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バーを享受せよ

夜が、怖いか?
……
孤独が、怖いか?
……
現実が、怖いか?
……

バーを享受せよ。


ーーーーーーーーーー

空に暗がりが積もるころ、思考が絡みだすころ、視界に影が差すころ、
そのバーは動き出す。

存在するものは、九席のカウンターと、何種類にも及ぶウイスキーの瓶だけ。
バインダーで綴じられた数枚の古紙は、一見するとメニュー表のようで、でも、めくれどもめくれども空白。

まばらなカウンターに腰掛け、自分の思考と対峙する。
そうしていると、どこからともなく現れたマスターがコースターと一杯のアルコールを差し出す。
それがこの店の暗黙のシステム。

バー「valve」。

トゥウェンティーワンエール……。
マスターがそう呟いた気がするが、自分の聞き間違いかもしれない。
なんか、軽いような深いような不思議な味。
こんな言い方あれかもだけど、少しコーヒーみたい?
でも、飲みやすい。うん。
え、

視線をカウンターのなかにやると、マスターが三十センチメートル四方程度のブラックボードを抱えて立っていた。
「ぼくらが旅に出る理由」
そう、白のチョーク、癖のある筆跡で書かれていた。

ぼくらが旅に出る理由……か。
何かを捨てるため?何かを見つけるため?
それとも、何も変わっていないことを確認するため?
これまで、それなりに旅はしてきた。
旅好きって程ではないけど、そこそこにはいろんな場所を訪ねてきたつもりだ。
でも、これまでの旅に意味など見出していただろうか。
目的をもってした旅はあっただろうか。
自分がしてきた旅といえば、観光であったり、ルールの決まった行程があったり、どれも目的地にある何かを享受しにいくような、そんな受動的なものだった気がする。
旅に出る、というより、旅に乗っかる?
見方によっては、この店への道のりも、旅だったのかもしれない。
そんなことを思ってしまう時点で、また、旅を受動的にしてしまっているのかも。

気が付かなかったが、入り口から離れたほうのカウンターに一人の女性が座っていた。目の前に並べられたウイスキーの瓶を見定めるように、それでいてそのラベルさえも味わうように、黙々とアルコールを口に運んでいた。
彼女は「サーソー」と名乗った。
ウイスキーの香りと思考の端で、彼女はマスターが抱えるブラックボードに書かれた文字を認識し、ポツポツと言葉を零し始めた。

花は、悩みと同じなんだよね。咲いては消え、また咲く。色も形もそれぞれで、組み合わせによってより華やかになったり、新たな意味がうまれたり。ま、悩みなんて華やかなもんじゃないけど。
私、フラワーデザイナーやってるんだよね。パーティーの花飾りを考えたり、花束を作ったり。
よく、素敵な仕事だね、って言われるけど、私はそんないうほどじゃないと思う。この世界にある、限りある花の中から考えうるなかの最も良い組み合わせを考えるの。まるで方程式を探すみたいにね。よっぽど現実的でしょ?

フラワーデザイナー……
そんな仕事もあるんだ。いや、あるか。
自分の見えているあれもこれも、全部が誰かの仕事でできている。
きっとこのバーも、誰かがつくったもの?

旅に出る理由ね。私はもっぱら仕事だけど、そう、花を見に行くの。
でも、旅ってそんなものじゃない?そこにしかない何かを見にいく、聴きにいく。「出かける」ことが旅だとするなら私たちだって今も旅の途中じゃない?そう考えると、もはや旅をしていないときのほうが不自然に思えてくる。
旅っていうのは、そんな自分の中の不自然を解消するものだったりするのかもね。
旅先の美しい自然と不自然……って、関係ないか。

花も自然……。
サーソーさんの言葉は、色とりどりでどこか生ものっぽい感じがする。
自分はいま、不自然なんだろうか。
そんな不自然をどうにかしたくて、この、怖く暗い夜の中を歩いたんだろうか。
私は、旅をしたい。
もっと。
色んな場所へ。

空になったグラスを置く音がして、振り向くとそこにはもうサーソーさんの姿はなかった。そこに置かれているはずのグラスもすでに消えていて、その代わりといったような佇まいで、コースターに黒文字が一輪、ポツンと置かれていた。

カウンター、背の高い椅子。綺麗に揃えられたウイスキー、ブラックボード。耳心地のよい音楽、観たことのない俳優がでている映画。二つのスピーカー。白紙のバインダー。グラス、チーズケーキ、照明、本棚。

あれからどれくらいの時間が経っただろう。
空の暗さとは裏腹に、自分の思考は絡まりが解け、光さえ感じていた。
久しぶりの感覚に、視界がチカチカしてきた。
あれ……?
本当に、チカチカしてない?

ーーーーーーーーーー

暗い空の下を家路につく。
もう夜は怖くない。
孤独も。
現実は……少し怖いかも。

どこかで消えかかった明かりは、また少しだけ明滅する。





バーを享受せよ。




hommage from https://www.wakuwakugames.com/enjoythediner







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