は、国家を運営するのは国民であることを前提に、その意思決定を民主主義の原理で貫徹することで理想的なものであろうとしている。そして、人々の合意形成を基礎とする民主主義において様々な意見や情報が闊達に行き交うことが不可欠の要素であって、これを権利の形で表したのが表現の自由である(21条1項)。
 以上を踏まえれば、憲法の人権カタログの中でも21条はより憲法の価値秩序と密接に関連しており、民主主義的国家運営との結びつきを「自己統治」の価値、その目的にある個人の尊厳との結びつきを「自己実現」の価値と表現して21条の価値を捉えようとする行為は、人権規定の考察の中でも特に重要な営為なのである。また、上記二の価値には様々な意見や情報が闊達に行き交うことが前提にあり、このようなコロラリー的に導かれ21条によって直接保障されている価値として思想の自由市場というものの存在が提唱されている。
⑵ 表現の自由の体系
 21条に関する議論はいくつかの分野に整理され、① 21条の権利構成、② 事前事後規制、③ 文面無効、④ 合憲限定解釈、⑤ 内容規制及び内容中立規制、⑥ 派生原理といった整理ができる。
 ①と⑥は事案を考察するにあたって、問題となっている事実が憲法上の射程に含まれているのか、含まれているとしたらそれは直接保障に値するのかといった点に光を当てている。そして、当該事案の争点に着目して②ないし⑤の法理論をもとに事案の決着を図るのがひとつ想定される。

2 21条の権利構成(保障の範囲)

⑴ 一般論と消極的表現の自由
 表現の自由の保障の範囲を検討するにあたり、「表現」の中には単なる事実(証拠による証明に馴染む)と主観的な評価(賛否や善悪など)の異なる二つの事柄があることに意識的でないといけない。そして、「表現」とは、人の内面的精神活動を外部に公表する精神活動を広く含んでおり、主観的な評価たる意見の表明と、主観的価値判断を含まない事実の伝達のいずれも21条の保障に含まれると解されている(博多駅事件判決)。
 消極的表現の自由すなわち表現したくないことを表現しない自由は、自己実現の価値と結びついて保障の範囲に含まれると解するのが通説である。
⑵ 匿名表現
 匿名表現の自由が認められるかの議論は、表現の自由において表現者に実名による表現を求めるかどうかの問題でもある。もし実名による表現を求めるとすれば、少数意見の表明や内部告発などが困難になり萎縮効果が大きくなり、このような行為が萎縮することは表現の自由の趣旨に適合しない。したがって、匿名表現も21条によって直接保障されると解するべきである。もっとも、匿名性ゆえに誹謗中傷等の有害表現が促進されてしまい公共の福祉に適合しない危険性もあるため、匿名表現の自由も必要最小限の制約を受けると考えられる。
⑶ 知る権利
 表現の自由は、国民の表現行為が社会で闊達に行き交うことで自己実現や自己統治に資するという観点から生まれた自由であるが、このように国民全員がスポークスマンとして想定された像は現代社会の実態にそぐわない。つまり、実社会ではメディアが専らスポークスマンとしての役割を担っており、国民のほとんどは情報の受領側に固定化されている。したがって、上記のような価値を実現するための表現の自由は受け手の側から再構成して考える必要があり、これを知る権利として捉え21条の保障の対象に含めるのが一般的である。

図書館事件(70)

1 問題の所在
 公立図書館の図書館員が、独断的な判断や個人的な好みで特定の図書について不公正な取り扱いをして、これを廃棄するなどした事案において、著作者が国家賠償請求をした。ここで、図書館員の行為が、国賠請求の前提となる不法行為の成立要件たる権利侵害に当たるかが争点の一つとなった。
2 権利構成
 公立図書館は、住民に対して思想、意見その他種々の情報を含む図書館資料を提供して教養を高めること等を目的とする公的な場である。そのような場でひとたび閲覧の用に供された著作物の著作者は、著作物によって自身の思想及び良心を伝達する自由を有すると考えられ、これは21条1項で保障される人格的利益である。
 もっとも、未だ閲覧の用に供されていない著作物を公立図書館内に設置するように求める行為は、国家に作為を求める請求権的性質をもつから、21条によって直接保障されていない抽象的な権利であって立法によって具体化される権利である。
3 したがって、本件で問題となっている著作物を廃棄等した行為は著作者の権利を不当に侵害する行為と認められる。

