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月代彩佳という奴
noteはじめまして。都内を中心に全国で活動しているダンスアーティストであり、役者、振付師をしております、月代彩佳です。
ずっとnoteの存在は知っていたけれどあまり縁がなく過ごしてきました。しかしここ数年、言葉を扱うことが多くなり、書き留めておきたいことが増えたので、せっかくなら新しい世界を見られそうな場所でと思い、スタートさせました。
ここでは、普段の活動の裏側にある本音(っていうと裏垢っぽい。そうじゃなく正直な部分かな?)や、私の思考などをなるべく洗いざらい書いていきたいと思います。殴り書きな部分もあるので、文章力などはあまり求めないでください。。。笑
月代彩佳の起源
私は1996年2月29日、神奈川県横須賀市の病院で生まれました。育ちは基本的に千葉県佐倉市なので、出身は佐倉市と言ってます。両親共に元夢と魔法の王国ダンサー(父0期、母2期)で、物心ついた頃にはもうクラシックバレエを始めていました。
母の影響で2歳で初めてミュージカル"ピーターパン"を観劇。覚えてないので6歳で劇団四季の"ライオンキング"を観劇したのが実質初の観劇となる。その後も様々なミュージカルを観て沼にハマる。10歳の時に観た"レ・ミゼラブル"は題材も演出も楽曲も衝撃的で、小学生ながら好きになってしまい1シーズン5回ほど観ていた。
ミュージカルを目指してジャズダンスやタップダンスを始めた小学校5年。バレエ少女だった私は徐々にミュージカルヲタクに変わっていく。
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ダンサー志望へ
母の王国関係の繋がりから、当時DIAMOND⭐︎DOGSのメンバーだった小寺利光さんと出逢う。11歳くらいの時。ダンスと歌だけでこんな素晴らしいステージを魅せるのか、と衝撃的だった。めちゃくちゃかっこよかった。
それからD⭐︎Dの舞台は欠かさず観たし、DVDはエンドレス観て勉強した。私のエンターテイメントの原点。毎回テーマがあって、2部構成、前半はストーリー仕立てのダンス公演で後半はダンスと歌のナンバーのレビュー形式だった。間には笑えるコメディシーンもあり、さっきまでかっこよかったダンサー達の頭上にたらいが落ちてきたり、ボケたり突っ込んだり、そりゃあもうバラエティに富んだ作品達だった。
ずっと振付やステージングも担当されていた故・森新吾さんからも確実に影響を受けている。当時から共演を夢見て、一度だけご一緒することができた憧れのひと。この話はまぁまた今度。
D⭐︎Dに憧れダンサー志望になった私は、その後長澤風海さんを知りレッスンを受けに行くようになる。そのレッスンで知り合った、弟の仙明くんが出演するとのことで観に行った作品が、劇団熱血天使(現 じっぽん)さんだった。今はなき日暮里d倉庫、2012年の夏。初めての小劇場、熱量と空間の面白さに虜になった。
師匠との出逢い
何より大きかったのが私が師匠と読んでいる森澤碧音さんとの出逢い。ダンサーがストレート芝居の中に溶け込んでいて、でも確立されていて、ダンサーが魂になったり戦の炎になったり、無限の可能性が見えた。初めての感覚だった。
折込チラシの中にあった12月公演のダンサーオーディションを観て、迷わず応募した。それが、『東の龍と西の太陽ー古事記、はじまりの唄ー』という作品だった。結果はすぐに返ってきて合格。初めてのモダンに身体が慣れず初めはあざだらけ。足抜き後転すらできなかった私は初回の振り入れで絶望した。笑
初めての碧音さんからのダメ出しは、"振りと振りの間に隙を作らない" だったのをすごく覚えている。
お金をいただく初舞台。2012年12月、新百合ヶ丘のアルテリオ小劇場。この時私16歳。ここで後に超お世話になる、高橋ゆーすけさん(当時 崋狩祐雅)、音響田島誠治さんと出逢う。
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現役高校生ダンサー
これで私は超無名の現役高校生ダンサーとなった。ありがたいことにその後も何度も舞台に立たせていただき、無名ではあったけど、プロ意識だけは昔から両親に叩き込まれていたので、年齢の割にかなりしっかりしていたと思う。もちろん高校に通いながら稽古に打ち込む日々。学校終わり、制服のまま稽古場に向かい、帰りは夜の新宿を制服で歩き、電車でうたた寝し、家に着いたら朝5時まで勉強、そんな生活を繰り返していた。期末テストも学年末テストも半分くらい受けていないだろう。学校一怖がられていた学年主任に、テスト受けられないのでレポートにさせてくださいと直談判し許可を得ていた。
初めから意思も進路希望もしっかりしていたので、担任からは進路指導ノータッチ。にしても、いや、あり得ないだろってことも平気でしていた高校生の私の神経の図太さ、見習いたい。笑
