枯山水は建築の思想である。
枯山水は建築の思想である。
黒川紀章を読んでいて、感じたことは、循環型の都市とか、1960年代に台頭した、生命の原理、
伊勢神宮、桂離宮などに見られるメタボリック、サイクルとか、
循環ということが、やはり考えられていて、それはある意味で、仏教が与えてきたことだし、黒川さんもそれを語り、
ぼくはそれが、わびさび、禅、庭園などと、建築の手法につながると思ってしまった。
作庭と建築 侘び寂び、禅、仏教と循環とメタボリズム。
作庭から柄沢祐輔、情報、メタボリズム。建築の生成。
柄沢祐輔くんが植物状の
美しさに
とらわれたことを
作庭家の日記のようにして
柄沢くんが最後の電話で、だした、著名建築家の名前はオスカー・ニーマイヤー、だったりした。
ニーマイヤーが女性のうつくしさを賛美した、建築家だったこと。女性の体の美しさ、曲線美。
生命感、霊性、母胎感、
ほんわか、ほわほわ。
シュタイナー建築で、私と柄沢くんは出会ったのだが、しかも、人類学の本を読むイベントで、出会っていた。
柄沢くんが言っていた、身体性、結局、体験なんだ、という話は
ひたすら見たり、聞いたりして、体験していくことなんだ、ともいえる。
まるで、人類学者のように。
柄沢くんは日本回帰したり、晩年、お寺にご興味があったようだ。
茶人 柄沢祐輔
みたいなことは、黒川紀章を読んだりしてみると、ありかも知れない、と、わかります。
この
観点から、すると、庭園、石庭、
枯山水などは
建築の思想である。
柄沢くんが問うていた、仏教は世界において、今、何をあたえてくれるか?の解答に循環であり、日本的な禅による庭、都市、建築の思想においてはメタボリズムである。と言えるだろう。
柄沢くんには、循環の原理、仏教をふまえていた、黒川紀章のメタボリズムが、仏教が与えたものでもあると、私が答えられるようになった。
生きていたら、話していた。
かなしいな。
柄沢祐輔、仏教、黒川紀章、
メタボリズム。
枯山水が建築の思想である、と、いうのは今日、気づいたが、
北鎌倉の
明月院の枯山水は私にとって、
まさに建築の思想なのだろう。
都市というのは、古きよき人達、文化という物や人などを、歴史の循環として、今に生き返らせつつ、今、現代を新しく生きることなんだな。
柄沢くんと黒川紀章さんの
循環の流れに、歴史、人、物の循環を入れる。文化は都市の役目を担う。
桂離宮に言及する柄沢くんや黒川さんは、とうぜんそれに触れている。笑。
都市や現代建築はやはり、過去とつながっているし、歴史の循環という呼吸をするべきだが、参照したりして、建築家の必須の教養とも言えるだろう。
学者、体験、都市、建築、建築家。
柄沢祐輔くんは素晴らしい建築家であった。
黒川紀章さんにはお会いしたかったです。残念。
黒川紀章の共生 という言葉は、「社会性」とも読み換えられる。
原宿・表参道の、表参道ヒルズは、同潤会アパート部分をのこして、つなげたものになるが、共生であり、歴史に対する社会性、歴史の循環を組み込んだ都市の循環にもなる。温故をつなげ、新しきを知るために現代建築はときに、生きるべきだ。
安藤忠雄さんの表参道ヒルズは
同潤会アパートをつなげて共生している。黒川紀章の共生の思想と、
つながっている。
歴史との共生、
環境との共生、
隈研吾さんなんかも、黒川紀章の共生の思想とつながっている。
日本回帰と共生。
そして、黒川紀章は茶人でもあった。
建築家 黒川紀章礼讃