⑷ アクセス権
 アクセス権とは、一般国民がメディアに対して反論分などの自己の意見を表明する権利のことである。アクセス権は、メディア側の特に公共の事実に関する表現行為を萎縮させる危険性が高い一方で、民法723条を根拠に謝罪文の掲載を命じる判決が存在することで問題となるが、前者の理由から21条で直接保障されないとする見解が通説で、名誉毀損などの不法行為の成立を前提にアクセス権を認めるべきとする(サンケイ新聞事件)。

3 21条の審査

⑴ 概論
ア 表現の自由は精神的自由権の中に位置付けられ、他人権規定である経済的自由権との比較において、個人の尊重を目的とする憲法価値秩序にしたがってより保障されるべきとの価値判断から厳格な審査基準を適用すべきとの見解があるため、この二重の基準論と呼ばれる考え方を(あくまで)念頭に置くと良い。
イ また表現の自由を規制する制度の憲法適合性を判断するに際して、その規制の目的と手段に着目して判断する場合に、比較衡量(相関関係説)や受忍限度論によって手段の相当性を判断する方法がある。相関関係説は被侵害利益の内容及び性質と侵害の具体的態様を衡量的に考察し、受忍限度論は制約が社会通念上受忍すべき限度であるかを考察する。

・審査基準のベースラインという考え方

 裁判所の審査は、憲法が人権保障の任務を裁判所に委ねていることから、原則的に厳格な審査でなければならず、厳格な審査とは、憲法が裁判所に期待する独自の役割という観点から検討されるということを意味する。
 そして、このような基準を通常審査(高橋)とすると、事案によってはベースラインよりも一層厳格な審査が必要な場合もあれば、より緩やかな審査で良い場合もあり、ベースラインを中心に審査の厳格度を上げ下げするという感覚を持ってもいいのかもしれない。
 そして、通常審査とは、① 規制の目的が正当(十分に重要)なものであって、② 手段としてより制限的でない他の選びうる手段がないかどうか(LRAの基準)で審査する、21条1項制約の場面で中間審査基準として紹介される審査の厳格度と一致するものである。また、「正当(十分に重要)」とは、人権制約を肯定しうる他の権利利益保護の必要性が認められることである

⑵ 事前抑制・事後規制
ア 事前抑制
 事前抑制は、表現がそもそも思想の自由市場に出ないことから萎縮効果が大きすぎるとして、21条1項の趣旨から原則的に禁止と解するのが通説である。そして、事前抑制の中でも行政機関によってされる検閲は、事前抑制の中でも最も厳しい制約で萎縮効果が大きいため絶対的禁止(21条2項)とされ、規制の文言から直ちに無効(文面無効)と解されている。
 そこで、① 検閲とは何か、② 事前抑制が許容されるのはいかなる場合かについて判例の蓄積が見られる。この点、北方ジャーナル事件が名誉毀損表現を内容とする表現物の事前差止を問題としたのに対し、石に泳ぐ魚事件がプライバシー侵害を内容とする表現物の差止めを問題としたことに意識的でなくてはならない。というのも、名誉毀損表現とプライバシー侵害は真実と表現内容が一致するか否かで問題の前提が大きく異なり、よって判断枠組みの考え方も自ずと異なるからである。

税関検査事件(69)

 検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象として、一般的網羅的に発表前にその内容を審査し発表を禁止することである。

北方ジャーナル事件(68)

1 問題の所在
 出版社Yに対して北海道知事選に出馬予定のXについて苛烈な主観的評価等を記述した記事の出版を差止めを請求した事案において、出版物の事前差止が認められるかが問題となった。
2⑴ 表現物の事前抑制は21条1項の趣旨に徴して原則禁止と解するべきである。そして、裁判所による事前差止が検閲に当たらないことを前提に(税関検査事件)、どのような場合に裁判所による出版物の差止が許容されるか問題となる。
⑵ 表現の自由は人権規定の中でも特に保障されるべき重要な権利であるが、表現は外部行為を伴うから公共の福祉等による必要最小限度の制約を受ける。その制約は、差止請求の対象となっている表現物が、① その表現物から読み取れる事実に公共性がなく、又は② 出版することの目的の公益性がなく、又は表現内容が事実でないことが明白で、かつ④ 被害者が重大にして回復困難な損害を被るおそれがある場合に限り、裁判所による出版物の事前差止が憲法上の要請に適合して認められると解するべきである。
刑法
名誉毀損
第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀き損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
(公共の利害に関する場合の特例)
第二百三十条の二 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない
2前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない

