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【パロディ】夢十夜(第十一夜)

 第十一夜

 こんな夢を見た。
 腕組をして将棋を指していると、対局相手の女が、静かな声で次の手で仕掛けますと云う。戦型は居飛車対振り飛車で相手は1二香車と玉を居飛車穴熊に囲おうとしている。今から玉を囲おうという相手が仕掛けるのか。とうてい仕掛けそうには見えない。しかし女は静かな声で、次に仕掛けますと判然云った。自分も確にこれは仕掛けられるなと思った。そこで、そうかね、もう仕掛けるのかね、と下から覗き込むようにして聞いて見た。仕掛けますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる。
 自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢を眺めて、これでも仕掛けるのかと思った。それで、今香車を上げて玉を穴熊に囲おうとしているところだ、はったりじゃないだろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、仕掛けるんですもの、仕方がないわと云った。
 じゃ、私の玉のほうが脆く見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、単なる穴熊囲いじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を将棋盤から離した。腕組をしながら、どうしても仕掛けるのかなと思った。
 しばらくして、女がまたこう云った。
「仕掛けたら、受けて下さい。大きな飛車を回って。そうして6八の銀も守りに使ってください。そうしてひたすら受けの手を指して下さい。私の攻めが切れますから」
 自分は、いつ攻めが切れるかねと聞いた。
「私が指すでしょう。それからあなたが指すでしょう。それからまた指すでしょう、そうしてまた指すでしょう。――局面が序盤戦から中終盤へと行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百手待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百手、受けに徹して待っていて下さい。きっと攻めが切れますから」
 自分はただ受けると答えた。すると、相手が9五歩と仕掛けてきた。同歩に6五歩、8六歩と次々に負の突き捨てをしてきた。飛車と角と銀で守り強固に見えた自陣が、ぼうっと崩れて来た。相手が角を切ってきたかと思ったら、飛車が詰まされた。――もう相手の飛車が龍に成っていた。
 自分はそれから玉の周りを金銀で固めた。金銀は相手と交換した駒であった。金駒で固めるたびに、玉が固くなったような気がした。相手は端攻めもした。穴熊はしばらくして崩れた。玉をその中から出した。そうして入玉を目指して上へ上へと逃げた。玉が上に逃げるたびに相手の馬が追ってくる。
 それから玉を相手の駒のない方へと逃げた。玉は単身だった。長い間逃げている間に、角も取られたんだろうと思った。玉が逃げ回っているうちに、自分の玉の周りが少し固くなった。
 自分は敵陣に歩を打ってと金を作った。これから百手の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、玉の周りをと金で固めていた。そのうちに、女の云った通り相手が王手をかけた。勝負手であった。それがまた女の云った通り、やがて自分も指した。一つと自分は勘定した。
 しばらくするとまた王手がかかって来た。そうしてと金で合駒をした。二つとまた勘定した。
 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、王手をいくつくらったか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど王手がかかってきた。それでも百手がまだ来ない。しまいには、相手玉に全く手がついていないのを眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。
 すると相手が攻めあぐんだのか悪手を指した。自分はその悪手を咎めて攻防の角を放った。相手玉は徐々に崩れだし金銀の連結がなくなった。と思うと、自分の飛車打ちで、王手金取りで守りの要の金を取ることができた。日向榧が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遠くから、王手をしてきたので、角の合駒で逆王手をした。自分は次に必至をかけるために取ったばかりの桂馬を駒台から取り出し、接吻した。自分が桂馬から手を離す拍子に思わず、女の顔を見たら、泣きそうな顔をしていた。
「百手はもう指していたんだな」とこの時始めて気がついた。



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