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違憲審査基準論(三基準)

本稿は、憲法(芦部・高橋)、事例問題起案の基礎(岡山大学)、判例百選(第7版)などを参照している。

1 はじめに
 そもそも違憲審査とは何か、なぜ違憲審査という概念が存在するのか。立憲的国家の運営において法の支配の原理は不可欠の要素である。そして、このことは立憲的統治構造を選択している日本においても同様である。そして、法の支配は、国民にとっての制限規範は国民自ら国会で制定するといった国家作用の形式のみを捉えた法治主義の理論とは別に、民主主義醸成の文脈で裁判所による立法府に対する監視的要素を違憲審査制度として統治理論に組み込んだ。したがって、裁判所には違憲審査権の行使によって国民の権利利益を国家権力から保護することが期待されている。
 一方で、立憲的国家は権力機構を制限し、もって国民の人権保障の実現を目的としている。そして、権力の制限は伝統的に権力分立によって実現されるとされていることから、立法権・行政権・司法権といった三権の抑制と均衡関係を維持することがとりわけ重要である。したがって、裁判所の違憲審査権の行使は不当に立法権や行政権を抑圧するものであってはならない。
 このような裁判所の役割を踏まえ、裁判所の違憲審査権を行使する場面を考察するにあたっては、どのような場合に違憲審査権の行使を認めるかといった裁判所という行使主体に対する分析と、違憲審査権の行使を認めた上でその厳格性の分析が主な関心事となる。本稿では、違憲審査基準の類型化は利益状況の多様化する今日では困難で妥当性を欠きうることを承知の上で、その定式化に紙面を費やしたい。
2 二重の基準論の限界と相関関係説
 違憲審査権の行使が人権擁護のために行使されることから、侵害される人権に注目して審査基準の厳格性を決定するアメリカの判例法理が日本の最高裁にも影響を与えたと考えられている。この判例法理は、人権を経済的自由権と精神的自由権に二分して審査基準の厳格性を決定することから二重の基準論と呼ばれている。二重の基準論は、精神的自由権は立憲的憲法の価値秩序に徴して経済的自由権に比して尊重されるべきで、精神的自由権に対する権力による制限は厳しく審査するという示唆を与えているという点では有用である。しかし、人権を経済的なものと精神的なものに二分するという分類方法は、今日のように権利利益が多様化した中で妥当性を欠くことも多い。
 そこで、基準の厳格度を、① 制限される人権の性質(経済的か精神的か)及び内容と② 制限の態様によって相関的に決定するという考え方がとられるようになり、この相関関係説は最高裁の判例に親和的である。これは、制限される人権の側と、制限の態様という要素を通して制限側から基準を決定しようとする点で二重の基準論よりも多くを考慮に入れている。
3 違憲審査基準論と比較衡量論の接続
⑴ アメリカの判例法理とドイツの判例法理の接点
 アメリカの判例法理の影響を受けた二重の基準論は被侵害利益に着目して基準の厳格度を決定する法理論である。二重の基準論のように審査基準を類型化するアメリカの審査基準論は、具体的な事案の解決にあたって硬直的であるとの批判があった。これに対して、ドイツの判例法理は具体的な事案において対立利益を抽出し、特徴的な考慮要素を並べ総合考慮する比較衡量論を示した。最高裁でも、未決勾留者の表現の自由を制限する行政立法の合憲性判断にあたり、① 制限の目的の必要性、② 制限される権利の性質及び内容、③ 制限の具体的態様及び内容を総合的に考慮するとの指針を提示し比較衡量論の影響を示唆した。しかし、比較衡量論に対してもアドホックな対立利益や考慮要素の抽出に裁判所の恣意が働くなどといった批判がある。
 これらの異なる法命題に接続点を見出すとすれば、これらがいずれも比較衡量の産物であるということである。ドイツ判例法理の比較衡量論が比較衡量の産物であることは同義反復であるが、アメリカ判例法理の意見審査基準論にも同様の比較衡量的性質を認めることができる。
 審査基準論は、基準の厳格度を決定するにあたって権利の性質及び内容と具体的な制限の態様に着目し、主に三種の基準を使い分ける。そして、上記の要素に注目して設定された基準では、制限の目的と手段についてその重要性や最小限度性について考慮して合憲性の判断をする。このような思考過程では、第一に権利の側から基準設定を試み、第二に制限の側から目的手段審査によってその合憲性を判断するという双方向的な考慮がなされており、その点で比較衡量論と近接する。一方で、基準設定が権利の側からのみされるから、真の意味で対立利益を比較衡量しているとは言えないことに留意すべきである。
 以下では、審査基準論に比較衡量論のもつ柔軟性が備わっていることを認め、本稿の違憲審査の類型化という目的を達するために違憲審査基準論に軸足をおいて議論を展開したい。
⑵ ベースラインとしての「厳格な合理性の基準(精神的自由権)/中間審査基準(経済的自由権)」