石に泳ぐ魚事件(62)

1 問題の所在
 実在するXと多数の特徴が一致するモデル小説によるプライバシーの侵害を理由とする出版の事前差止が認められるか問題となった。
2 表現の自由は人権規定の中でも特に保障されるべき重要な権利であるが、表現は外部行為を伴うから公共の福祉等による必要最小限度の制約を受ける。
 そこで、裁判所による出版物の事前差止が許されるのは、① 侵害行為が明らかに予想され、② 差止めることによる被害者の利益と、差止められることによる加害者の不利益を衡量して、被害者が重大な損害を被るおそれがあり、③ その回復を事後に行うことが著しく困難な場合であると考えられる。

イ 事後規制
 事後規制としては、刑法の名誉毀損罪(刑230条)や侮辱罪(刑231条)、民法の不法行為に基づく損害賠償請求(民709条)の成否が問題となる。
 つまり、上記の犯罪又は民事上の責任が成立するには、刑法上の保護法益又は民事上の権利利益が侵害されることが必要となるが、これら「右権利利益」と「21条権利」の距離感について意識的でありながら、これらの成否がどのような論理によって決せられたのか考察することが重要となる。
 この点、民事上の不法行為責任を追求した長良川事件において、名誉権及びプライバシー権の侵害について違法性阻却事由は個々の被侵害利益ごとに判断すべきであって、プライバシーの侵害について、① その事実を公表されない法的利益と、② 公表する理由とを比較衡量して判断するべきとの一般論を示した。これらの着眼点は相関関係説と近似しており、侵害の違法性を被侵害利益の内容及び性質、具体的態様及び程度を衡量して判断しようとしているのではないか。名誉権については刑法230条から枠組み設定が可能である一方で、プライバシー権侵害については権利侵害の違法性を検討する場面でよく用いられる一般論に依らざるを得なかったと推察できる。

夕刊和歌山事件(64)

1 問題の所在
 夕刊和歌山時事を編集及び発行している被告人の言論活動(記事に競合出版社について不利益な内容を記載する行為)が、刑法230条の2により名誉毀損罪不成立とされるかについて、230条の2の解釈が問題となった。
2 刑230条の2の意義と憲法論
⑴ 最高裁判例
 刑230条の2は、刑230条の構成要件に該当した(客観的な行為は他人の名誉を毀損した行為で違法性と有責性が推定される)場合であっても、一定の場合(230条2の事由)を満たせば名誉毀損罪で罰しないことを規定しているが、罰しないとは行為の違法性を阻却するの意味か処罰しないの意味か解釈が分かれるところである。
 この点、最高裁は、230条の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和を図ったものというべきであり、これら両者の調和と均衡を考慮するならば、事実について真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損は成立しないものと解するのが相当とした。
⑵ 刑法230条の2の整理
 「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀き損した者は、その事実の有無にかかわらず(刑230条)」、名誉毀損罪として処罰される。このことを前提に、刑230条の2は、① 事実の公共性、② 目的の公益性、③ 事実が真実であることの証明を要件として、刑230条の罪で罰しないと規定する。
 この罰しないの意味は、刑230条の2が、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和を図ったものであることや、刑法上の違法とは法益侵害が社会的相当性を逸脱することにある(行為無価値論)などを踏まえ、上記の要件を満たす名誉毀損表現は違法性が阻却されることをもって罰しないと解するのが一般的である。
 さらに、③ の要件について、加害者が事実が真実であると錯誤(真実性の錯誤)していた場合が問題となる。このような場合、違法性阻却事由の存否について錯誤しているから責任阻却の問題として取り扱うことができるし、刑230条の2の趣旨に照らしても、真摯に事実が真実であることを信じたゆえの言論活動は故意責任(反対動機形成可能であったにもかかわらずあえてその行為をしたことに対する非難可能性)を課しえないという考えにもなり得る。
 であるなら、加害者が事実が真実であると錯誤していた場合でも、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損は成立しないものと解するのが相当であると解するべきである(夕刊和歌山事件)。

ノンフィクション「逆転」事件(61)

