国立劇場建設の目処が立たないなか、文京シビックホールでの公演
当然ながら人形浄瑠璃文楽の公演向きではない
観客もキャパの3割程度だろうか、結構に危機的な状況だと思う。

演目は、妹背山婦女庭訓。通し狂言と名うって第一部から第三部まで行われてはいるが、冒頭も結末も削っているうえに、原作の順序まで変えているので、妹背山婦女庭訓名場面集と言ったほうがいいのではないだろうか

実のところ、妹背山婦女庭訓は妹山背山の段以外は、いささかストレスが溜まるストーリーではある。
芝六忠義の段では、芝六が実の子である杉松を殺す理由が薄弱、というか自分の信義が疑われ、勘当が許されなくなるのではないかという思い込みから、子殺しをすることによって真剣さを示すという、あまりにも自分勝手なものだし、

杉酒屋の段での、求馬つまり藤原淡海の、お三輪と橘姫への対応が単なる性慾強めの二股男にしか見えないわけで、なぜなら、身分を偽るために酒屋で働いているとして、そこの娘と情交しなくてもいいし、この時点では橘姫であることを知らないまま、単に誘われたから情交しているわけだし、

最悪なのは金殿の段でのお三輪が散々いじめられて、復讐に向かおうとした時に疑着の相になってたので殺して生き血を取られて、それが幸せだと決定的な身分関係の中で納得させられるのも、どうしても気持ち悪い。

もちろん、妹山背山の段での上手下手の両方の床を使った演出は今回も相当に楽しめたわけで、また、芝六忠義の段についてストーリーには違和感はあるけど、千歳大夫のリズム、強弱には凄さを感じて、十分に楽しめはしたし。
藤大夫の小松原の段では成長を感じられたし、次代のエースだろう織大夫の金殿の段での語りの強さにも改めて衝撃を受けたことなど、鑑賞経験としては悪くはないんだけど。

ところで金殿の段で、鱶七があそこまで強く語る必要はあるのかとは思った。
もう一つ、文楽における公家悪的存在による笑いというものの圧倒的な提示は、何か呪術的なものもあるんだろうかとか思うほどではある。


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