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兵庫県知事選におけるSNSと市民の情報リテラシーの関係性について

今回の兵庫県知事選では、
パワハラ疑惑などによって失職した斎藤元彦候補が当選し、
兵庫県知事に再度、就任することになりました。

その選挙の過程において、SNSが非常に大きな役割を果たしたということが、
アメリカ大統領選のトランプ氏当選という現象も相まって、
非常に取り沙汰されています。

この件について、私が今思うところを整理します。

現状のネットにおける
市民(有権者を含む)の意見を総合すると、こうなります。

まず内部告発によって斎藤知事にパワハラ疑惑が起きた。
内部告発した人物が特定され、その人物はそれを苦に自殺した。
その一連のことがメディアで一方的に報じられ、斎藤氏は悪役になった。
市民は一方的に「斎藤=悪」と決めつけた。

しかしその後、調べが進むと、実は内部告発をした側の方が
既得権益を守ろうとする側で、
それに立ち向かおうとする斎藤知事を嵌めようとする動きがあった。
自殺した告発者は、多数の不倫をしており、
そのことが明るみに出ることを恐れて自殺した(可能性がある)。

それはテレビや新聞などのオールドメディアは伝えなかったが、
知事選に立候補までして、マイクを使ってそのことを暴露した
立花隆氏の影響などもあり、
実態はメディアが報道したものではなさそうだということが広まった。

市民は「本当のこと」に気づき、一斉に投票行動に出て、
その結果として斎藤氏が再選した。
有権者の立場からは「勝者は市民だ」とか、
オールドメディアの時代は終わった、などという意見が出た。

そんな流れです。

この流れで、「情報リテラシー」という言葉が
やたらと目につくようになっています。
情報リテラシーとは、一言で言えば、
目の前の情報を鵜呑みにすることなく、
自分で調べ、自分で考え、判断する力だと思えばいいでしょう。

今回、有権者たちは言います。
最初、テレビに騙されたが、自分でSNSを調べた結果
本当のことがわかった。
だから情報リテラシーは低くない、と。

私がこの手の話に接するとき、いつも思うのは、
「日大タックル事件」です。

テレビなどのオールドメディアは、偏重報道を行います。
なぜなら、その方が視聴率が上がるからです。
人はいい話より「けしからん話」が好きなのです。

しかし、そのあとで別の情報が出てきても、
メディアは決してそれを報道しないし、
当初の情報が誤りであったとわかったとしても、
決して謝罪したりしません。

今回の斎藤氏の件で言えば、
告発文が出た最初の段階でメディアが両論併記の
公平な報道をしていれば、このようなことにならなかったのでは?
という意見も出ています。

その可能性はありますが、熱しやすく冷めやすい市民は
どちらかと言えば、「けしからん」という方を
大きく捉えたことだろうとは想像します。
事実、そういう性質があるし、
そういう場面で「ちょっと待てよ、それは本当か?」と
立ち止まる力こそが情報リテラシーなのであって、
それがないからこそ、情報リテラシーの必要性が
叫ばれているわけですね。

日大タックル事件のときを思い出すと、
内田元監督と井上元コーチは一方的に悪人に仕立て上げられました。

メディアスクラム、メディアリンチによって、
一般市民が彼らを悪人であること信じる気持ちを疑う余地は
完全に奪われていました。

その流れが、日大の第三者委員会や、
関東学連がつくった規律委員会などの調査の結果にも
大いに影響しました。

正しい判断をしてしかるべき団体が、
こぞって世論の側についたことで、
世の中による内田・井上バッシングには拍車がかかりました。
しかし、唯一、法的な捜査の権限を持つ警察の捜査によって、
監督・コーチによる悪意のあるプレーの指示はなかったことが
明らかになりました。

しかしメディアはそれを報じず、
関東学連も、第三者委員会も、
いちど出した結論を再考することはしませんでした。

なんども、なんどでも言いますが、
タックル事件は人間の「思い込み」という習性に端を発する
コミュニケーションミスの案件であって、
悪意あるタックルを指示したというような
「事件」ではありません。

しかし、今でのそのことを信じる人は少なく、
メディアによる偏重報道によって暴走した市民の世論は、
今でも内田・井上両氏から人権を奪ったままです。

そういうことを真横で見てきた私としては、
今回のことは、決して市民が正しい情報を得たから、
正しい投票行動を行なった、などというものではありません。

最大の問題は、情報を鵜呑みにし、
それを信じて一気に動くという行動なのです。
それが「情報リテラシーのなさ」なのだし、
その行動こそが、場合によって危険な結果を生むのです。

テレビの情報で一気に斎藤氏を悪人に仕立て上げ、
こんどはSNSの情報でヒーローにする。
その過剰な反応のことを、私は言っているのです。

本当の情報リテラシーとはなにか、と言えば、
最初にテレビ報道で斎藤知事のパワハラ疑惑がでたときに、
その段階において「それは本当か?」と立ち止まり、
自分でよく調べてみよう、と行動し、
その上で判断することです。

それができないのであれば、結論を保留しなければいけません。
結論を出さないまま、そのまま様子を見る、というのが、
情報リテラシーなのです。

それができないと、ヒトラーを産んでしまう可能性がある。
そして斎藤氏がヒトラーかどうかは、
今の段階では誰にもわからないのです。
(彼が悪人だと、私は特に思ってはいません)
わからないからこそ、「絶対に正しい」ことは存在せず、
物事をしっかりと慎重に見極め、
判断したなら、その責任を引き受けるという態度が必要なのです。

私たちは全員が、絶対の正しさを持つことができない
生身の人間なのです。生身の人間には限界があるのです。
そのことを予め理解しておく必要がある。

私は今回の兵庫県知事選の結果をみて、
そのような点で大きな危惧を抱いています。
それは選挙結果についてではありません。

斎藤知事は当選したのですから、
よりよい県政のために全力を尽くせばいいのであって、
その点に関して、私は何も意見はありません。

そうではなく、市民の「一気に加熱する」という動きに関して、
危惧を抱いているのです。
「絶対の正解がある」と思い込んでいる点についても、です。
その上で、自らに情報リテラシーがある、という
自己判断をしている点についてです。

今回は「悪人」だった印象が「善人」に覆されたので、
自分で判断したと思い込んでいるのですが、
それなら、最初から「悪人」だと信じてしまったことに関して
反省しなければいけないのです。
私が指摘したいのは、その点なのです。

斎藤氏の当選までもを含めて、
日大タックル事件の悲劇はまた繰り返されるだろうという
大きな懸念を感じたことを、今の段階では記しておきます。

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