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複雑さを持った建築の価値とその表現の方法について(特に図面という軸から)

下記3つの展示会等のまとめ


■起ーきっかけ、何の話か

9/18のOPENVUIDで施工図(承認図)に意味はあるのか?という話になり、
ゼネコン設計部に勤めている身としては、施工図を基にして施工側と話をすること自体が一番面白いところであると同時に、3Dプリンター等の利用で複雑な形状をデザインすることはできるようになってもそれを施工する際に図面化する行為で結局マンパワーによることになるのでそれはマンパワーのかけどころが変わっただけで、プロジェクト全体としての労務量は変わらず、苦労が施工に近い側に流れただけであまり意味がないのではという点があったので、ここ数回の展示会についてその点に注目。

まず図面を書く目的を下記の3つとする。
(昔どこかのブログで言っていたのだけど確かにという所があったので結構使っている考え)
1.デザインの表現
2.機能の表現
3.1と2の伝達(コミニケーションの手段)

山梨さんが、3Dプリンターをスケッチの代わりに部下に渡すと言っていたがこれはまさに3に当たる。設計意図を伝達するコミニケーションの手段として3Dプリンターを使っている。このように多分、3の役割としての図面の価値は減り続けていく可能性が高いのではないか。
SDレビューでも設計図自体をプレゼンしている場合もあったが、これは図面1枚1枚自体に表現があるというよりは、図面を並べて設計のプロセスを可視化することに意図があると思われる。

スケッチの代わりの3Dプリンティング


図面自体が表現というよりプロセスの可視化が目的

■承-図面の価値とその変化(図面は多分近代と非常に相性が良い)


・図面の「線・面・文字・記号・白黒(図と地のみ)」という表現はシンプルな同じ形のものを大量生産するという近代と非常に相性が良かったのだろう。だからこそ複雑なままの形状を表現する手段に適していない。
・一方で、アトリエワン系の人達は、あえて図面という近代と相性の良いの手法の中に複雑な生活を表現することで表現自体で近代を批評しているともとれるかもしれない。
・とすると、複雑性の方向が2つあり、形の複雑性は図面に表現できず行為の複雑性は図面として表現できることになる。

アトリエワンの図面(ネットから)

■転ー平田さんの建築の複雑性は形の話なのか、行為の話なのか。


・そんで、9/23に平田晃久展を見てきた、平田さんは近代の抽象からこぼれ落ちた部分をからまりしろや響きと表現しこれを建築で表現しようとしていると解釈して見てみる。
・展示の表現で唯一ある図面は、上記2の機能を表現するために書いたスケッチ。これも確かに美しくはあるが、「機能もこんなにカッコ良いスケッチで考えてますよ」という表明の意図が強い。
・つまり平田晃久さんはデザイン意図を表現するには図面でなく他の方が適切と考えていると推察できる。
・では、平田晃久さんの建築は形状が複雑なだけなのかというといくつか建物に行ったことがあることの経験的な点からいうとそんなことはなく、行為の複雑性が生まれやすい空間になっていた。

展示会内唯一の図面のスケッチ

■結-複雑な形を共通認識する方法


・以上から「形が複雑であること」をどう処理するかという点で言うと、それは図面では表現できない。一方で生活が複雑に絡み合っているということは、表現として図面に表すことができる。そして、それが近代で画一化された部材を再度複雑なまま表現することに価値があるという観点があったとしても、多分複雑であるだけというのはあんまり意味がなく結果として体験に複雑性(多様性)が生まれるかどうかが問題。
・また、経験的に多様性のある複雑な形を作ることが重要と言う結論になる場合、その複雑な形を実務的に表現する手段を見つけるというのはまだ、結構手間がかかる作業になると思われる。

太田市美術館・図書館

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