見出し画像

私の「推し」とリスペクト

verdeさんの「推し」の話は面白い。今日も深い愛情と考察力をもって推しの話をnoteに書いている。

では、私にとって「推し」とはなんだろう?不思議がられるけど「哲学」という学問かな?

静寂な寝室の中で、私は哲学の奥深さに酔いしれている。私の心は、繊細な言葉と概念の世界に包まれ、考えの海に漂っている。今日も哲学が私の心を捉えて離さない。そのなかでも、「推し」と「リスペクト」という言葉が、私の心の中で独特の響きを持って響いている。

「推し」という言葉は、現代の流行語として知られている。でも、そもそも「推し」ってなんでしょう?

「推し」という言葉は、主に日本のポップカルチャーから広まった表現であり、特定のアーティスト、キャラクター、作品などに対して熱狂的な愛情や支持を示す際に使用される。この言葉は、ある対象に対して深い興味や感情を抱いており、その対象に対する情熱的なファンや支持者を指すこともある。

「推し」は、その対象に対して好意や愛情を感じているだけでなく、関連する情報やアート作品、ライブイベントなども積極的に追いかけたり、応援したりすることを含意している。推しの対象は、アイドル、俳優、アニメキャラクター、歌手、作家、映画、テレビ番組など多岐にわたる。アメリカでは投資家のウォーレン・バフェットなども「推し」の対象になるから、中々に興味深い言葉だ。

投資の神様 ウォーレン・バフェット

推しの存在は、個人のアイデンティティや趣味を形成する一環となることがあり、現代ではとても重要な概念だ。推しの対象に関する情報収集や交流を通じて、同じ趣味を持つ人々との交流や共感を得ることができる。推しの対象が提供する作品や活動を追いかけることは、個人の楽しみやエネルギー源となることもあるぐらいだ。

私にとってはそれが指し示す対象が哲学だ。哲学とは、人間の思索の深遠さと広がりを探求する学問だ。その思索が、私の内なる疑問や探求心に応えるとき、私はその哲学に心からの愛情を注ぐ。それこそが、私の「推し」の本質だ。

フランスの哲学者パスカルの言葉「人間は考える葦である」は、私の内なる深層に響き渡る。この言葉は、人間の脆さと同時に、思考の力強さを示している。私たちは常に考えを巡らせ、問いを投げかけ、自己を見つめている。この思考の旅が、私にとっての「推し」の源泉となっている。パスカルの言葉は、私が人生の奥深さに感じ入る助けとなっている。

ブレーズ・パスカル

一方で、「リスペクト」という言葉は、尊敬と敬意を込めて向き合う対象を指す。私は、ルネ・デカルトとジョルジョ・アガンベンの思想に深いリスペクトを抱いている。

デカルトの「我思う、故に我あり」という言葉は、自己の存在を確信するための基盤を築くものだ。

ルネ・デカルト

この思想は、私に自己の探求と自己認識の大切さを示してくれた。この言葉を読みたいがために受験でクソ忙しい高校生のときに、図書館で哲学書を読んだ。ちなみにこの言葉が載っているのは『方法序説』という本だ。

高校の先生からは、ちゃんと勉強しろー!とちょこちょこ言われていたけど、無視していたのは反抗心だったからなのか、好奇心だったからなのかは今でもわからない。

そして、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの思想は、社会と個人の関係についての洞察を提供している。彼の言葉は、私の内なるリスペクトの炎を燃やす。

ジョルジョ・アガンベン

社会の仕組みや自己の在り方についての深い洞察が、私の人生に影響を与えている。アガンベンの思想は、私に自己を客観的に見つめ、社会の構造を探求する意義を教えてくれている。

ジョルジョ・アガンベンの研究は、政治、法律、言語、生命、歴史など多岐にわたり、特に生命と政治の関係、バイオポリティクス、例外状態、歴史的な考察に焦点を当てているのが特徴だ。

アガンベンの思想の中で重要なコンセプトの一つが「バイオポリティクス」。日本語に訳すと「生-政治」となる。

これは、生命そのものが政治の対象となる現象を指す。アガンベンは、現代社会において政治権力が個々の生命や生存に介入することで、生命そのものが政治の支配下に置かれると主張している。

このコンセプトは、権力と生命の関係について新たな視点を提供し、個人の自由や権利に対する影響を考察する上で重要な枠組みとなっています。

また、アガンベンは「例外状態」についても深く考察している。本としても『例外状態』というタイトルで翻訳されているので、興味があればぜひ読んでみてください。

ちなみに例外状態とは、通常の法的枠組みや権力構造が一時的に無効となる状況を指します。アガンベンは、例外状態が政府や権力機関によって濫用される可能性を警告し、個人の権利と自由を守る必要性を強調しました。

ジョルジョ・アガンベンの思想は、現代社会における政治的、倫理的な問題について考える上で貴重なインスピレーションを提供してくれる。彼の著作は複雑な内容を含んでいるが、彼の視点を通じて現代社会のメカニズムや権力の本質についての理解が深まることでしょう。

「推し」と「リスペクト」、その違いは微妙だが、それぞれが私の内面に大きな影響を与えている。推しは、心を奮い立たせ、創造的なエネルギーを注ぐ源泉だ。リスペクトは、尊敬と敬意をもって向き合う対象であり、その思想や存在が私の人生に深く刻まれている。

私は、この二つの概念が、私の哲学的な探求心と人生の方向性を導く鍵であると信じている。哲学の世界に浸りながら、推しとリスペクトの意味を探求し続ける旅が、私の毎日を豊かに彩ってくれる。

そして、こんな話がペラペラと話せるぐらい深い人間になりたいものだと思いながら、今日の日記は終了です。それでは〜。

—————————————————————-

ここまで読んでくださった方、大変ありがとうございます。この文章は「verdeとタカーシーの身のない交換日記」として、マガジン化されています。もちろん無料です!これまでの交換日記も下のリンクから読めるので、ぜひご覧になってみてください。できたらマガジンをフォローしてくれると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?