伊勢音頭恋寝刃
幸四郎が福岡貢。
魁春演ずる万野の性格づけを含め、役者の解釈や性根によって、ずいぶん印象が変わるのではないか。
今回は歌舞伎座には珍しい通し狂言ということで、普段の見取りでは扱われない太太講の場もあって、物語における、妖刀「青江下坂」の位置付けがとても明確になった。
油屋での貢が次々と人を殺していく有様も、貢は主体ではなく青江下坂に引っ張られて人を斬り、刺しているような幸四郎の所作が腑に落ちる。
いわば物神化とでもいうものか。この芝居を観た後で刀剣の展示を観ると、精神がだいぶ震えると思う。
さて、この伊勢音頭恋寝刃、通しで見ると「交換」と「流通」というテーマで語れることがわかる。
転々とする青江下坂と折紙。青江下坂の本物と偽物。折紙の本物と偽物。お鹿と貢の間に万野が仲介することで交換される(実は交換されない)艶書と借金。
先に述べた太太講での、青江下坂、百両、死骸、折紙が次々と持ち主を替えて流転する仕掛け。とても経済構造的な芝居だ思った。
あと、結構、舞台裏の影セリフが多い印象。他の演目よりも目立ち、かつ、重要な役割を果たしているのではないか。
今日は、欧米系を含めて外国人観光客が目立った。三階席ということもあったのかもしれないが。彼らにとって、貢が人を殺すたびに見栄があり、柝が入り、観客からの拍手、さらには大向こうがかかるという状況はどのように見えるのだろう。
もちろん、欧米のドラマでも人が殺されることは珍しくないが、これほど殺人が様式化され、動機や感情以上に、その所作そのものに喝采が起きるのは珍しいのではないか。
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