 「基準」と言う語の解釈の仕方によってベースラインという存在の有無は異なるが、違憲審査基準においてはベースラインが観念できるのではないか。なぜなら、特に自由権の制限を取り上げて考えると、自由権の制限は、原則的に公共の福祉に基づく必要最小限度のものであるべきであり、これを出発点として緩和の可能性を議論すべきだからである。
 もっとも、自由権の制限であってもそれが精神的自由権か経済的自由権であるかでその内実を異にする。というのも、精神的自由権は基本的に制限すべきでないとの憲法的な価値判断が働くが、経済的自由権は財産権などをはじめとして制限を受けることが憲法であらかじめ想定されているからである。
 では、ベースラインとしての審査基準をどのように整理するべきか。伝統的にはこれを制限の目的と手段に分けて整理する。そして、ベースラインとなる審査基準は、① 目的が重要なものであって、② その手段に他にとり得るより制限的でない手段が存在しない(LRA)ことを要求する。そして、LRAは、手段が目的との関係で実質的関連性を持つという必要十分性を有することを求め、精神的自由権においては違憲の推定を働かせ(厳格な合理性の基準)、経済的自由権においては合憲の推定を働かせる(中間審査基準)。
⑶ 精神的自由権の制限におけるベースラインの昇降
 精神的自由権の審査基準は、第一に目的の段階で上下にベースラインを昇降でき、第二に手段においても異なる基準を適用することができる。
 まず、権利がより高次である場合、すなわち目的が「真にやむを得ない利益(必要不可欠な利益)」である場合を考える。ベースラインの「重要な目的」と異なり、「真にやむを得ない利益」は他の憲法上の権利を犠牲するに値する絶対的な利益であり、例えば多数人の基本権(泉佐野市市民会館事件)や選挙の公正などがあげられる。これに対して重要な目的とは、他の憲法上の権利を犠牲するに値するが相対的な利益であり、例えば環境権や景観などがこれにあたる。前者の場合に採られる基準を「厳格な基準」と呼ぶ。「厳格な基準」と「厳格な合理性の基準」はどちらも他の憲法上の権利を犠牲にするに値する目的であるが、その手段は必要最小限度でなければならない。その最小限度性は裁判所がどこまで介入できるかといった裁判所の役割に依拠して決せられ、裁判所側から手段審査をするのが厳格の基準における最小限度性であり、制限側の専門的・技術的観点からも最小限度性を肯定するのが厳格な合理性の基準における最小限度性である。
 また、制限される権利の擁護性が高くないとき、制限の目的が正当であれば良いとする「合理性の審査基準」をもっとも緩やかな審査基準として定立することができる。「目的が正当」とは、その目的が憲法秩序に反しないということでかなり広汎な制限を許容する。そして、このような目的達成のための手段は、目的達成との関係で合理的関連性があれば良いとされる(猿払事件)。では、合理的関連性のある手段とはどのような手段であるか。上記の「厳格な基準」と「厳格な合理性の基準」はLRAな手段であるとされ、これは目的との関係で実質的関連性があることを要求され、合理的関連性が抽象的な命題の論理的接続によって説明できるのに対し、実質的関連性は抽象命題に加えて事案に特徴的な要素も考慮して実効性が認められるか説明しなくてはならない。当然、合理性の審査基準は裁判所が違憲審査権を積極的に行使すべきでないとの司法消極的姿勢が、厳格な合理性の基準と同様に又はなお一層反映されていることは言うまでもない。
 手段審査でなぜ裁判所の統治機構における役割を考える必要があるのか。すなわち、裁判所は手段審査をするにあたってあらためて三権分立に立ち返って積極的又は消極的司法の姿勢を正さねばならないのか。それは、目的が法の中に目的規定として埋め込まれる司法の対象になり得る要素であるのに対し、手段は具体的な政策など本来的には行政権や立法権の専権にある要素であるから、このような専権に踏み入るにあたっては裁判所の三権分立における役割を再確認する必要がある。
⑷ 経済的自由権の制限におけるベースラインの昇降
 経済的自由権は、精神的自由権でいう「厳格な審査基準」と言うものが存在しない。「厳格な審査基準」は、制限が真にやむを得ない目的の場合に限り制限の扉を開放する基準であるが、経済的自由権は憲法で公共の福祉を理由とする制限が前提とされており、目的審査を厳格な審査基準ほど高く設定するのは憲法秩序的ではない。したがって、経済的自由権の審査基準は、ベースラインを基準に下降させるのが思考過程として一般的である。
 そして、ベースラインの一段階下にあるのは合理性の審査基準であって、制限の目的が正当なもので憲法秩序に反しない場合であって、その制限が手段として合理的関連性があると認められるときに、適法な制限として許容される。
 もっとも、最高裁は小売市場判決で、規制立法が著しく不合理であることが明白であるとの「明白の原則」を法命題として定立するなどして合理性の審査基準よりも緩やかな審査基準を定立するなどして事案に応じた解決を図っている

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