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19.自分の「拒否」が他人を怒らせてしまうのではないかという恐怖
私には、親の言動の悪影響から形成されたと考えられる習性や性向がいくつかあり、これらが大人になった今も自身を苦しめている側面が小さくありません。
(もちろん元々持って生まれた性質という可能性もあります。あらゆる問題の何もかもを親の責任だと決めつける思考の仕方は健全ではないと思いますので、慎重に見なければならないと思っています。)
その中の一つが、他人に対して自分が示した単純な「拒否」の意思表示が、ただそれだけで相手を激怒させてしまうのではないか、という発生理由の汲み取り難い恐怖心です。
現在はほぼ支障がないまでに改善しましたが、これは自身の健康状態や精神的安定度合いなど、その時々の体調に依存する反応のようで、同じような条件下でも強い恐怖心が湧き起こる時と特に恐怖を覚えずにいられる時とまちまちでした。
具体的な反応の例を示します。
例えば、よく見知った人物が、自分に対して好意的な調子で何かを勧めたり要求したりしてきたと仮定します。内容に異常な点はなく、こちら側へ著しい不利益が降りかかる類のものではありません。この時、目の前の相手が私の「いいえ」の返答を合図に、一瞬で鬼の形相になって激昂し出し、こちらに向かって殴り掛かってくるのではないかという具体的な根拠のない恐怖に駆られてしまうのです。
これは、相手が普段からどんなに温厚で柔和な人間だとしても、会話の内容が取るに足らない些細な雑談でも、私の返答の仕方がどんなに丁重で失礼のないように気を配ったものであっても、関係ありません。相手の不機嫌な表情や怒りの感情に今まで一度も触れた経験がなくとも、関係ないのです。
私の態度や口調に腹を立てるのではなく、私が小さな否定や拒絶の反応を見せたという事実のみが、相手の激しい怒りを買う結果に繋がってしまうため、絶対に拒否の姿勢を見せない、もしくは今すぐにその場から逃げ出さなくてはならない、という本来ならば想定されるはずのない幻覚を見て思考が縛られてしまうことに戸惑い、苦痛を覚えていました。
私にこのような困った挙動が表れたのは、父親以外の要因もあったのではないかと考えています。
父親は、子供の反抗的な態度を決して許しませんでした。
例えば私が父親から「○○をやれ」と命令され、従順に従って即時行動を起こさず、嫌そうな顔を見せたり「嫌だ」などと発言して口答えしてみせたりすれば、必ず激怒されます。数秒前の笑顔が一瞬にして猛り狂った鬼の形相になる流れは日常茶飯事でした。そのままの勢いで殴り掛かられる場面も多かったのですが、そもそも私は父親への恐怖から、命令へ明確に抵抗して見せることが稀でした。そのため、自身の「拒否」の姿勢が相手の怒りを買い、それが即身体的暴力へ繋がる体験というものは、多い時期でも月に数回程度だったと思います。
発生頻度を考慮すると、これだけが成人後も尾を引くほど深刻な影響を与えたとは断言できないかもしれません。
私にとって、対話の最中に態度を急変させて殴り掛かってくるような人間は父親しかいませんでしたが、これに類するような体験が家庭外の学業の場にもあったのです。
担当教員の意に沿わぬ子供の反応が、厳しい叱責に繋がる場面が多くありました。
そのほとんどは感情的でない冷静な叱咤で、常識的な指導の範疇に収まるものだったと思いますが、中には度を越した激しさや理不尽さが目立ったものも見受けられました。
例えば、質問に対して「わかりません」と答える子供に我慢がならず「何でわからないんだ!」と怒り出してしまう教員、子供の望ましくない言動を「お前がそれで良いなら続ければ良い」と受け流し子供が言葉通り問題行動を続行すると「良いわけがないだろう!」と激昂し出す教員など、大人側に否定的な態度を示すと叱責を受ける、柔和な態度が急変して激昂になる、といった場面を繰り返し目撃してきました。
さすがに身体的暴力を行う教員には直接出会っていませんが、それ以外の父親から受けていた理不尽さに似た心理的暴力は様々な場に存在していたのです。
家庭内と家庭外、どちらか一方の軽い経験しかなく、いつでも逃げ込める先がある環境で生活していたのならば、問題なかったのかもしれません。
父親から受けた恐怖の体験が、家庭外の類似した体験によって、より強調されてしまったことで、他者との対話に問題を及ぼすような異常な精神状態や思考の癖を生み出してしまったように思います。