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【書評】『一九八四年』

今回ご紹介する本はこちら。
『一九八四年』
著者:ジョージ・オーウェル

本投稿の構成としては、本書を取り上げた理由を記載した後、本書の要約を記載しています。

この作品の何に惹かれるのか

この作品はディストピア小説と呼ばれる分類にあり、全体を通してとても雰囲気が暗いものになっています。退廃的な世界の中で、人々との生活には、憂鬱感が満ちており、ウィンストンとジュリアの恋愛模様でさえも絶望感と儚さが漂っています。

しかしながら、1948年の出版当初からイギリスやアメリカで爆発的に読まれ、今なお欧米を中心に高く評価されている作品になります。

そんな暗い作品の何に惹かれるのか。

本作品が発表された1948年は第二次世界大戦が終わってからまだ間もなく、ヨーロッパの国々ではその復興の真っ只中である時期になります。その一方で第一次世界大戦、第二次世界大戦を経てアメリカやソ連が台頭し、ヨーロッパ各国の地位の低下が明確になり始めていました。そしてそのアメリカとソ連の間で冷戦が始まり、核戦争というのが強く意識された時期でもありました。

そのような情勢の中で著者のジョージ・オーウェルはファシズム、そして共産主義の体制下で行われた「政府による国民の管理」ということをより深く捉えました。そしてオーウェルは国民の行動を管理するだけでなく、国民の思想さえも管理するとどうなるのか、というところまで達しました。

1948年というパソコンやスマートフォン、監視カメラがない時代の中で1984年の世界として、テレスクリーン(音声や映像の双方向通信を行う)や口述筆機(音声入力機)という当時としては近未来的な機械が登場しています。そしてその中で、「政府による国民の管理」ということを描くことで、退廃的で近未来的な世界観を生み出しました。

このような形で「政府による国民の管理」を描いたというところに、多くの人が本作品に惹かれています。

戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり(本書本文より)

21世紀に生きる人がこの本を読む意味

1948年には近未来的であった世界観も21世紀の視点から見ると少し古くさい物があります。テレスクリーンで行う音声や映像の双方向通信はインターネットとアプリケーションで既に実現しています。

しかしながら、近年この本が再度評価されつつあります。

なぜ、21世紀に生きる人々がこの本を読むのか。それは「政府による国民の管理」と同じようなことが発生しているからになります。

インターネットの発達、そしてGAFAに代表されるようなプラットフォーマーとしてのIT企業が大きく成長してきました。

彼らは利用者に様々なサービスを提供し、その過程で発生する検索内容、日常に関する投稿内容、位置情報、閲覧情報、購入情報等の膨大な個人の情報を元に利用者に最適な広告や商品を提供することで収益を上げています。

このようなプラットフォーマーによって行われる「個人の情報を収集・分析してその個人の属性を推測し、最適な情報を提供する」という行為について、「プラットフォーマーによる利用者の管理」になるのではないかと言われています。

また、プラットフォーマーが収集している情報を政府が取得すれば、それこそ「政府による国民の管理」が容易に実現してしまう可能性があります。

このようなことから、プラットフォーマーや政府による個人の情報の取り扱いというものに規制をかける議論がなされているわけですが、その議論の中で、情報通信技術の発展によって実現する一つのディストピアとして、この『一九八四年』が取り上げられ、再び評価がなされています。

「プラットフォーマーによるデータ利用」や「個人情報」等に興味・関心がある方は一読してみてはいかがでしょうか。

自分の立てる物音はすべて盗聴され、暗闇のなかにいるのでもない限り、一挙手一投足にいたるまで精査されていることを想定して暮らさねばならなかったーいや、実際、本能と化した習慣によって、そのように暮らしていた。(本書本文より)

第一部 ウィンストンとその周囲の人々との生活

物語は三部構成となっています。
第一部はまず主人公のウィンストンを取り巻く世界観に触れています。

世界が3つの大国に分割され、常に戦争が行われている世界。ビック・ブラザーが崇拝する党によって支配されているロンドンでは、テレスクリーンを通した監視が昼夜問わず行われ、イングソックという哲学に基づいて人々の思想さえも管理されています。

