MY STORY NO.7
【作業科学(Occupational Science)ベースで地域を耕す】
先日、作業科学(Occupational Science;OS)の学術誌、Journal of Occupational Scienceの創始者Ann Wilcock(アン・ウィルコック)先生が旅立たれた。
作業科学とは、「作業的存在」として人間を探求するための社会科学および行動科学における学術的分野である。(Zemke &Clark,1996)
この学問は、行動科学(behavioral science)や神経科学(neuroscience)の影響を受け、医師や文化人類学者など多様な学問背景を持つ研究者や実践家が作業について日々探求しており、作業療法などの医療分野だけではなく、教育・福祉・政治などにも応用可能な知識を生み出す可能性があるともいわれている。
作業療法や作業療法理論は、作業を治療として用いるための考え方や方法であり、作業科学が基盤となっている。
作業には、人の人生を左右したり、人の一生を方向づけたり、まずやってみること(Doing)の重要性などのPowerがある。
仮に、私たち日本の作業療法士が“沈みゆく日本の地域社会”に出て、作業科学を武器に地域社会を耕すことが少しでもできるとしたら、社会はどう変わるだろうか?
そして、尊い子どもたちの過ごす未来の日本はどうなっているだろうか?
アメリカの哲学者John Dewey(ジョン・デューイ)は、子どもが実験や体験を通して学ぶことの重要性を説いている。
現代でいうとアクティブ・ラーニングやワークショップなどの体験型と言われるものもそれに当たると思う。
物理的なモノではなく、コト(作業を経験すること)に価値をおきつつある時代に、テクノロジーが進み物への価値が少なくなってきたと同時に、過去にはあたりまえにあったコトの経験不足を補う必要が出てきたのかもしれない。
発達障がい、精神障がい、認知症、いじめ、引きこもり、孤独死などの様々な社会問題に対して、経験不足を補うのである。
私は、作業科学という学問の考え方を使って社会的起業という道を選択する。
この選択が良かったか、良くなかったかは、今はまだわからないし、是か非かの二元論で考えること自体が間違っているのかもしれない。
ただ、自分がこの道で人生を生きぬく覚悟をした理由の一つに、少くとも自分が作業的存在であると認識している作業療法士であることが起因していることは間違いない。
だとしたら、先のアン・ウィルコック先生の考えた可能性を模索しながら、自分もこれからの人生を生きてゆきたい。
目的としての作業(行うことそのものに喜びや生きがいを感じる)と手段としての作業(別の目的を達成するために行うもの)を使い分けながら、
作業科学ベースで自分の人生をデザインし、社会的起業という手段を使って、子どもたちや地域の人々の安寧と幸福の実現という目的に少しでも寄与できればと思う。
これからの自分の人生を見据えた時、日本に生きるみなさんはどういう道を選択されますか?
My deepest sympathy.
Art & Science.
Occupatinal Justice.
Occupational Rights.
The Occupational Therapy!!