友永雄人「三輪 神遊」
国立能楽堂で友永雄人がシテを務める能「三輪 神遊」を観てきた。
能を観る方には、全く語られないところではあるが、私は歌舞伎の「妹背山婦女庭訓」を思い出す。
モチーフとしての苧環や、お三輪という存在は、明らかに、この三輪伝説を下敷きにしていることは明らかだろう
こういうことを考えると、日本の伝統芸能における様々な共通言語という発想も芽生える。
脳の内容に戻れば、物語を引き出す存在としての「ワキ」に注目する。シテが中心だとしてワキがいなければ、物語が始まらない。地域におけるワキという存在も考える。
神と人との関係が、神が人に救いを求めるという奇妙さ。睦言というセクシャルな関係性など、西洋の神と人との関係の違いは甚だしい。
冒頭にあった村上湛氏の「神話がどう受け入れられているかを示すもの」であり、その論理的矛盾に焦点をあてる意味はないとの提起は重要だろう。
伊勢と三輪の神が結びつくのは唐突感もあるが、天照大神という存在によってリンクするというのも学びになる。このあたりは地域研究としても興味がある。
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