1 問題の所在
 ノンフィクション作品として出版された「逆転」のなかでXは、実名で傷害事件で実刑判決を受けたことを公表され、出所後はバス運転手として生活を送っていたXはプライバシーの権利を侵害されたとして、民事裁判似て不法行為を理由に損害賠償請求した。
 そこで、このような事実関係の下でXの権利侵害が認められるのか、もし認められるとすれば当該侵害行為は損害賠償請求を認めるに値する違法性のある侵害行為なのかが問題となる。
2 検討
⑴ 権利侵害
 前科等の事実は、その者の名誉あるいは信用に関わる重要な事項であるから、みだりに前科等に関わる事実を公表されない法的利益を有するものというべきである。この点は、前科等に関する事実を公表されない利益は13条によって保障される又は趣旨に照らして尊重するに値する法的利益であるという理解と共通する。
 そして、最高裁は、公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではないとして、憲法における前科等に関わる事実を公表されない利益と民法上の権利利益が共有点をもつことを認め、具体的事実の下で権利侵害を認定した。
⑵ 違法性
 出版社による権利侵害が認められたとしても、そのような権利侵害行為が違法であると認められることが民法709条の要件となっている。そして、問題となっている行為が違法性を有するかどうかは、① 実名も併せて公表することの必要性や、公表されることで侵害される利益の性質及び内容、公表することによって生じる具体的な社会的影響等を衡量して、② 前科等に関わる事実を公表されない法的利益が表現の自由を優越すると考えられる場合に違法であるとして損害賠償を認めても表現の自由に対する必要かつ合理的な制限として認められる。
 つまり、判断の構造としては、第一義的には、表現の自由とプライバシー権の比較衡量であって、その内実は、プライバシー権侵害の相当性を、必要性と被侵害利益の性質及び具体的侵害態様の側面から衡量判断している(相関関係説)。
⑶ 小括
ア 本件において、権利侵害の認定の際には、権利利益を前科等に関わる事実を公表されない権利利益を内容とするプライバシー権に特定し、その権利の性質及び内容について憲法と民法でそのまま接続させた
イ 違法性の認定では、対立利益の衡量という違法性の一般論を土台に、一方の法益優越という理由づけのために相関関係説を用いた。権利侵害は必要かつ合理的な範囲では認められるという場面で、その権利侵害が社会的相当性を欠き違法であるとの帰結を導く上で明快かつ汎用性の高いロジックになっている。

⑶ 文面無効
 文面無効の法理は、刑罰が告知機能を十分に発揮しなくては、国民に対する萎縮効果が大きく、自由主義に基礎付けられた私的自治の原則を動揺させるという理解から、31条を直接の根拠に導かれる法理である。この理解を、21条1項が憲法の価値秩序、すなわち、この権利が近代立憲主義国家において最重要の価値であることを踏まえて、21条1項を直接の根拠として、刑罰法規の文面無効(31条)の法理を、表現の自由(21条1項)の規制立法にも妥当させた
イ 明確性の原則
 表現の自由における明確性の原則、すなわち文面が漠然不明確ゆえに無効という法理は、31条の刑罰の適正手続と趣旨を共通にするもので、表現の自由の権利の性質としての重要性に鑑みて、21条1項を規制する立法は明確性を有しなければならないとする法理である。
 では、明確性の原則がどの程度の「明確性」を要求しているかについて、最高裁は、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものか判断ができる基準を読み取れない刑罰法規は、刑罰法規として要求される明確性を欠くものとの指摘が参考になる(徳島市公安条例判決)。

徳島市公安条例事件(83)

 明確性の原則は、① 通常の判断能力を有する一般人の理解において、② 具体的場合において当該行為が法の適用を受けるか判断できる基準を読み取れるもの、といった判例の定立した判例法理は広く認知されるところであるが、上記の二要素を取り入れるに至った経緯を判決文から探究したい。
 徳島市公安条例は刑罰法規であるところ、刑罰法規が不明確で告知機能を果たさないようでは、市民生活に対する萎縮効果が大きく、自由主義に基礎付けられた私的自治の原則が動揺する。したがって、司法作用が具体的事実の確定と法(刑罰)の適用という過程を経ることから、具体的にどのような行為が法適用を受けるのかといった基準が読み取れなければ、告知機能を果たし市民を不当に萎縮させない明確な法規とはいえない。
 また、一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるだけでなく、性質上多かれ少なかれ抽象性を有さざるを得ないのだから、禁止される行為とそうでない行為の区別基準といっても、必ずしも絶対的なものを要求することはできないから、合理的な一般人の判断を必要とせざるを得ない
 以上から、明確性の原則は①と②の要素を要求する。

