12.子供は親の「老後保証書類」だった
子供時代に親から面と向かって「お前たち子供は書類だ」と明確な言葉にされたわけではありません。
日頃、父親はしつこいほど繰り返し
「子供は親への感謝を最大限に示せ」
「子供の方から親の意図を察しろ」
「親のどんな言動にもまずありがたがれ」
という主張をぶつけてきました。
成人後に、父親から改めて口に出して
「子供っていうのは親の所有物だから」
と親が子供を「物扱い」しても良いと父親が考えていた根拠を説明していましたが、少なくとも私が子供の時には直接その説明を受けることはなかったと思います(たまたま私が遭遇していないだけで弟たちはされていた可能性もあります)。
いつも寡黙な父親が、機嫌が良い時には必ず
「お前たち子供の使命は親へ恩返しすることだからな」
と話し始め、日常生活の中で何よりも優先しなければならないのは「親への感謝」だと子供たちへ説いている父親の老後は安泰なはずだと満足気な表情を見せていました。
私が小学校中学年の頃に、ふと疑問に思って母親へ尋ねてみたことがあるのです。
学校の社会の授業で、国の社会補償制度に若年層が高齢層を支える仕組みがあると習った影響なのか、テレビ番組か何かで見聞きしたのか、自分でも何からそう考えるに至ったのかは覚えていないのですが、親の普段の言動から「親は子供のことを老後を保証する書類だと考えているのか」と思ったのです。
話の前後は覚えていません。
父親不在の時を選んで、母親へ問い掛けました。
「お父さんとお母さんにとって私は老後の保証書類なの?」
そういう直接的な聞き方だったと思います。
その問いに対して母親の返答はとても簡潔でした。
「そうだよ」
私はどこか期待していたのかもしれません。
そんなはずはないと、親のためだけに生まれ落ちてきて親のためだけにその身を捧げる、子供がただそのためだけに生成される生き物だなんて、それは違うと、母親は明確に否定してくれるものとばかり思っていたのでしょう。
父親の方は、常日頃から子供を「物」として見ているような言動をしていましたから、わざわざ聞くまでもなく「子供は親の老後の保証書類と考えているんだろうな」と思っていました。
しかし、子供の私から見た母親は父親とは異なる考えを持っていると認識していましたし、母親は子供を「物」と捉える人だとは思っていませんでした。
その私の想定に対して、母親は思わぬ返答をしたのです。
私は二の句が継げませんでした。
この母親の返答に対して自分がどのような反応をしたのか覚えていません。
何も言葉は返していないような気もします。
この時の具体的な話の流れを私は明確に覚えていませんから、実際は、母親が娘である私を叱っている最中で、口答えをしてくる娘に対して意趣返しなのか嫌味なのか本心ではない返答をした可能性もあります。ただの軽口のつもりで肯定してみせただけなのかもしれません。
それでも、これ以降に母親がこの言葉を訂正しようとしたことは一度もないため、私の中では「完全な本心まででなかったとしても多少はそういう認識があるんだろうな」と捉えるようになりました。
大人になってから、民法にある「一定範囲の近親者が負う扶養義務」という条項の意味を正確に理解しました。
おそらく当時の両親の頭の中には、この条項の存在があったのでしょう。
ですが、私の視点からは「自分たちが負うべき扶養義務を(一部)放棄しておいて他人に課せられる義務は声高に叫ぶのか」という、他人を場面場面で都合良く利用してやろうとする卑しい人間の言動に見えています。
別の話になりますが、私の両親は私たち子供の扶養義務を一部追わなかった過去もあれば、自分たちの親(私から見た祖父母)の扶養義務を正当な理由なく拒否してきた事実がありました。
自分たちは義務を負わず、他人には義務を負わせる、そういう親だったと思います。