人との絆を壊したくないなら、まず猜疑心を捨てること
よく「人との絆を保つ方法」的な本や記事を目にしますね。
私はそういうものを手に取った経験はあまりないのですが、
自分の中で経験的にわかっていることはあるので、
今日はそのことについて書いてみます。
選挙も終わりましたしね。
(選挙の自分なりの総括は、後日、もし気が向いたら)
基本的に、私は、人と人との関係はとても脆いものだと思っています。
・・・というか、その前提を忘れてしまった時に、
関係性を崩壊させる何かは起こると思うからです。
つまり、人との関係というのは、
努力して維持しようと意識しなければ、
たやすく壊れてしまうものだ、ということですね。
もちろんそうでない場合もありますが、
失敗を防ぎたければ、このような前提に立ったほうがいいと思います。
※
では、人との関係、ここでは「絆」なんて呼んでしまいますが、
絆を維持するために必要なことってなんでしょうか。
もちろん、たくさんあると思うのですが、
いちばんなのは「猜疑心を持たない」ということだと思います。
相手を疑う気持ちのことですね。
なぜなら、人は他者を疑う気持ちはたやすく湧き出すのに、
人から疑われたときには著しく傷つくからなのです。
この「猜疑心」に関する疑う側と疑われる側の重みのギャップは
なかなか意識されることがないのではないでしょうか。
いちばん難しいのは、
人を疑うという気持ちは、自然発生的に湧いてしまうという点です。
しかも、他者を疑う人は、たいがいの場合、
その理由を相手に求めてしまいます。
相手が疑われるようなことをしているのが悪い。
相手が疑いを晴らさないのが悪い。
そうやって、自分が相手を疑う気持ちの理由を
相手側に求めてしまう。
しかし、そうしている限り、疑いの気持ちは決して晴れないのです。
なぜなら猜疑心は、基本的に「妄想」だからなんですね。
実際には起きていないことを、
起きているかのように想像し、焦ってしまう。
つまり、人を疑わないようにする、というのは、
相手との戦いではなく、自分自身との戦いなのです。
人を信じるということに比べて、人を疑うというのは、とても簡単ですね。
だから世の中には争いが絶えないのです。
本当は自分の責任であることを、
相手の責任だと思い込んでいる以上、猜疑心が解決するはずはない。
そのメカニズムに気付いていないからなのです。
※
では、本当に騙されていた場合はどうなるのか?
自分だけ相手を信じていては、損をしてしまうではないか。
そんなふうに感じる人もいるかも知れません。
しかし、その捉え方そのものが、実は歪んでいるのです。
物事を損得で考えてしまうのは、
きっと資本主義の価値観に骨の髄まで染まってしまったからでしょうが、
相手を信じて騙されたら損、というのは間違った考えなのです。
順を追って理由を説明しましょう。
まず、大元にあるのはなんでしょうか。
表題にもこう書きました。
「人との絆を壊したくないなら、まず猜疑心を捨てること」
前提として、ここでは、
「絆を壊したくないなら」という条件がついています。
つまり、この法則は万人に当てはまるものではないということです。
あなた自身が「この人との絆を壊したくない」と
思っていることが前提です。
その人との関係など、どうなっても構わないと思えば、
いくら猜疑心を持っても構わないのです。
しかし、ここでその人との絆を保ちたいと望んでいるのは、
自分自身なのだ、ということです。
つまり、自分の望みを叶える話をしているということなんですね。
自分が欲しいものがあるときに、自分が努力するのは当たり前のことです。
しかし、人とはおかしなもので、
相手が人間になると、なぜかそんな当たり前を
忘れがちになってしまうのですね。
自分が維持したいという人間関係なら、
それを維持するために相手を信じようということです。
つまり、いちばん始めにあるのは、
あなたの「意志」であるべきだ、ということです。
こころざし、ですね。
この人との関係性を大切にするんだ。そうしたいんだ。
そう思うなら、その条件を相手に委ねないことです。
相手のあり方次第ではそうする、ということであるなら、
それは非常にもろい関係になるということです。
そして、人はとかくそうしてしまいがちなんですね。
猜疑心を持ってしまうという自分に、負けてしまうのです。
※
もちろん、私は猜疑心を持ってはいけないとは言っていません。
場合によって警戒心が必要な場面はたくさんあります。
でも、人はよく、本当の目的とは逆の判断、行動をとってしまいがちです。
騙されているかも知れない。損をしてしまうかも知れない。
そんな不安がよぎったなら、
「この人との関係性は、本当に重要か?」という問いを立てて欲しい。
そこで自分が「大切だ」と思うなら、
その人のことを信じるという選択をする自分に自信を持ち、
相手を信じることの尊さが、
自分の心の質を高めていることを実感して欲しいのです。
自分の意志に従って相手を信じるということは、
結果的に間違っていたとか、それで損をするとかいうこととは
少し次元の違うことなんですね。
その価値は、結果的に騙されたりすることとは関係のない、
あなた自身の内面の出来事なのです。
そこをイコールで考えてしまうから、猜疑心に手玉に取られるのです。
相手を疑おうとする自分に抵抗できない。
そういうことです。
だから大切なことは「この関係性は重要か?」ということを問うことです。
そうでもないなら、ちゃんと疑いましょう。
でも重要だと思うなら、疑う自分と戦いましょう。
多くの人は、逆をやっています。
だから、人間社会は問題が絶えないわけですね・・・・
人生は、学びです。
そして、競争すべき相手は、つねに自分自身なのです。
そのことに気づくかどうかで、生きる意味や、
この世の見え方は変わります。
そして、信じる気持ちは強さになります。
是非、騙されたと思って体験してみてください。
ちがう地平が見えるはずです。
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