ウ 過度の広汎性ゆえに無効の法理
 規制が明確性の原則に則っているとしても、規制目的との関係で過度に広汎な対象にまで規制を強いている場合、本来許されるべき行動が規制されていることになるため、刑罰法規や表現の自由に関わる規制については文面無効とする。
 思うに、規制立法の過度広汎性を問題とするならば、このような実体法上の問題は、規制立法そのものが相当性を欠くとして違憲とすれば足りるのではないか。そうであるならば、過度の広汎性ゆえに無効の法理はどのような独自の意義を有するのか探究しなくてはならない。
 この点、過度の広汎性ゆえに無効の法理をとったと理解されている広島市暴走族追放条例事件が、続いて合憲限定解釈をとっていることに注目して、過度の広汎性ゆえに無効の法理は規制立法の違憲無効を回避しつつ、合憲限定解釈とともに用いることで規制立法を可能な限り維持して、刑罰法規と表現の自由規制立法が違憲判断の厳しい目に晒されることとの均衡を図ったと理解できるのではないだろうか。

⑷ 合憲限定解釈
ア 合憲限定解釈とは、ある法令につき複数の解釈が可能である場合に、そのうち最も憲法に適合する解釈を採用し、当該規制立法を維持する法解釈の手法である。
イ 規制立法につき過度の広汎性ゆえに無効の法理により文面無効とされた場合、当該規制立法の趣旨より、規制対象をその一部に選択・限定して解釈することで、当該立法の合憲性を維持することができる。
 もっとも、合憲限定解釈(特に、条例中の定義規定と異なる解釈をする場合(広島市暴走族追放条例事件))は、条例の粗雑な規定の仕方が、単純に立法技術が稚拙であることに由来するものであるとの認識に立った場合に、初めて首肯されるものであって、との広島市暴走族追放条例事件における藤田反対意見が参考になる。
 また、裁判所は、法律の文言や立法目的を超えた解釈をすることはできない。これを超えた解釈は裁判所が新たな立法行為をするのと同義であるとの小山剛の指摘も参考になる。

税関検査事件(69)

1 検閲(21条2項)の意義と当てはめ
 検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象として、一般的網羅的に発表前にその内容を審査し発表を禁止することである、といった一般論を展開し、関税徴収の際に水際で「猥褻」と考えられる表現物の輸入を阻止することは、その表現物は国外ですでに発表済みのもので一切の発表の機会を奪うものではないから、当該対象物を一般駅網羅的に発表を禁止する検閲に当たらない等の理由づけで、21条2項該当性を否定した。
2 21条1項の制約の合憲性
 国民の文化的な生活を保障することも使命とする近代国家において善良な性風俗を維持することも25条の趣旨に徴して重要な目的の一つであって、このような公共の福祉による21条1項の制約は必要かつ合理的な範囲で許容されるとした。
 そして、関税徴収にあたり猥褻な表現物の輸入を阻止する処分は必要やむを得ない制約であるとした。
3 文面無効
 21条1項のような重要な権利を制約するには、① 禁止する法令の文言が、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象になるかどうかの判断の基準を読み取れるものでなくてはならないし、② 合憲的に規制しうるもののみが規制の対象となっていることが明らかでなければならない。
 当該法令においては「風俗を害すべき書籍」の意義が明確性の原則(21条1項・31条)に違反するのではないかが問題となったが、「風俗を害すべき」とは「猥褻」な書籍であることは社会通念上共通の認識であるし、「猥褻」の意義についても判例の蓄積もあり不明確とはいえないと判断した。
 この点、判例が蓄積され「猥褻」の意義がある程度一義的に定まるため問題ないとした最高裁の判断には疑問が残る。というのも、法規の明確性は、国民の予測可能性を担保し萎縮効果をなるべく除去することにあり、文言の解釈は一般的な国民の理解によってされるのだから、「猥褻」の意義について判例の蓄積があり、司法関係者の共通理解が促進されていることは、法規の明確性を説得的に説示するのに必ずしも効果的であるとはいえないのではないか。

全農林警職法事件(141)

