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noteで学べるシステマ講座 第86回「"謙虚さ"とは-戦士の心得-」Part2

noteで学べるシステマ講座
「"謙虚さ"とは-戦士の心得-」Part2

言行不一致という罪

ミカエル:世界ではさまざまな問題に政治的な意図が込められています。それによって世界中が一方向に動かされようとしています。それに対して多くの人は目を瞑っているのです。いかにそれがおかしなことであるかと分かっていても、目を瞑る。例え目を瞑っていても、おかしなことであることにかわりはありません。神の教えに反しているものは、反しているのです。そこに目を瞑りながら、血が流れたという結果に対してだけ非難をする。それ以前のおかしなことに目を瞑ることそのものが、罪であると私は考えます。

妻との性行為を拒み、自慰行為によって自分の精液を捨ててしまった男性を神が罰したという寓話があります。これは神が罰したというより、その人が大地からネガティブなエネルギーを受け取ってしまったのです。この話の真意は、命の源となるものを本来行くべきところではないところにつぎ込むところに「神の罰」という表現が使われているのです。いくら懺悔をしても、いちど捨ててしまった命の種を取り戻すことはできません。これは人のあるべき姿ではありません。いま世界では、そのような人をあるべき姿から遠ざけるようなことが進行しているように思います。

真の謙虚さを生み出すもの

こうした前提を踏まえて、今日のテーマである「謙虚さ」について改めて考えてみましょう。「世界ではこんなに大勢の人が困っている」、「辛い思いをしている」と声高に叫んでいるのと同じ人が、私生活ではこっそり自慰行為などの不自然な行為に勤しんでいる。そういったことは「謙虚」と言えるでしょうか? 人々がその力を十分に発揮できるような生き方を提示するわけでも、自分たちが実践しているわけでもなく、むしろネガティブな方向に捻じ曲げようとしている。

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