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七月大歌舞伎@大阪松竹座

昼の部、夜の部通しで鑑賞
大阪松竹座はとても小さく、目の前で芝居をしている印象。同じく前の席でも歌舞伎座とは雰囲気が異なる。

昼の部の最初の演目「小さん金五郎」は、これでもかというほどの上方らしさ。
随所に散りばめられた小芝居や、ねっとりした、言い換えればくどい演技。江戸の芝居とこんなに違うのかと改めて驚く。

粋のイの字もない芝居は、ちょっと私には合わないが、これはこれで、上方らしさを堪能できた。
まぁ、芝居の筋としては、とてつもなく単純かつご都合主義だが、こういうものが好まれた背景もわからないではない。

昼の部の所作事「俄獅子」。時蔵、隼人、萬太郎の舞踊は素敵だった。リズムと華と見えとケレンと。
歌舞伎の魅力が十分に詰まっている。
播磨屋の蝶也さんも若い衆でしっかりとできていた。

昼の部トリは「恋女房染分手綱」重の井。お目当ての歌六丈が、赤じじいの本田弥三左衛門のお役でいよいよ出演
流石に素晴らしい芝居。いつも、あんなに元気な歌六丈が役に合わせて、年寄りになるとこうなるという演技で説得力

この演目は、萬壽丈の襲名、梅枝の初舞台ということでも注目したが、しっかりとした所作で流石だった。
筋としては、調姫と自然薯の三吉の対照が十分に練られている作品。作劇法としてよくわかる。

夜の部は義経千本桜「椎の木」「小金吾討死」「すし屋」
椎の木での権太の妻子への愛情が重要、改めて感じられた

権太の実際の戻りはいつか、について
父親と維盛の会話を盗み聞きしたところだろう。その上で、自分のものにしようとしていた三貫目を維盛家族に渡すために追うが、途中で桶の中身が首であることに気づき、すり替えによって、維盛への追っ手も無くそうとする。

しかしながら、追手を無くすには、若葉の君と六代も必要になり、自分の妻子を身代わりにすることになる
これにより、父の勘気を解こうとするが、歌舞伎の例に漏れず「説明しておかない」ことによる悲劇を生む

一方、梶原にとっては、頼朝からの「維盛をできる限り救え」という指示にどのように答えようかと悩んでいただろうところに、権太の仕掛けは、海路の日和だったはず

単に偽首だけでは、維盛を救いきれなかったはずのところに、若葉の君と六代の身代わりは得たりや応だったと考える

で、あれば、権太の死は、父親の希望である維盛を救うという意思を実現して、無駄ではなかったことになる

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