都教組事件

全司法仙台事件

1 二重の絞り論による合憲限定解釈
 都教組事件及び全司法仙台事件は、公務員の一切の争議行為を禁止して、違反者には刑罰を課す法令を二重の絞り論という合憲限定解釈の手法により維持する判決を打ち出した。つまり、二重の絞り論とは、法令が、争議行為の中でも法律が禁止の対象としているような違法性の強い一切の争議行為を処罰の対象としており(一重)、かつ違法な争議行為の中でも刑罰を科すに値する一切の争議行為についてのみ処罰の対象としている趣旨である(二重)と限定的に解釈をして、法令違憲の判断を避けた。
2 141事件
 上記のような解釈手法により、公務員の争議行為を内容とする労働基本権に一定の限度で制約を認めつつ、強い違法性をもたず刑罰を科すに値しない争議行為まで法令で禁止することは違法であるとの最高裁の立場が維持されていた。
 しかし、141事件で、最高裁は、労働権を自由権に比肩する重要な権利であるとの解釈を打ち出した全逓中郵事件を踏襲して、公務員でも労働基本権の制約は必要最小限度でなければならないとの書き振りは残したものの、端的に言えば、① 財政民主主義、② 市場抑制力の欠如、③ 代替措置の存在の存在を理由に、公務員の一切の争議行為を禁止することは必要最小限の制約であるとして、公務員の一切の争議行為を禁止する法令を合憲とした。

⑸ 内容規制内容中立規制
ア 内容規制
 表現行為の内容によって制約することは、言論を言論市場から締めだすことで、その性質から公権力が民主主義を機能不全とするために濫用される危険があるから、内容規制の合憲性は特に厳格な審査に服する。つまり、制約に対して、制約の目的がやむに止まれぬ利益を保護するためのものであって、手段として必要最小限度であることを求めることが多い。(厳格審査基準)。
 その中で、明白かつ現在の危険の基準という判断方法も、アメリカ連邦裁判所判例から引用されて市民権を得ている。この基準は、制約が、① 害悪発生の危険性が明白で、② 重大な害悪の発生が切迫していて、③ 手段が必要不可欠(是非とも最小限度)なものであることを要求する。
 つまり、表現の自由に対する制約のうち内容規制の合憲性判断では、「厳格審査基準」と「明白かつ現在の危険の基準」を中心に基準を構築していくことになり、必要性は目的の最重要性や害悪発生の明白な蓋然性の有無を審査し、手段の相当性は最小限度性を最も厳格に捉えて必要不可欠といえるかを審査する、公権力に対してかなり厳格な基準の構築が求められる。

・ブランデンバーグ・テスト

 ブランデンバーグ・テストは、上記の二基準に共通性を有するアメリカ連邦裁判所によって使用された基準である。ブランデンバーグ・テストが提示された経緯は、上記の二基準が東西冷戦時代におけるアメリカ国内での言論統制の必要性から、害悪発生の切迫性を骨抜きにして多くの規制立法を合憲として、他面で言論の自由を過剰に制約したことの歴史的反省として、「明白かつ現在の危険の基準」を「言論内容が直ちに違法行為を引き起こそうと訴えるもの」であることを要件として追加して再構成するに至った。
明白かつ現在の基準 ブランデンバーグの基準 正当(十分に重大)目的

・定義づけ衡量論

 表現の自由の内容規制について、あらかじめ制約が合憲とされる表現内容を類型化し、それらを21条1項の保護対象から除外するという判断方法を定義づけ衡量論という。定義づけ衡量論によって類型化された表現内容(例えば、猥褻表現や名誉毀損表現)については、法的議論の比重は規制の合憲性になく、それらに対して科す刑罰の軽重などへ移行する。
 今日では、法改正によってヘイトスピーチの規制についても妥当する可能性が指摘されている。

イ 内容中立規制
 表現行為の時、場所、方法に着目してする規制(内容中立規制)は、他の時、場所、方法によって表現活動することまで規制されているわけではないから、表現の内容規制に比べて言論活動に対する萎縮効果が大きくない。このことから、表現の内容中立規制は内容規制に比べて緩やかな審査が許容されると考えられており、この時に用いられる審査基準は中間審査基準(通常審査)される。
 中間審査基準は、① 規制の目的が正当(十分に重要)なものであって、② 手段としてより制限的でない他の選びうる手段がないかどうかで審査すると考えるのが一般的である。

大阪市屋外広告物条例違反事件(55)