主人公のウィンストンは、注意深い人物です。党から目をつけられ、思想犯罪者となればその存在が抹消されてしまうことから、そうならないように模範的な人間像を演じていました。一方で物語の冒頭が日記をつける行為から始まるように、その心境は党や規律に抵抗しようとする姿勢もありました。

第一部では、そんなウィンストンの日常生活を通して、彼の住む世界に満ちあふれている憂鬱感が描かれています。

二分間憎悪、ウィンストンが働く真理省の職務、プロールと呼ばれる一般大衆の生活、ニュースピークや二重思考による思考支配…etc

ウィンストンは、日記に赤裸々に感情を書きつつ、党から目をつけられないように演じた生活を送っていたのでした。

自由とは二足す二が四であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる。(本書本文より)

第二部 2人の人物との関わり、世界の正体

第二部でウィンストンに大きな変化が訪れます。
ジュリアとの恋愛、そしてオブライアンとの面会によって物語は大きく展開されていきます。

ジュリアはウィンストンと同じ真理省で働く若き女性です。ウィンストンは彼女のことをとても熱心で模範的な党員とみていました。彼女の頑迷に党を信奉し、党のスローガンを鵜呑みにしているかのような雰囲気を、彼は初めて見かけたときから好きにはなれませんでした。そしてウィンストンは当初ジュリアが近づいてきたのは思想警察のスパイだからなのではという疑いさえもかけていました。

しかし、ジュリアから渡されたメモをきっかけに二人の距離は少しずつ縮み、恋人の関係になります。二人は党や思想警察に気づかれないように細心の注意を払いながら、愛情を育んでいきました。

この文鎮は自分のいる部屋、そして珊瑚はジュリアと自分の命。それはクリスタルの中心でいわば永遠に不変の存在となっている。(本書本文より)

そんなある日、ウィンストンはオブライアンから声をかけられ、彼の自宅に招待されます。

オブライアンは党中枢の一員です。しかし、ウィンストンは彼は反体制派の「ブラザー同盟」に繋がる存在なのではないかと意識していました。

ジュリアとともにオブライアンの自宅を訪問したウィンストンは、そこでオブライアンが「ブラザー同盟」の一員であることを知り、そしてウィンストン自身も「ブラザー同盟」の一員となるために、「ブラザー同盟」の思想の根底にあるエマニュエル・ゴールドスタインの著書「寡頭制集産主義の理論と実践」を手に入れることになりました。

「寡頭制集産主義の理論と実践」を読み、彼らの生きる世界を知るウィンストンとジュリア。しかし、ついにウィンストンとジュリアは思想警察に捕まってしまいます。

珊瑚の破片、皺が重なり合ったピンクの小片が、砂糖細工のバラの蕾がケーキから落ちたときにも似て、ころころとマットの上を転がる。なんて小さいんだーウィンストンは思ったー前からそんなにも小さかったのだ。(本書本文より)

第三部 思想犯罪者の顛末

第三部は思想犯罪者となったのウィンストンの顛末が書かれています。

思想警察に捕まったウィンストンは愛情省にある監房に入れられます。
思考犯罪者として、拷問されるウィンストン。そこにはオブライアンも登場し、彼によって激しい拷問がなされます。数々の拷問により、二重思考を強くたたき込まれ、自分の思想を捨てるように誘導されていきます。彼はそれでもジュリアを裏切らないことを最後の砦に抵抗していました。
しかし、101号室に運ばれたウィンストンはついに心が折れ、ジュリアを裏切ることになります。

拷問から解放された彼はもはや廃人になっていました。湧き出てくる自分の感情を捨て、二重思考にしがみつくウィンストン。そしてテレスクリーンから流れる戦況。そのとき彼の心の中は大きな歓喜に包まれました。彼はついにビック・ブラザーを愛したのです。

闘いは終わった。彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、<ビック・ブラザー>を愛していた。(本書本文より)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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