毛玉
日記みたいなの
観想的な
掴めない世界
寝て起きたあとの記憶のこと
中途半端な話
何かにつけて言葉にしたがっていた。 思い出す。 「言わぬが花」といえども私は、 その花すらどんな花であったのかを言葉にしたがっていた。 花も、言の葉も同じ水を飲んで育ってるんだからいいと思う、と私はあなたに話した。 するとあなたは、 微笑みながら共感した様子で、 土を一度ほぐしてあげるといいわよ、 と教えてくれた。 それはまるで雨水のごとき私の言葉をぜんぶ吸ってくれるあなたが、 あなた自身の秘密を教えてくれているみたいだった。 でも、私の育て咲かせたものたちは
秋の夜をゆっくり歩いた。 ぼーっと見つめた先に鳥の羽が落ちていた。 視線は下を向いているのに。 頭の中は空にある—— 星屑が光を散らす。 それは星にはえた羽のよう。 わたしは今宵柔らかな羽に包まれている。 たくさんの星たちから降り注ぐ光。 地上を歩くわたしの影は幾重にもなって映る。 それはまるで星たちがわたしに羽を授けたように。 不思議と足取りは軽い。 空のほうに重力があるみたいに。 宙の星に落ちていくみたいに。 このままわたしも星になってしまおう。
遠い国、とーっても遠く離れてて、 こんな広い地球で何十億人といる中であなたは1人で、 僕という1人からあなたという1人に、紙書いたその文字のおかげでしっかりとその手渡っていること。 そしてそれは、ついこの間まで日本にいる自分の手元にあったものなのだということを思うと感慨深い。
絵本のような風景が広がる日々を贈っていますか。 あたたかな想いが巡る日々をありがとう。 声に乗せて、文字に乗せて、 想いは届くと思って今日もうたい続けましょう。 ・ さわやかな空の下を今日も歩き続けていますか。 一歩一歩進む力を与えてくれてありがとう。 足跡をつけていく場所は違うかもしれないけど、 つま先の向いてる方向は同じだから同じ空を見つめていきましょう。 ・ たくさんのひとたちの笑顔が浮かぶ思い出に囲まれていますか。 心を解きほぐして優しい気持ちにさせてくれ
頑張り方の正解はないけど、 自分にとっての頑張り方の正解はあるんだろうなあ。 こういうふうに取り組むべきだ、 ああいうようにやるべきだっていろんな人たちがいうから、 誰の言ってることを信じればいいのか分からなくなる時もあるけれど、 それだけ強く主張してくるっていうことはその人にとってはそれがうまくいった方法だったいうのがわかる。 もしかしたら効率的なもの、非効率なもの、長期的な成果を出すもの、短期的な成果を出すもの、周りからも頑張っているように見えるもの、周りからは頑張
今いる他人の身体で僕が生きているという意識がないのと同じように、 自分が産まれる前の世界の誰かの身体で僕は生きたという意識はない。 だから、産まれる前ないしは死んだあとの自分の意識の所在は生きている今の僕には分からなくて、 それはその世にいないからじゃなくて、 僕じゃないからだ。 自分しか意識できないのだから、 前世なんてあってないようなもの。 不安になることは無い。 全ての恐怖は今世の自分限り。 死んでひとりぼっちなんて感じる自分もそこには無いんだから。 無と
何を食べたらいいのか全然分からない。 頭の中はいつもぼやけている。 冷たい空気を吸ってやっと窮屈な脳みそが緩む。 くっきりと先が見通せるわけでもないが、 何もかもが目の前を過ぎ去ってゆく。 今日も味もしない言葉をかじった。 足先にはサラサラとした感覚。風が戦ぐ 体温がゆっくり移動する。 僕は砂漠の夜のサソリを思い浮かべる。 ローマから遥か南へ逃げた3匹のうち1匹。 2匹は道の途中で死んだ。 ある夜に人間たちに見つかり、 火に追い詰められたとき、 パニックを起こ
いくら書いてもいい文章が書けない。 そんな書き終わりの心地。 自分の文章の在り方がたまに嫌になるときがある。 いつも通りことばにして自分の心と向き合っているつもりでも、 それはつもりなわけで、 僕の頭が言葉を知らないだけか、それとも向き合えていないのかのどっちか。 でも書いてみようって意気込んでから、いつも書いているわけではない。 どうしても書きたくなることがあるからふとしたら綴っている。 それはことばとして綺麗にして、 昇華したくなっている衝動の現れだ。 昔から
