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梅津庸一@国立国際美術館

梅津庸一の名は美術手帖で何回か見ているし、何回か美術館でも作品やパープルームの取り組みを紹介する展示も見たことがある

ただ、それぞれに重要な作家ではあり、ラジカル(根源的な)作風であるようだが、些か掴みどころのない作家、作品だという認識しかなかった

今回も、少々忙しくもあり、訪問を迷ったのだが、鑑賞は正解だった

最初の部屋では屹立とは全く逆方向の萎えたパームツリーであり、これは力を失ったファルスにも繋がる
鑑賞者の意気込みをまずは逸らしたうえで、展示は始まる

さて、美術という「制度」に焦点をあてると、梅津がやろうとしていることがある程度把握できる
美術を美術たらしめているインフラへの注目は、印刷工場や製陶所の無名の職人や経営者しかり、展示施設の製作者しかりである
さらに「美術教育」もインフラとして考えるなら、パープルームの取り組みも同じところにあるのだろう
美術が「作家」を前面化することで失われていくものへの視座が興味深い

一方で、ビデオのなかで紹介され、梅津によりその力を賞賛される展示施設の製作者が、必ずしも嬉しそうでもないことにも注目した

梅津は花粉に着目している、花粉は伝わるもの、受精のために移動する浮遊するものであり、さらに花粉症という方法で人類に生物としての自覚を促すものでもある

これをキャッチするための花粉濾し器という作品があり、しかも、それが罅割れているのは想像力を誘われる
同様に、手紙を入れて海に投げられるボトルシップも頻出するモチーフだが、これが割れていたり、珊瑚に絡まってしまっている姿もまた興味深い

展示風景を含め、振り返る目を持つためのいい体験になった鑑賞になった


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