1 判例
 判例は、営利的表現物である広告物の掲示(ビラ貼り)を、大阪市の美観風致及び市民の身体の安全のために制約することは、国民の文化的生活を保障する責務を負っている現代国家においては公共の福祉による制約として認められるとして、基準に触れる一切の広告物を禁止する条例を合憲とした。
2 検討
⑴ ビラ貼り行為は、思想等を伝える行為であって、それが営利的な内容に関する表現物を広告することであったとしても、21条1項で保障されている表現行為と何ら変わらない。
⑵ 本件条例は、条例の基準に適合しない一切の屋外広告物の掲示を禁止しており、国民の21条1項で保障されている表現の自由を制約している。このような、市の美観風致や市民の身体の安全のための規制は、国民の文化的生活の保障を責務としている現代国家(25条2項)において、公共の福祉による制約として肯定される。
⑶ ア 条例によるビラ貼り行為の禁止が許容されるとしても、21条1項が立憲主義国家において重要な権利であることを鑑みれば、その制約は必要かつ合理的なものでなくてはならない。
 特に、ビラ貼り行為は、これから事業を営もうとする資金を潤沢に備えていない経営者が、少ない費用で自らの営業内容を告知するための重要な手段であるし、事業活動において広告活動は必要不可欠な行動であるが、このような広告活動は、広告内容と並んで受け手が誰であるかが非常に重要な関心ごとであり、ビラ貼りによって想定される受け手を、他の手段によっても維持することは相当に困難であって、このことは事業活動の存続において少なくない影響を与える事柄である。
イ であるなら、営利的表現を内容とするビラ貼り行為を条例によって禁止するならば、① 禁止の目的が重要な利益であって、② 手段が目的達成のために是非とも必要不可欠なものでなくてはならない。
⑷ア これについて本件を見るに、屋外広告物禁止条例は美観風致や市民の身体の安全を目的としたものであって、25条2項の責務を負う国家において重要な利益の保護を目的としているといえる。
イ 手段が必要不可欠なものであるかどうかは、禁止される権利の内容及び性質、具体的な禁止の態様及び程度等を総合的に考慮して、他により制限的でない手段がないといえるかどうかで判断する。
 本件条例は、基準に適合しない広告物の掲示を一切禁止するものであって、事業活動をしようとする経営者や会社にとっては強い制約になる。また、当該地域において一切のビラ貼り行為が禁止されることは、そ広告内容を表現する機会を一切奪われることに等しい場合もあり、その点で条例による規制は21条1項の内容規制に匹敵する強度なものでもある。そして、違反者に対して刑罰法規を適用していることで、21条1項の自由に対する萎縮効果は小さくない。
 一方で、営利的表現物の規制と美観風致等の利益を調整する方法として、観光地の広告物のデザインを変更したり、デザインは維持しつつも色彩を温和なものに変更したりする自治体も存在する。
 以上を踏まえれば、営利的広告物の掲示を一切禁止する本件条例は、他により制限的でない手段のない必要最小限度の制限ということはできず、21条1項を不当に制限するものであって違憲である。
⑸ 文面無効を審査するにあたり、規制が不明確又は過度に広汎ということまではできない。

駅構内でのビラ配布と表現の自由(57)

1 判例
 最高裁は、吉祥駅構内で駅係員の許可なく政治的意見を内容とするビラの配布と演説活動をした被告人に刑法130条等の犯罪成立を認めた事案で、被告人側の憲法21条1項に違反するとの違憲主張を、21条1項の行使であっても他人の財産権を不当に侵害することは許されないとして排斥した。
2 検討
⑴ 問題点
 最高裁は、合憲判断の理由中で財産権の不当な侵害は許されないと述べるにとどまり、本件被告人のした行為が不当であるか、さらには可罰性のあるものかの判断について触れていない。そこで、これらについて検討を加える。
⑵ 私見
ア 被告人のした行為が不当であるか、さらに不当であることを前提に可罰性があるかという問題は、裁判所の本件の違法性に対する審査密度の問題であるから、審査密度という基準の濃淡により不当性ないし可罰性が認められるという結論の差異は度外視しつつ、その基準定立の段階で考慮すべき要素について言及したい。
イ 一般公衆が自由に出入りできる場所におけるビラ配りを内容とする表現行為は、自己の主張を多数人に伝達する有効かつ簡易な手段であることは無視できず、このことから、パブリックな場所での表現活動は、管理権や財産権との比較衡量の中で違法性や可罰性を決するべきと考えられる(パブリックフォーラム論)。
 これについて本件を見るに、駅構内は駅長の管理権が幅広く認められる場所であり、被告人のした活動の態様等を考慮すると、本件における最高裁の決定は正当と認めるべきである。

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