去年の4月に書いてたものを見つけた。 淡い恋をしてる文章だった。 ちょうど今もアメリカにいるみたいだからなんかわかんないけど懐かしいような気もする。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 4.26 子どもの頃きたみたいにわくわくしてる 僕はどこにも行かないけどね。 みんなスーツケース持ってどこに行くんだろうって考えながら歩いて、 みんなどんな気持ちなんだろう。 誰かに会いに行くのかな?とか、 行ったことない土地に飛ぶのかな?とか、もしかしたら慣れっこもいるのかなとか思い
夏が恋しいのは青が無邪気に明るいからだ。 全部、大正解だと言ってくれてるような晴朗な眺め。 今までの人生の後悔なんてどこ吹く風。 そうして飛ばされて、 行き着く海と空があの時のこころの全部だった。 沖つ潮風を感じ、心地よさに口元が緩む。 澄んだ瞳で遠く遠くどこまでも遠くを見つめる。 太陽がどこまでも、 ずっと先まで照らしてくれている気がするから。 あの海の向こう、 あの空の向こうから声がするから。 それは無邪気な青の存在。 ずっと追いかけていたあなたの姿。 ああ
ものごとを先回りして考えること。 いいようにも思えるが、 最近自分に対してこれが善くない方向に 働いているんじゃないかと考える時もある。 先回りをして考える時。 それが自分の心からのもの、 能動的な気持ちから生まれるものならいいのだが、 対"外"を気にして行うときの自分が嫌だ。 なぜなら、 そこで考えを巡らせる背景にはきっと自分の中で、 人に怒られないようにだとか、 文句を言われないように、 ミスを責められないようにと、 波風を立てず、そのためにどうにか最終的には、
朝、目が覚める前まで僕は、 夢の中でいっぱいの光を浴びていたはずなのに。 目が覚めてカーテンを開けると、 眩しくてびっくりした。 夢の中の僕から、現実の僕へ意識が移る時、 なにか大切なことが伝わるか伝わらないかの狭間みたいなものがある気がしている。 この感覚をもつ主語は夢の中の僕。 でも、それを捉えているのは現実の僕だ。 これを書いている僕はあくまで受け取り手だから、 正しいのか定かでは無いけど、 大切なこととは、例えば、 夢の中で泣いていた人は誰だったかとか、
旅をしたのは、ちょうど1ヶ月前になるのか。 帰りの機内、 どう頑張っても涙と鼻水が止まらなくなってる自分がおもしろかった。 ハンカチを左手に握りながら音楽を聴いていた。 目を閉じれば涙は溢れてこないかな、 そう思って目を閉じるけど、 目を閉じるとそこには貴方と旅した街と、 貴方の顔が映るからさらに涙が込み上げてきて仕方がない。 幸せと寂しさで感情が混ぜこぜになっていた。 昨年のクリスマスの一週間、 僕はあなたのいる北欧の地、 デンマークへ卒業旅行と題打って旅行をした
僕にとって絵本は、 「冒険・想像・純粋さ」の象徴。 絵本はそれ自体のストーリーはかなりシンプルで、 複雑な部分など全くない。 だから、読んでいても小説のような世界観を体感する面白さは感じられないかもしれない。 だけど、絵本には読んだその人自身を、 その後の彼にとってのものがたりの主人公とさせる力を持っている。 現に僕はこどもの頃に読んだ絵本の記憶があって、 あの時に少なからず絵本から何かを感じとったと思う。 そしてその感覚のような、考え方のような何かが染み込んだ体で今
本当にすてきなものをみたとき、 またはすてきな人といる時、 そのことは記憶に刻まれるというよりも、 愛になって今を作ろうとする感覚になります。 つまり過去も未来も頭からはすっかり無くなって、 生きている今だけを見つめ、生きるという感じでしょうか。 今現在の感覚という事実はどんな過去や未来よりも強いものです。 それはそこまでのあらゆる可能性を勝ち抜いたものであって、 また過去のどんな事実よりも新しく、その時を生きるものとしての正しさを持っていると思います。 すてきな人
湿った心をぽかぽかにしてくれる人、 私の元気の源みたいな人。 何気ない風景もきらきら輝かせて見せてくれる人。 自然からも、 そして人からも、みんなから愛されている人。 ほんとの晴れ人間は、 きっと雨の日にこそほほえんでいる。 向かうべき光として目標を与えてくれる人。 いつもそばにいてくれるから安心感があって、 それがあたりまえになってしまいそうになるけれど、 いなくなったときその大切さがわかる。 私はそうしてたくさん温めてもらったのでしょう。 人から受けたお日様