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いちばん大切なこと:「にんげんの尊厳」

私は「思考実験」というものをよくやってみます。

もし〜だったら?という問いを立てて考えてみるのです。
思考実験をすると、普段の自分ではわからなかった
自分自身の考えがわかることがあるからです。

設定をあり得ない、もしくはなかなかないものにするので、
「そんな状況はない」と切り捨ててしまう人もいるかも知れませんね。
それを「思考停止」というわけですが、
今日は私が常々思っている思考実験、
「自分にとっていちばん大切なことは何か?」について
お話しします。

「あなたにとっていちばん大切なことは何ですか?」

こんな問いを立てると、多くの人は「命」と答えるのではないでしょうか。
もちろん、家族とか、お金とか、平和とか、
いろんな答えが考えられると思うんですね。

でもやはり、今の日本では、いちばん多いのは「命」、
中でも「自分の命」と答える人が多いのでは?と予測しています。
(もしかしたらちがうかも知れませんが)

これはテストではなく単なる問いなので、
もちろん正解はありません。
その人にとって、質問した時点で、いちばん大切なもの、
と思えるものですから、その答えがなんであれ正解であるとも言えます。

で、

私にとって、いちばん大切なものは?と
深く自分の胸に問うとき、浮かび上がってくるのは
「尊厳」という言葉なんですね。

もちろん、命はとても大切であって、それに異論はないのですが、
では、生きてさえいれば、あとはどうでもいいのか?というと、
やはりそれはちがう、と私は思うのです。

生きるにしても、いかに生きるかということが自分にとっては重要で、
それは、自分の人格を他者によって蹂躙されないこと、
という意識がとても大きいのです。



ここでまた、具体的な思考実験をしてみましょう。
例えば、あなたは年収1000万円与えられます。
しかし、あなたの身分は奴隷です。
奴隷なので、まったくの自由がなく、
あなたは24時間、365日、ずっと監視されています。

でも、生きていくことはできます。
年収が1000万円もあるのですから。

そんな生き方と、年収は400万円だけれど、自由で、
誰からも監視されず、自分の価値判断に基づいて生きることができる。
そういう人生があったとしたら、あなたはどちらがいいですか?

もしくは、もしその判断に分岐点があるとしたら、
それは何ですか?年収の場合、それはいくらでしょうか?
例えば完全に監視される奴隷の生活を
年収いくらまでなら受け入れられますか?

完全に自由な生活を年収いくらまでなら価値があると思えるでしょうか?

こんなことを考えてみると、自分の価値観がわかってきます。

先にも書いたように、これは「尊厳」をどれだけ重要視するか、
ということを知るための思考実験です。
経済合理性だけを考えるなら、
年収1000万円の生活を選んだ方がいいに決まっています。

また、自分は何も悪いことをしないから、
どんなに監視されても問題ない、という人もいるかも知れません。

そういう人は、監視を嫌がる人を
「何か悪いことをしようとしているのか?」と問うことが多いです。

私は、と言えば、圧倒的に後者、
監視されない方の人生を送りたいです。
悪いことをしようとしているのではなく、
誰かに監視されつづける、という事実が、心から嫌なのです。

おそらくそれは、監視する方も同じ人間だからでしょう。
それが天の神さまなら、あまり嫌ではないのかも知れませんが、
人が神には絶対になれないのに、
人間の中に監視する側とされる側がいる、という発想に違和感があるのです。

もちろん、犯罪を犯して収監されているという人が別ですが・・・



命は本当に大切ですが、こと自分の命に関して言えば、
「こんな扱いを受けてまで生きていたくない」というラインが、
自分の中のどこかに存在していることは感じています。

それを「尊厳」と私は認識しているわけです。

尊厳はときに、命よりも上に位置します。
もちろんそれは自分に関してだけのことです。

ですが、人が自分の人生を誇りを持って生きるために、
他者が踏み入ってはいけない領域というのは確実にあって、
その部分を互いに認め合って、わかりあう以外に、
大勢の人と人が諍いもなく共生するのは難しいと思っています。

もちろん、人間は共生していかなければいけませんし、
私もそれを望んでいるので、
その実現には「尊厳」の意識をもっともっと高く持つ必要があると
感じているということですね。

そう考えると、人が尊厳を踏みにじられるきっかけになるのは、
お金に関することであることが多いように感じられます。
生きるためにひたむきに働くことは素晴らしいことだと思います。

しかし、その姿勢を誰かが搾取に利用するとしたら、
やはりそれは許されないことだと感じるのです。

生きるということは、誰にとっても素晴らしいことであるべきです。
もちろん、その素晴らしさの中には困難に立ち向かったり、
それを乗り越えたり、そのために他の人と信じ合ったり
協力することを含んでいるわけですが、

誰もが人生という冒険をポジティブな気持ちで
受け止められる社会であるべきだと思うんですね。
そのための最小単位が、「人の尊厳を守る」ということだと
私は感じているのです。



尊厳は理屈ではありません。
どうしても嫌だ、とか、絶対に許せないということなので、
突き詰めていくと最後には理由がないものです。

しかし、人間の行動はすべてに理由があるわけではなく、
ましてや合理性があるわけじゃない。

そのことで失敗することがあっても、
それが人生なのであって、失敗はひとつの結果かも知れないけれど、
それ以上のことではないのですよね。

そこも含めて、「いろんな人がいて、世の中はおもしろいのだ!」と
誰もが解釈していれば、世の中はもっともっと楽しい場所になるでしょう。

最近、自分も含めてですが、
日本人は基本的に根暗だな、と思うんですね。

もっと不完全な人間であることを受け入れて、
そのためには理屈ではない、それぞれの人の尊厳を大切にする
という考えがあるべきだと思うんです。

尊厳の中身は、理屈じゃないからロマンがあるし、
人間らしいのだと思っています。

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