そんな時代には、サステナクリエーションファミリーの一ノ瀬京介さんにも知り合ったし、今もずっと一緒に仕事をしている中原和樹さんにも知り合った。私の今は、当時お世話になった方々に形成していただいている。本当にありがたい。
大学、専門学校進学も考えたが、既にパイプはいただけていたし、実践で経験を積んだ方が吸収率が上がる!と思い、進学せず高校卒業後フリーになった。
フィールドの変化
忘れもしない、2016年。初舞台から4年たって、フィールドを変えたい!変えるのだ!と思っていた年。大きな変革があった。1歩目は東京芸術劇場主催の『近藤良平のモダンタイムス』に出演したこと。これは!とビビッときたオーディションを受けて、いままで関わったことのなかった界隈に飛び込んだ。
コンドルズの近藤良平さんが構成企画演出出演、かの有名なバレエダンサー小林十市さんや、篠原ともえさんや、たむらぱんさんと共演した。オーディションで受かったメンバーと、コンテンポラリー界の素晴らしい著名人達も沢山いて、みんなでクリエーションしてぎりぎりまで整えなかった印象がある。劇場入りしても香盤表を見ながら走り回ってたのを覚えてる。めちゃくちゃ楽しかった。憧れの芸劇プレイハウス、憧れの盆舞台。最高な変化の1歩目だった。
その翌月に、office ENDLESS『桜の森の満開の下』。私がずっと尊敬していて憧れの田中良子さん、村田洋二郎さん、西田大輔さんとの出逢い。振付は師匠 森澤碧音さんと、MKMDC代表 松尾耕さんだった。突如舞い込んできた話だったのだけど、舞い込んできてくれたことが幸せだった。この出逢いがなければまた1歩進むことはなかっただろうから。
変わるんだ!と決心した年はこのように本当に大きな変化があった。そこからはしばらく大劇場。青の祓魔師や、蒼井翔太さんのスマイルマーメイド等、素晴らしい経験をさせていただいていたし、どんどんお仕事が繋がっていこうとしてた。
ダンス愛の危機
とあるきっかけで、突然ダンスを辞めた。気の迷いがあり辞めてしまった、言ってしまえば油断したんだとおもう。ダンスを辞めた私は、実家からそこまで遠くないお店でストレッチトレーナーとして働いた。個人経営の小さなお店だった。5ヶ月ほど働いたけど、不思議なくらい突然閉店、急にクビになった。笑
私、昔から不思議な力に守られている気がしていて、この時も、貴方の道はそっちじゃないよと引き戻されてる感じがしたんです。そしてその後すぐに踊ったのが師匠碧音さんの振付で、うわぁぁぁ、生きてる!!!って心の底から実感した。
そして、一瞬にしてダンサーに戻りました。笑
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はじめての芝居
芝居の舞台で踊ることはあっても、喋ったのはモブキャラ?アンサンブル?の一言だけ、とかもしくは一言も話さない時もあった。元々声を出すのは得意じゃなくて、普通に喋ってても聞き返されるくらい声が小さかった。小心者な部分もあったんだろう。
業界に戻ってすぐに、久しぶりに高橋ゆーすけさんから連絡が来た。彩佳、役者やってみないか?と。それがMANIAXだった。市川いくみという役。ほぼ初めて?私がいただいた私だけの役。めちゃくちゃ楽しかった。ひとつの役のことをひたすら考え、相手と会話をして物語を紡ぐ。いままで言葉に出せず身体で表現していたものを声に乗せて届けられる楽しさ、知らない間に声も出るようになってた。
大劇場に出て、ダンサー・アンサンブルが二の次にだった世界。悔しかった。芝居ができるダンサーになれば、舐められないんだ、とおもったので私は芝居を始めた。WSなどに通い、調べたり本を読んだり、独学。現場では先輩の芝居をひたすら観て観続けて盗んだ。
初めての仲間
2018年、Actor's Live Theaterに所属した。劇団とも芸能事務所とも違う、思いを持った役者たちが集まったユニットだった。声をかけてくれたのは、現夫・增井豪と、同時期に初共演した山内里紗。ずっとフリーでひとりで闘ってきた私は、一緒にやろうよ、と声をかけてもらえて純粋に嬉しかったのを覚えている。初めての仲間たち。あっという間に9人家族にができた。2022年12月31日に解散したけど、せっかくなので、ここに記しておこうと思う、私の元家族。いや今もか笑笑
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■主宰 渥美千春
■メンバー 增井豪(劇団fool)、竹田航(ギロチンメソッド)、溝口優(劇団fool主宰)、さいとうみき(ギロチンメソッド)、KARU・森原彩夏、山内里紗(ギロチンメソッド/CreativeCompanyColors)、月代彩佳、八木翔也(ギロチンメソッド)
特に目立った活動はしなかったけど、学校公演とか、私の企画イベントとか、ポンと投げればひょいっと手伝ってくれる心強いメンバーだった。いまもだけど。笑
場・空間の面白さに気付く
