会計学は柔らかい学問
この4年間、
いろんな角度から会計学という学問に触れてきていて、ずっと思う。美しい学問だと。
今この「美しい」は完璧さを表す美しさではなく、
むしろもっと泥臭い、
人間味のある美しさであると今は思っている。
勉強したての頃に感じた美しさは、
どちらかといえば、
「完璧さ」に近い美しさだった。
簿記をはじめとして、もの凄いからくりだと思った。
こんな発明的な体系を考えていった人たちは天才だと感じた。
そして、いろんなことを学んでいくうちに、
この「美しさ」の中身がだんだんと分かるようになってきた。
それにより以前まで強く感じていた、
会計学の体系が創ろうとする「完璧さ」の美しさが
全く拭い去られたわけではなく、
新たに会計学の「柔らかさ」を感じるようになったのだ。
会計がこのような美しいからくりをつくることができるのは、
会計が固い秩序に守られた体系だからというわけではないのだということ。
むしろ柔らかく、柔軟で曖昧で不確実性をも孕む、
人間の"認識"というものの上に成り立つ体系をもっているからだ。
そして、"認識"というものである以上、
それはまるで言語のようなものでもあること。
語ることと、語らないことがある。
会計はそれらの大量で複雑な事象を、
極限まで抽象化して要約する表現能力を持った、
「事業の言語」である。
非人間的な、無機質な学問なんかではなかった。
人間活動が作り出したモノやコトの「価値」に、
論理的に触れていく学問だと感じている。
だからこそ、一見成熟した領域のようにも思われるが時代とともに常に揺らぎ続け、
発展の余地を大いに残している学問だといえる。
そしてこの発展が、
経世済民(世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと)の基礎となり、
世界を救うと私は本気で信じている。
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