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ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ
国立西洋美術館では初の現代美術家による展覧会とのこと。
コンセプトに興味があって出かけてみた。
実際に観覧すると、作品も作品として見応えはあるが、それ以上に「概念の展覧会」だという認識が強い。
それぞれの美術家は必ずしも国立西洋美術館にある作品をモチーフとして、自らの作品を構築しているわけではない。
既に亡くなっている辰野登恵子が「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」に直接応えられるはずもない。
そこでは、国立西洋美術館という「制度」をどのように捉えたのか、捉え直したのかみたいな内容が多く、作品以上に、そこここに置かれている文章群が触発的だった。
つまり、今回の展覧会は美術家というより、キュレーターの展覧会だったという強い印象を持つ。
もちろん、それは否定されるべきことではなく、またキュレーターが独善的に展覧会を作ったということでもない。
キュレーターと美術家の間でのやりとりや、美術家相互のやりとりの観察が、キュレーターを成長させ、展覧会を充実させたことに疑いはないだろう。
キュレーター新藤淳の力業的な展覧会だった。そして、それは、編集という発想の重要性を考える時に、とても意義のあるものだったと考える。
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