柳田邦夫 犠牲 わが息子・脳死の11日間を読んで
著者の次男が、心の病により自ら命を落とした。
数時間前まで一緒に会話をしていた息子の突然の自殺に著者のショックは計り知れないものだったと思う。
一体どうすればよかったのか?
私はどうすることもできなかったと思う。
というより、著者は息子さんが心の病をわずらってから長期にわたり十分に息子さんのことを考えて、できる限りのことをしたと思う。
息子さんは他人との接し方や社会とのつながりにおいて、おそらく本人なりの理想の形はあったんだと思う。
ただ、それがうまくできずに落ち込んでしまう。
なぜ自分にはできないのかと…
著者であるお父さんと話したり、友人と話したりした時に楽しかったり嬉しかったりした時もあったことから、他人を全く受け入れないということではなく、相手への過度の気遣いや、やさしく傷つきやすい性格のためそれを続けることができないだけで、本当は人が大好きだしみんなといろんな話をしたいと思っていたんだと思う。
他の人から見たら、なぜできないのと思うかもしれないがどうしてもできなかったのだろう。
わかっていてもできないことってあると思うから…
本書では心の病を患ってからの息子の日記が紹介されていますが繊細でやさしい性格であるがために抱えている苦悩や葛藤、兄へのコンプレックスについても書かれていてとても共感できた。
文章は文学的で、もし本人が外で働かなければいけないと悩んでいたのだとすれば、家にいて文章で生きていく道も十分にあったのではないかと思う。
今なら、ブログやnoteなど文章で表現できる場がたくさんあるのでとても残念だ。
次に脳死の問題ですが、
本書では息子さんが救急病院に運ばれてから亡くなるまでの11日間が詳細につづられていますが、特に脳死と臓器移植の問題について考えさせられた。
脳死した場合、いずれ心停止がおとずれるが、そこには臓器移植をどうするかという問題が発生する。
ここでは移植コーディネーターと家族では立場が全く違う。
移植コーディネーター側は早急な意思表示が必要かもしれないが、家族側は肉親の死を認め、受け入れる時間が十分に必要である。
著者は最終的に息子の腎臓を提供することに同意するが、それは病院側の献身的な看護や医師への信頼があってのことだと思うし、1993年当時に患者と家族の最後の時間を大切にし、患者によりそった医療をした病院は珍しかったと思うし、そういった病院で最後の日を迎えた著者も息子さんもしあわせだったんじゃないかと思う。
著者が息子さんへの追悼記である本書 犠牲を書き上げたあと、亡くなった息子さんの友人や知人から手紙が届くが、そのどれも一様に いい人だった…また話したかった…と書かれていてとても残念に思った。
私もそうだが大切な人とはいつでも会えると思って
日々の生活をおくっている。
しかし、人間いつどうなるかわからない…
今会わなければもう2度と会えないかもしれないという気持ちで、大切な人には積極的に会いにいかなければと思いました。
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