日本の未来は家庭の会話で決まる
先日、小川淳也議員について書かれた書籍、
「本当に君は総理大臣になれないのか」を読みました。
ご両親は高松でパーマ屋を営む庶民。
そんな環境の中で高校3年生まで野球部の活動をつづけつつ、
塾にも行かずに東大法学部に合格。
日本をよくするという正義感で官僚への道へ進んだが、
この国を良くするには政治を変えなければいけない、と決意。
テレビ局や新聞社を持つ平井卓也・現デジタル相がいて
圧倒的不利な地元・香川1区から出馬。現在に至ります。
その本を読み終わった後、
買っておいて読んでいなかった山本太郎氏の本を読みたくなって、
いちばん古い「山本太郎 闘いの原点」という本を読みました。
彼は兵庫県宝塚市の出身。
裕福な母子家庭に育ち、高校時代に素人として
天才たけしの元気が出るTVに出演したことがきっかけで芸能界入り。
その後、俳優として活躍しつつあった2011年、
福島第一原発の事故と、その後の国の対応を巡って声を上げ、
その後、政治家となって健在に至ります。
2人はとても正義感が強く、
これからの日本の政界になくてはならない存在だと思いますが、
印象はまったくちがいます。
そんな2人に共通なことがあるんですね。
それは「親の影響」です。
※
小川議員は父親から、山本氏は母親から、、
その物事の捉え方や解釈の仕方に大きな影響を受けているんですね。
親の影響と、環境、本人の資質が組み合わさって、
人というのはできている。
だから、もし小川議員や山本氏のことを昔から知っている人なら、
今の彼らをみて
「あぁ、そうなるのは理解できる」と思うのではないでしょうか。
実は私は現渋谷区長の長谷部健くんとは中学時代からの友達で、
その頃から彼は地元渋谷を愛していたし、人を巻き込むのが上手で、
しかも正義感も強く、とてもユニークな存在だったので、
彼が渋谷区長になると聞いた時は「なるべくしてなった」と感じたのです。
「とっても長谷部らしいな」と。
恐らくまちがいないことだと思うのですが、
人間というのは、ある日突然、その人になるわけではない。
その人が生まれてから今日までに出会ったすべての人、
置かれた環境、そしてそれにどう反応するか、という本人の資質が
掛け合わさって、今のその人になっている。
そうだと思うんですね。
・・・となると、その人の人生にいちばん影響するのは、
やはり生まれ落ちた家庭の環境である、
ということは避けられない事実だと思うのです。
※
今は複雑な家庭事情を抱える人も多く、
この手の話をするのは実にナーバスです。
それはわかっているのですが、だからと言って口を閉ざしてしまうと、
恐らく、社会は悪い方向にしか流れないと思われるので、
今日はある種、勇気を持って、話を続けたいと思います。
ここでは両親が揃っているか、とか、そういう諸条件はいちど置きます。
なぜなら、ここで言いたい「親」とは、
必ずしも実在する親を指すとは限らないからです。
片親であっても、ときには両親がいなくても、
その事実そのものが、子供にとって大きく影響することは事実だからです。
さて、成長過程にある子供にとって、
家庭という現場でいちばん大きな影響力を持っているのは、
親の言葉であることはまちがいないでしょう。
これは親同士の会話もあるだろうし、親子の会話もあるだろうし、
親がテレビを見て言った独り言なども含まれます。
子にとって、親とは人生で最初に出会うオトナであり、
その人の行動や考え方が、その子にとっての基準になるのです。
もちろん場合によっては、それが実の親ではないかも知れないですね。
子にとって親に相当する人、ということでしょう。
私は赤ちゃんのキラキラした目がとても好きです。
赤ちゃんは五感を最大に働かせて、
いろんなことを受け止め、解釈しようとしています。
触ってみて、口に入れてみて、これはなんだろう?と、
すべての瞬間で脳をフル回転させて情報をインストールしている。
そして親の言葉からことばそのものを覚える。
人間は言葉でしか思考できないので、
言葉を覚えることで思考する力は雪だるま式に大きくなっていきます。
そのとき、どんな言葉をどんな風に使うか、どんな考え方をしていくか、
そしてその内容が、実はその子の一生を決めていく
重要な要素になるんですね。
※
さて、話を急にまったくちがう場所に移します。
皆さんは、国の質というのはどのように決まると思いますか?
経済指標でしょうか?
世界における政治家のリーダーシップでしょうか?
はたまた軍事力でしょうか?
私が感じている「国の質を決めるファクター」は、
その国の国民の質だと思っています。
国民ひとりひとりの質が高ければ、選挙で質の高い人材が当選します。
質の高い国会議員は、質の高い議論をするし、
質の高いリーダーを選出するので、
世界の中でも質の高いリーダーシップを発揮します。
つまり国の質の出発点は国民ひとりひとりの質であり、
国民ひとりひとりの質がどこで醸成されるのか、と言えば、
それは恐らく「家庭」だと思われるわけですね。
もちろん、人生の中で最も影響を与えたのは
学生時代や仕事場の恩師という場合もあるでしょうが、
その感受性をどこで身につけたのか? そのスタートはどこだったのか?
と問えば、「家庭」とか「親」に行き着くのだと思います。
日本人が、どれほど質の高い人材なのか。
その質は、家庭で作られる。
これは、全部ではないにせよ、ひとつの事実であることは確かでしょう。
未来の日本の質は、今の日本の子育て、今の日本の教育で、
今まさに手作りで作られている。
我々は、その現場にいるわけですね。
※
私は東京に住んでいます。
地方にクルマで出かけて帰ってくるとき、
東京が近づいてくると高速道路から見る風景がみるみる変わっていきます。
高層マンションが立ち並び、その窓に灯がついています。
その光景を見る時、私はいつも思うのです。
あの灯りのひとつひとつの中に、家庭がある。
家庭というのは究極の密室で、
そこの価値観は決して世間に晒されることはない。
とても濃密である分、良いも悪いも極端に影響する。
このなんでもない街の風景。
そのひとつひとつの灯りの下で、いったいどんな会話がなされているのか。
それを、子供たちはどんな風に聞いているのか・・・。
道端では、自転車に小さな子供を乗せた若いお母さん
同士が何やら会話している。
そのママ友同士の会話を子供は聞いている。
その脳みそで、懸命に解析している。
何をインプットするのかで、その子の未来が決まり、日本の未来が来まる。
こんな何気ない景色の中で、国の質が決まっていくのです。
ママは、テレビドラマの話なんかしてないだろうか。
ママは、芸能人の不倫の話なんか、してないだろうか。
テレビドラマがいけないわけじゃない。楽しいことも大切。
でも、もっと大切な「命」のことを
大人たちが言葉に出して会話しなければ、
子供たちがそれを考えなくなるのは当たり前なのです。
※
いま、オリンピックの開催可否が話題になっています。
人によって考えは様々でしょうが、流れは開催の方向に向かっています。
それが良いのか悪いのか、今は誰にもわかりません。
すべては我々が何を選択し、その結果がどうなるか、ということだけです。
しかし、よく議論し、自分の考えを持つことが重要である、
ということだけは、誰もが認めるのではないでしょうか。
人間が言葉で思考し、対話する生き物である以上、
その中身を高めることが人間の質を高めることであり、
オトナは子供たちに、その重要性を伝え、身につけさせる責任があると
私は思っています。