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20.親が示す子供との距離感に振り回される

-1- 大人との接触の機会

我が家は、人との繋がりを全く持たない父親と、人との繋がりを持ちたくても持てなかった母親の影響からか、家庭全体で外界との関係性が希薄な傾向にありました。

子供が多い家でしたから、日々学校や習い事に関係する親同士(母親のみ)のやり取りはもちろん発生していましたが、それは必要最低限のものばかりです。
他家との家族ぐるみの付き合いは皆無で、両親のどちらか、もしくは共通のごく親しい友人が自宅を訪ねて来るような行事は一度も発生していませんし、頻繁に顔を合わせる近しい親戚内ですら、親が心を許した様子でやり取りして見せた人間は一人も存在しませんでした。

そのような環境下では、自然と私たち子供が大人と接する機会は少なくなります。

私の子供時代には、学校という環境を除いて私生活を振り返ってみれば、会話らしい会話が可能だった大人は、両親と祖母の三人しかいませんでした。
例えば、最近学校で起きた出来事についてだったり、好きな本の話題についてだったり、そういった他愛もない雑談は、最も多く言葉を交わしていたはずの母親との間でもあまり多くはなかったのですから、その他の大人との対話の経験は、ほぼなかったと言い切ってしまって良いと思います。

子供側が好むと好まざるとに関係なく、幼い頃からそのような環境下にありました。

-2- 大人と子供との距離感

常に接する大人の人数が僅かな数であると、それぞれの大人が見せる「子供との距離感」がとても大きく響いてきてしまいます。

両親と祖母には、この「距離感」に秩序も統制もなかった(ように見えた)ため、子供側はこれに振り回されてしまい、成人後も続く長い苦しみとなりました。

例えば次の図のように定義したとします。

「図:親と子の関係性(距離感)を濃淡で表したもの」

中心を「0」として、親が子に対して押し過ぎず引き過ぎず、最も適切な距離感を保っている考え方で、一方へ傾くと親が子を支配しようとする傾向が高まり、もう一方へ傾くと親が子から遠ざかろうとする傾向が高まる、という親の考え方の程度を表した図です。

これを元に、私が多く接する機会のあった大人たちの考え方を分類すると次のようになります。
(当人たちへ聞き取り調査を行ったわけではないので、飽くまで私の視点による分類です。)

「図:祖母の傾向」

祖母から見て子ではなく孫ですが、祖母には孫によってあからさまな扱いの違いがあったため、一様ではありません。ただ、全体の傾向としては淡白な考え方をしており、濃淡は「-1」程度だったように思います。

「図:母親の傾向」

母親も祖母と同様に子に優劣(もしくは好き嫌い)があったようでしたが、祖母ほどはあからさまな扱いの違いはなく、全体的に濃淡は「0」に近い「-1」だったと考えています。

「図:父親の傾向」

やはり最も私が苦慮したのは父親でした。

普通は見られない傾向だと思いますが、父親は濃淡が「-2」と「+1」を頻繁に行き来するのです。
年齢などの条件によって「-2」から「+1」の範囲で少しずつ変化していくのではなく、急激に「-2」と「+1」が切り替わります。

父親はその時その時の機嫌や疲労度合いによって短時間で大きく態度が変わり、別人のように変化する人間です。父親自身の中では齟齬も矛盾もなく統一された思想に基づいて行動を起こしている認識なのかもしれませんが、傍から見れば、急激に内面へ歪みが生じているのかと感じるほどの変化でした。

父親の気分が子へ向かわない時は、我が子は透明になったかのように、存在しなくなります。言葉も交わしませんし、目も合わせません。ところが興味が子へ向いた途端、執拗に対象者を追い回して痛めつけるような激しい攻撃を実行し始めるのです。

-3- ばらばらな大人によって子供が受ける影響

以上の大人三人の平均値では、濃淡が負の数値へ傾いているように見えます。
現に体感としては、我が家の子育ては放任気味の空気があったのですが、前述したような父親の急激な方向転換によって、日常の「親(大人)との関係性が希薄」な状態が一転して「親(大人)からがんじがらめに支配される」状態に頻繁に切り替わる生活が続いていました。

物事は極端な傾きが良くないものなのですから、親との関係性が行き過ぎても引き過ぎても駄目なのだと思います。
また我が家の場合は加えて、父親の距離の変化が子供へ大きな混乱をもたらしました。

子供側としても、親との距離感をどのように取れば適切なのか測れず、私は親との関係が切れる前に結論を出すことができませんでした。


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