ある時から中原和樹さんからのきっかけで3年ほど山梨でパフォーマンスする機会をいただいていた。YCC県民文化ホールでの公演や滞在製作、県立博物館中庭展示物内や河口湖の小学校公演、新潟の集落のど真ん中での野外パフォーマンスなど。ALTでは岡山の高校や、滋賀の琵琶湖クルージングの中で芝居もした。
それがきっかけでなのか、その"場"の面白さに気がついていた。具体的なその場にあるもの、色、広さ、形、もっと広く捉えると空気、におい、質感、その土地に根付く何かなど。舞台空間ではない場所で創る楽しさを、場というものから感じるようになった。だから私は振付する際はその場・空間で映えるものを強く意識するし、場の力を借りることが多く、インプロ大好き&屋外大好きになったのだろうと思う。
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指導・振付の道へ
ここ数年は、ダンス指導や振付を始めた。元々指導なんて烏滸がましいと思っていたから、これもまた大きな進歩だとおもう。
きっかけは、うーん、、タイミング。1番の決め手はSKYかな。私が2年前から指導に入っている子どもミュージカル。振付・ダンス講師ゆっこが場当たりにいられないから補佐で入ってほしいとのことで関わり始めた。
初めは指導なんて...と思っていたし、子供に教えるのだってほぼ初めてに近かったけれど、真剣に向き合っているうちに沢山頼ってくれるようになったのが物凄く嬉しかった。
当時はまだ単発の補佐でレギュラー講師ではなかった為、SKYの公演初日に子供達が、たまちゃん(SKYではそう呼ばれている)いなくならないでほしいーーーもっとダンス教えてほしいーーーと泣きながら伝えてくれた為ロックオン。笑 この子達の為に私にできることはきっとある、と信じて、教える仕事に踏み込むことにした。
振付はもともと好きで、小学生の頃から自分で振付して踊っていたので(これはまた別で書くね)、あまり抵抗がなかった。もちろん勉強は必要だし、人気の振付師の作品を観るとすごいなぁと絶望するけど。笑
昨年、劇団TipTapの『フリーダカーロ』(主演彩吹真央さん)で、振付美木マサオさんからご縁いただき、振付助手で入らせていただいた時、私の新しい目標ができた。それは舞台の振付師になること。それで食べていくこと。
コロナ禍でほぼ閉鎖状態だった舞台業界。久々に観たフルキャパ満席で、お客様の反応をリアルに観続けられ、愛のこもったアツい拍手とスタンディングオベーションを受ける大好きなキャスト達を観ていたら、幸福度が高まってしまい号泣。携わった作品がこんなふうに多くの方に受け取ってもらえるのかと幸せだった。こうして新しい目標ができた。
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リミット
こうしていまはプレイヤーとクリエイター(仮)の1.75足の草鞋を履いている。どちらも愛しているし、どちらかにしろ!と言われても選べない。
コロナによって間違いなくいろんなものは狂って、私も昔のようには動けなくなったし、色んな制限もかかってしまった。収益が良いのはもちろんクリエイターだし、けど今はそこまで依頼本数が無いのも事実。かと言ってプレイヤーだけで食っていけるだけの集客力や人気があるわけではない。(もちろん努力はしています)
ただ、ひとつ言えることはいつも応援してくださる皆様が間違いなく支えになっていて、皆様がいてくださるから私はまだプレイヤーを続けようと思えているのです。
私の現役ダンサーとしての寿命はそこまで永く無いと思います。一生踊っていたいし、一生芸能と関わっていく覚悟をしているので離れることは無いにしても、みんなの満足いく踊りができるのは今のうちかもしれない。できることなら生涯スーパーダンサーでありたいけど、既に私より凄い人たちがいるし、そこは現実を見てます。笑
それでも、月代の踊りが良い、月代を応援しにいくぞ、月代からチケットを買うぞ、とかけてくださる方がいて、私は本当に幸せです。お客様の愛に、お仕事仲間の愛に生かされています。
だから、私は愛を踊りで届けたい。
重いとかクサいとか言われても、私は愛を届け続けたい。隣のひとを素直に愛せる世界を、踊りや演劇から創れるように、祈り続けたい。
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そういう想いでこのお仕事を続けています。業界11年目、まだまだ子供です。もっともっと色んな方と出逢い、世界を知り、大きくなっていきたい。そうおもって沢山言語化することを目的としてnoteを始めてみました。拙い文章でなっがながとすみません。6,031文字だって!!すご!!!笑笑
今後は自分の考えていることや、経験を書きつつ、色んなことを調べて行ってみようと思います。またお会いしましょう✨
読んでくださりありがとうございました。
月代彩佳
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