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夫・・・手術後の対面

手術後私と娘は、夫の執刀をしてくれたお医者さんから説明を受けました。とても若い先生でびっくりしましたが、長時間の手術は若い先生の方が体力があるからかな?などと勝手に思ってしまいました。

執刀医の先生と初対面したときの先生の表情の硬いこと・・・。とても手術が成功した顔ではないと思いました。説明に依れば、夫の脳内出血の箇所は脳の中のかなり深い所だったらしいです。破裂した血管をクリッピングするという内容の手術を行い、なんとか一命を取り留めたとのこと。手術前は刺激しても目を開けないくらい意識の状態は悪かった。合併症として脳血管攣縮、後遺症としては左半身麻痺、動眼神経麻痺も考えられる状態だったそうですが、手術自体は順調に終了したそうです。脳を休めるために鎮静(モルヒネ使用)、呼吸管理、全身管理をしていくと言われました。

合併症は、脳血管攣縮と言って、脳内の血管が縮んで脳梗塞状態になり、死に至るという事でした。すでに毛細血管では小さな梗塞が起きていると言われました。今後2週間以内に大きな合併症が出なければ山場は超えることになると言われましたが、その合併症は術後30%位の患者さんに発生するとも言われ、脳血管攣縮が起きないよう、今は血圧を上げて血流を良くする処置をしていると説明されました。

合併症が起きると命の危険が生じるので、私の携帯番号がホットラインとなり、病状急変時は先ず私に電話が来ることになりました。そして執刀医からは手術の内容など細かい説明が沢山あり、それらを記入した書類に私は自分の名前を書き連ねました。何かあった時に全て承諾しているという証です。医療裁判を避けるためですね。お医者さんも大変だと思います。

そして夫との対面。

全身チューブだらけ。顔は腫れていました。頭は包帯でグルグル巻き。シーツには血痕もついていました。私と娘はただただ、意識の無い夫を見つめるだけ・・・。無力感。

とはいえ、一応手術は終わったので、一緒に付き添ってくれた息子親友にお礼を言って一旦解散です。私と娘は慌てて出てきた自宅に一旦戻ることにしました。我が家には当時、ナナとエミという2匹のシーズー犬が居ました。すでに初老のおばあちゃん犬だったので、ほったらかしにしてしまっていたのも心配でした。

また、夫は台所で倒れて、嘔吐もしていたのでその片付けや犬の餌など、心ここにあらずだけどやらなければならない事がありました。

暫くして息子が自宅に到着。もしものことを考えると一刻も早く息子には夫に会って貰いたいと思い、また病院に向かいました。面会者登録をしていた息子はスムーズに夫に会うことができました。もちろんまだ意識は戻っていませんでした。

朝9時になったので、夫の会社に電話を掛けました。倒れたのは日曜の晩。そこからの緊急手術でしたので、会社が始まったら連絡を・・・と思って居ました。

電話を掛けたら一番最初に出た社員の方が、たまたま夫の直属の部下の女性の方で、状況を話したら絶句しておられました。そして他の部下と共に直ぐに病院に来てくれると仰いました。来ていただいても面会はできないことをお伝えしましたが、直接ご家族とお話しを・・・と言われて、息子と一緒に会社の方に会うことにしました。

二人の方が来て下さいました。夫が倒れた時の動転は収まり、私は意外と冷静に話ができました。夫の状態はまだ余談を許さないことや、助かっても会社復帰は無理かもしれないと伝えました。当時確か大きなプロジェクトに関わっていたので、穴を開けてはいけないので直ぐに後任を見つけて欲しいと頼みました。

でも会社の方は、「もう少し様子を見ましょう。社員達に伝えるのは状況が安定してからにしましょう。」と言うことで、会社の意向で夫の病名は伏せておくことになってしまいました。息子もサラリーマンです。会社組織のこともよく分かっていますので、息子と事前に話をした際には、復帰なんて無理だから直ぐに後任を探して貰うように言おう!と意見は一致していたのですが、こちらの要望は通らず・・・でした。

夫が倒れてから、彼の携帯(当時はガラケーだったなぁ)を私が首からぶら下げて、会社関係の連絡対応する事になりましたが、本当のことは伏せている状態なので、メールが来たりすると夫の事を把握している部下の方に転送するといった作業が始まりました。

夫は会社を休んでいるわけで、理由を知らない会社関係の方々は、「部長~、どうしたんですかぁ?風邪ですか?」なんて、メールも数々あり、そのたびに本当のことを言った方がどれだけ楽か・・・と思いました。

会社は、私の知らない世界なんだと、つくづく思いました。

会社の方が帰ったので私と息子も一旦帰宅しました。息子は無口でしたが、ショックは大きかったと思います。後で息子から聞いたのですが、夫は自宅でタバコを吸った直後に倒れました。術後の父親の変わり果てた姿を見た息子は、そのときタバコを辞めたそうです。。 息子よ!!賢明な判断だったよ!!!

そうこうしているうちに、私の両親と夫の姉夫婦が駆けつけてくれました。かなり離れた所に住んでいるので、朝一番の飛行機で来てくれましたが、到着は午後でした。二回目の面会要請。実は私が面会者登録をするときに、私と息子と娘の名前しか書いていなかったのです。緊急事態です。冷静に誰が面会できるか?なんて考えられません。ですよね?

看護師さんに頼み込んで・・・。遠くから来たので、なんとか会わせてもらえませんか?とお願いしたら短い時間だけ、という事で私の両親と義姉夫婦も会うことができました(嫁の役割なんとか果たせた!!)

総勢6人で夫のベッドを囲み、一応妻である私が夫のそばに行き、様子を伺いました。意識が戻ったようには見えませんでしたが、お医者さんが「耳元で話しかけてください」と言ってくれたので、「お父さん!」と声を掛けました。実のところなんて声を掛けたら良いかもわからなかったんです。

更にお医者さんは、

「聞こえたら右手を握って」

「右手を動かしてみて」

「右足を動かしてみて」

と言って欲しいと言いました。

意識は無いと思っていましたが、手も握り返してくれて、右手でVサインなのか?チョキなのか?分かりませんが動かしてくれました。そして右足も動いたんです!

お医者さんは「良い兆候です!!!」と言って下さり、一瞬良かったぁ~~と思ってしまいましたが、後で考えると全部右側の反応だったのです。そんなことには気づかないまま、皆で先ずは手術が成功して良かった!と皆で励まし合ってその日は帰宅しました。

倒れてから一睡もできないままだったのですが、電話がいつ掛かってくるか怖くて殆ど眠れませんでした。

あの手術の日から約一年半の間、結果的に私は殆ど毎日夫の病室に面会に行くことになったのですが、まだ先のことなど考えられない私は、頭が混乱したまま翌日を迎えることになります。

今、介護13年目

退院中も退院してからも、良いこと、悪いこと、悲しいこと、などなど色んなエピソードがあります。今の私は介護で、とてもしんどいです。手術がせいこうしたから全てOKではありませんでした。でも夫は生きています。なのでこれからぼちぼちとエピソードを振り返ってみたいと思います。結構笑えるエピソードが満載です(笑´∀`)

つづく・・・




















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