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【パロディ】夢十夜(第十九夜)

 世の中が何となくざわつき始めた。富次郎の実力は将棋三家も認めざるを得ない。今にも富次郎が御城将棋に出勤しそうに見える。富次郎は将棋三家に準ずる「別家」に列せられ、富次郎は剃髪し、天野宗歩と名乗る。将棋家は森として静かであるが、和田印哲に勝った宗歩の挑戦を受けることとなる。
 大橋宗珉家には若い母と三つになる子供がいる。父は御城将棋へ行った。父が城へ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床の上で草鞋を穿いて、白い頭巾を被って、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞の灯が暗い闇に細長く射して、生垣の手前にある古い檜を照らした。
 父は将棋家の権威を背負っていた。母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「いつ御帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉を何遍となく繰返して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々は「御父様はどこ」と聞かれて「今に」と答える事もあった。
 夜になって、四隣が静まると、母は白装束に着替え、五寸釘を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へ背負って、そっと潜りから出て行く。母はいつでも草履を穿いていた。子供はこの草履の音を聞きながら母の背中で寝てしまう事もあった。
 土塀の続いている屋敷町を西へ下って、だらだら坂を降り尽くすと、大きな銀杏がある。この銀杏を目標に右に切れると、一丁ばかり奥に石の鳥居がある。片側は田圃で、片側は熊笹ばかりの中を鳥居まで来て、それを潜り抜けると、暗い杉の木立になる。それから二十間ばかり敷石伝いに突き当ると、古い拝殿の階段の下に出る。鼠色に洗い出された賽銭箱の上に、大きな鈴の紐がぶら下がって昼間見ると、その鈴の傍に八幡宮と云う額が懸っている。八の字が、鳩が二羽向いあったような書体にできているのが面白い。そのほかにもいろいろの額がある。たいていは家中のものの射抜いた金的を、射抜いたものの名前に添えたのが多い。たまには駒を納めたのもある。
 鳥居を潜ると杉の梢でいつでも梟が鳴いている。そうして、冷飯草履の音がぴちゃぴちゃする。それが杉の木の前でやむと、母はまず藁人形を取り出し、すぐにその人形に五寸釘を打ち込む。たいていはこの時梟が急に鳴かなくなる。それから母は一心不乱にこんこんと打ちつけ宗歩を呪う。母の考えでは、夫が大橋将棋家であるから、将棋の神の八幡宮へ、こうやって是非ない願をかけたら、よもや聴かれぬ道理はなかろうと一図に思いつめている。
 子供はよくこの釘を打ち込む音で眼を覚まして、四辺を見ると真暗だものだから、急に背中で泣き出す事がある。その時母は口の内で宗歩を呪いながら、背を振ってあやそうとする。すると旨く泣きやむ事もある。またますます烈しく泣き立てる事もある。いずれにしても母は容易に立たない。
 一通り宗歩を呪ってしまうと、今度は細帯を解いて、背中の子を摺りおろすように、背中から前へ廻して、両手に抱きながら拝殿を上って行って、「好い子だから、少しの間、待っておいでよ」ときっと自分の頬を子供の頬へ擦りつける。そうして細帯を長くして、子供を縛っておいて、その片端を拝殿の欄干に括りつける。それから鈴を鳴らし、すぐにしゃがんで柏手を打ち夫宗珉の勝利を祈願する。それから段々を下りて来て二十間の敷石を往ったり来たり御百度を踏む。
 拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、細帯の丈のゆるす限り、広縁の上を這い廻っている。そう云う時は母にとって、はなはだ楽な夜である。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。御百度の足が非常に早くなる。大変息が切れる。仕方のない時は、中途で拝殿へ上って来て、いろいろすかしておいて、また御百度を踏み直す事もある。
 こう云う風に、幾晩となく母が気を揉んで、夜の目も寝ずに心配していた勝負は、城内では差し掛けとなり寺社奉行邸で指し継がれた。終局は三日目の夜四ツ。宗珉は宗歩を破った。
 負けた宗歩は血を吐いた。母は程なくして物の怪に憑かれ死に、勝った父宗珉も狂喜のあまり廃人となった。
 こんな悲い話を、夢の中で宗歩から聞いた。





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