ジジ(夫)の手術
2009年11月1日
夫が倒れてから迅速な救急隊員の方々のおかげで
多分15分~20分後には病院に着いたと思います。
私が119番のオペレーターの方に伝えた夫の症状から
命に関わる重篤な状態であると判断したのでしょう。
高度救命救急センターが幸いにも近くにあったので
直ぐに搬送してくれました。
救急車に同乗していた私と娘M子は
救急車が到着すると直ぐに病院の事務の方に連れられて
待合室に案内されました。
あまりにも早い対応で、私は夫の顔を見ることさえできませんでした。
待合室についた途端、私は腰が抜けました(T_T)
そしてパニック発作(持病です)動悸、めまい、過呼吸みたいな感じ。
何が何だか分からないけど、とにかく大変なことになってしまったようだということは分かりました。
私も急に体調が悪くなってしまったので、娘M子に看護師さんを呼んでくれないか?と頼みました。
でも・・・
高度救命救急センターです。
一刻を争う患者さんが居る中で、私の訴えはほんのちいさなことです。
「ここではお母さんさんを診ることができませんから他の病院へ連れて行って」と看護師さんに娘M子は言われたそうです。
ほんと、その通りです。
しっかりしなきゃ!!!!と思いました(一応・・・)
で、いつも飲んでいる薬を飲み、待合室のソファで横になりました。
夫は直ぐに検査を受けていたみたいです。
私が腰抜け状態でオロオロしていたので、検査の結果は娘M子が診察室に呼ばれて聞くことになりました。
私はは役立たずです(-_-;)
お医者さんが検査の結果を娘M子に伝えた際、あまりにもショッキングな内容だったので、「お母さんには全てを伝えない方が・・・」と言われたそうです。
でも、M子は私に伝えないことは賢明な選択ではないと判断したのでしょう。
M子「お母さん、大丈夫?お医者さんの言ったこと聞ける?」
私「大丈夫」(腰が抜けて横になってるくせに・・・)
M子「お父さんは脳内出血及びくも膜下出血だって。手術をしないと確実に亡くなる。手術をしても助からないかもしれないし、助かっても一生植物状態か、寝たきりだろうって」
確かにかなりショッキングな内容なんだけど、こんな時多分世の中の人の多くは、なんだかまだ信じられないような感覚なんだろうと思います。そして助かったとして、その後にやってくる大きな試練なんて想像もつかないのだろうと思います。
「手術して貰って」私はそう言ったように記憶しています。
M子はたくさんの手術承諾書にサインをして、私の代わりに気丈に対応してくれました。ボ~っとした感覚のなかで、私はそれでも手術すれば助かるような気がしていました。そのときは・・・
緊急搬送されてから約一時間近く検査が続き、やっと手術が始まると言うことで、その前にジジに会わせてもらうことになりました。
M子と私は夫の元へ。
ベッドに寝ている夫は、もちろん意識不明。お医者さんが何人もそばに居たような気がします。そして私が
「宜しくお願いします。夫に触ってもいいですか?」と尋ねました。
きっと一刻を争う病状だったであろうに、お医者さんは「どうぞ」と言ってくれました。意識の無い夫のほっぺたを触り、何か言ったかもしれないけど、今となっては記憶がありません。手術前の夫はただ寝ているだけ。今にも起きてきそうな、脳の中で大変なことが起こってるようには見えない静かな姿でした。お医者さんは、もしもの事を考えて私の希望を叶えてくれたのだと思います。
そしてまるでドラマの様な事が実際にあるんだ!!と思ったお医者さんのひと言。
「全力を尽くします!」
大変な時なのに、私はテレビドラマと一緒だ・・・と思ってしまいました。
手術が始まる直前、私は夫が居る病室から出されてしまいました。看護師さんから毛布を渡されて、廊下で座って待っていてくださいと言われました。逆らう事も無く私は暗い廊下で独り。手術前の大変な時にまた私の具合が悪くなってはいけないと配慮してくれたのだと思っています。
M子は何やら手術の事や術後の事など、再確認させられたのではないかと思います。
緊急手術が始まったのが午後10時過ぎ。私とM子は家族待合室に連れて行かれました。少し正気を取り戻した私は、息子Yに連絡するようM子に頼みました。離れて暮らしている息子Yは一ヶ月前に娘が誕生したばかりの新米パパです。連絡はついたものの、もう駆けつけるには交通機関が無く、手術もどのくらい掛かるか分からないので、翌朝一番の新幹線で来ることになりました。息子YはM子より3歳年上の長男で、当時26歳、M子は大学を卒業したばかりの23歳でした。何かしなければ!!!と思ったのか?M子が独りで私に付き添うのは可哀想だと思ったのか?
なんとまぁ!息子の粋な計らい??で、息子の中高生時代の親友男子が二人駆けつけてくれました。私がオロオロしていたから、息子Yは一人でも多く誰かを!と思ったのでしょう。私も娘M子も面識はある男子二人でしたが、でも後になって考えると、生死をかけた大手術の間、よそのお父さんの為に付き添うのは申し訳なさ過ぎました。普通はこんなことないですね。うちの家族はちょっと変わってる?!
手術が成功する確率自体が低かったので、助かると思っていたのは私だけで、息子YもM子もきっとダメだろうと覚悟していたみたいです。そんな大変な場面に付き添わせてしまって息子の親友2人には、本当に感謝しかありません。
手術は朝の5時頃まで掛かりました。その間経過報告は一切無しでした。よくドラマで手術が長引いた方が助かる見込みが高い!なんて聞きます。こんな時はドラマの台詞は役立ちます(お医者さん監修で台本はできているでしょうから・・・)私は、出産前の新米パパさんの様に、廊下を行ったり来たり、椅子に座ったり立ったり、途中でお腹が痛くなってトイレに通ったり、まぁまぁ落ち着かない状態でした。息子友達も軽い話なんかできないので、黙って座っているだけで、4人で一夜を明かすことになりました。
いつ手術が終わったと教えてくれるのか?またどのように教えてくれるのか?その後は会えるのか?などなど本当は聞きたいことが沢山あったのですが、誰もいなくて、シーンと静まりかえった待合室に私たち4人。午後10時過ぎから翌朝5時まで約7時間。この時間は本当に本当に長い時間でした。
朝になり、やっと看護師さんが来てくれて手術は終わりました。今から会えますよ!と言ってくれて先ずは私とM子が夫に会いに行きました。
つづく・・・
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