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ルイス・カーンとルイス・バラガン


その1.バラガンが気付いたルイス・カーンの土着性

https://youtu.be/qlN2imtIk6s?si=pKIqYLiOpobO4CYU
・上記URLのバラガンの研究者によるソークを題材とした、バラガンとカーンの関係についてのgooglemeetに参加。
その中での得た仮説と気づきについて下記に示す。

仮説

まず今回のレクチャーで下記の仮説を得ることができた。

「カーンはバラガンとの協業からモダンと土着性のバランスのとり方を身に着けたのではないか」

論拠
・カーンがバラガンに協業を申し入れたソーク生物学研究所の初期スケッチでは、中庭には植栽があったとレクチャーの途中でしめされた。
・これに対して、バラガンはこの植栽を排除して、何もない状態である方がよいと考えそれをスケッチにしたとのことだった。
・なぜバラガンは、カーンの当初のスケッチの延長そして、バラガン自身の自邸の中庭ように緑豊かな外部空間を作る方向性を示唆しなかったのか。
・それは荒涼とした砂漠こそがサンディエゴの風景だと考え、その砂漠を抽象的な形態と材料のみで表現すべきだと考えたから、緑豊かな外部空間という方向性は示唆しなかったと思われる。
・その結果、抽象的なコンクリートという20世紀的材料による表現方法と表面の質感のバランスが、土着性につながるという特異な状況を作り、建築とその周辺の環境を一体化させた風景を作っているのではないか。

写真1.モダニズムソーク

その2.建築と外部環境と使用者

・その1で示したような価値は、しばしば撮影される写真1のような中庭の写真でよく表現される。一方、建築は使用者がいるにもかかわらず、使用者が映り込む余地のない彫刻の様な印象を受ける。
・果たして事実はどうなのかということで、今すぐには現地に行けないので 
 webで写真をあさってみたところ、どうやらこの中庭が十分に利用者を許
 容する場所となっていることを推測させる写真があった。
 (写真2.日常のソーク)。
 その1で、荒涼とした砂漠と表現したが、夏のサンディエゴの気温を調べ
 ると最高気温が25℃程度とまさに外に出て寝そべるには非常にちょうどよ
 い気温だと推察される。

写真2.日常のソーク

その3.なぜ2枚の写真で違う見え方をするか。

上記2枚の写真の違いは写真を撮る側がどうソークを見たいか、またどの様な前提知識でソークを見たかによって生まれている違いではないか。
モダンという評価軸で見ている場合、写真1のように撮ることになり、建築はどう使われれるかに価値があると考えている場合、写真2のように撮ることになるのではないか。

その4.  ソークの価値の多重性

・その1では、バラガンにより促されたモダンと場所性の融合、その2では利用者とソークとの関係、その3ではその違いはなぜ生まれるかを示した。
・ではどちらがほんとうのソークの価値なのかと言えば、どちらもソークの価値ではないかと思われる。
・つまり、その1で示した「モダンと土着性の一体化」その2で示した「建築物と利用者の一体化」この2つが同時に起きていることがソークの建築体験を豊かにしているのではないか。
・そして、今後さらに時間が流れていく中でその時々でこの建物からは新たな価値が発見され、その時々の体験価値が何層にも重なった場所として豊かさを増し続ける建築になるのではないか。

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