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【パロディ】村山さんニュース (『おれに関する噂』筒井康隆)

 だしぬけにテレビのニュースが私のことを伝えだした。

「村山さんニュースをお伝えします。本日朝8時頃世田谷区桜新町で、通勤途中の村山さんが自転車ごと民家に突っ込み、全治一週間の怪我を負った模様です。警察当局によりますと、村山さんは、自転車で走行中、すれ違うタンクトップの女性の胸元を見るかパンツを見るかで悩んだ挙句、ハンドルを切り損なって民家に突入。さらにこの後オヤジギャグを連発し、近隣住民に迷惑をかけたとのことです。この事件の被害に遭った磯野波平さん(54)は『まったくもってけしからん』と憤慨しておられるとのことです」

 なんだ。なんだ。これは一体なんなんだ?
 小説を読んでいた私は、手に持っていた本を床に落とし眼を丸くした。
 テレビの画面には私の顔写真が大きく映し出されている。

「それでは事件の模様を伝えてもらいましょう。世田谷の海山さんどうぞ」
「はい。レポーターの海山です。ご覧の通り、磯野家の塀は無残に壊れていて、事件の傷跡が生々しく残っています」
「ううむ。見ただけで事件の凄惨さを窺い知ることができますね」
「はい。現場では、村山さんが胸もパンツも見られなかった腹いせに暴れたという噂も飛び交っています」
「そうですか。ところで、被害者の磯野さんの証言は聞けますか?」
「はい。それでは磯野さん、その時の状況をお聞きしてよろしいですか?」
「うむ」
「このたびはひどい目に遭われましたね」
「まったくだ」
「事件直前、磯野さんは伊佐坂先生と囲碁を打ってらっしゃったのですよね?」
「そうじゃ。もう終盤に差し掛かろうとしておった時だった。わしの勝利は決まっておったのだ。伊佐坂先生がいつ投了するかを待っておった時に、奴が庭に飛び込んで碁盤をひっくり返しおった」
「そ、それは残念でしたね」
「わしは対伊佐坂戦の勝ち星を一つ損してしまった。伊佐坂先生の嬉しそうな顔を思い出すと、今でも腹が立つ」
「お気持ち、お察しいたします。突入後、村山さんは猫のタマ相手に暴れまわったとのことですが」
「あやつはつまらんオヤジギャグを言って、タマまで怒らせおったのだ」
「そうだったのですか。で、彼はどんなギャグを?」
「まず最初に、『ムラちゃんでございますよ』と言いおった」
「それは加藤茶のギャグ『カトちゃんでございますよ』のパクリですね?」
「そうじゃ。タマが憮然としておったら、奴はこう言った。『オヨヨ? お呼びでない? お呼びでない? こりゃまた失礼いたしました!』と」
「それはひどいですね」
「いくらおとなしいタマでもそりゃ怒るに決まっておる。毛を逆立てて奴を追い掛け回したのだ」
「タマの心中、ご察し致します」
「うむ、タマが不憫でならん」
「胸元を見るかパンツを見るか悩んだ、いわゆる村山さんのすけべ心が事故の原因との関係筋の情報ですが……」
「見るのはパンツに決まっておろう。馬鹿な男だ」
「どうもありがとうございました。以上被害者の磯野さんの怒りの声でした。それではそちらに戻します」
「はーい、海山さん、ありがとうございました。……あっ、たった今、先程の村山さんについての新しい情報が入りました。なんと村山さんはその後、すごすごと自宅へ帰り、悶々とした気持ちを慰めるため、ポルノ小説を読みふけっている模様です。ポルノ小説のタイトルは『熟女ハーレム、もう許して』とのことです。以上、村山さんニュースでした。それでは、次のニュースです。警視庁赤羽署は……」

 テレビが次のニュースを伝えている間、私は虚ろな目で画面を呆然と見つめていた。
「ああ、びっくりした」
 やがて私はそう呟いた。
 幻覚だ。幻覚に決まっている。幻視と幻聴だ。だいたい普通の会社員の私がニュースになるわけない。しかも村山さんニュースだって? 有名人でもない一市民である私のことが取り上げられる理由がないし、ニュースバリューなど、あるわけがない。
 だがしかし、さっきのテレビの映像と音声は鮮明に私の記憶に残っている。たしかに今日は磯野さんの家に突っ込んでしまった。波平さんにはこっぴどく叱られ、伊佐坂先生にはなぜか褒められ、オヤジギャグで気が立った猫のタマに追いかけ回された。たった今もたしかに官能小説を読んでいた。
 テレビのニュースの内容は、今日私が体験したことだ。そんなことまで幻覚で見るものなのか? 世の中にはこんなにはっきりした幻覚もあるのか。不思議なこともあるものだ。
「は。は。は。は」
 私は乾いた声で笑った。せまい部屋中に私の笑い声が鳴り響いた。そもそも村山さんニュースなんてあるわけがない。でも、もし本当にこんなニュースがあったら? それは私の情報を伝えるニュースなのか。さっきは真面目面して波平さんまでテレビに出てたし……。くっくっく。
 そう考えていたら、本当におかしくなって笑いだしてしまった。そして、だんだん笑いが止まらなくなってしまった。私はベッドに入ってからもずっと笑い続けた。
「ははは……げらげら……ひゃっひゃっ……ひぃぃ助けてくれー」

 翌朝、新聞の社会面に私のことが出ていた。

『村山さん 磯野家で死語を連発!』
 2日、東京都大田区西蒲田在住の会社員、村山さん(37)は世田谷区桜新町を自転車で走行中、前から来たタンクトップの女性Mさん(23)の胸元をみるか下腹部を見るかで逡巡し、ハンドルを取り損なって、漫画『サザエさん』で有名な磯野さん宅に突っ込んだ。それからオヤジギャグを連発。現場にいた猫のタマ(年齢不詳)の逆鱗に触れ、約五分もの間、追い掛け回された。村山さんの怪我は全治一週間程度で大した事はないが、被害者の磯野波平さん(54)は勝ち碁をふいにされて、憤懣やるかたない様子である。村山さんのすけべ心が原因で事件が起きるのは、これで7度目のことである。最近オヤジギャグを言うことが多くなった村山さんに、関係筋は頭を悩ませている。
 村山さんは愛読書がポルノ小説、趣味は風俗店通いというほどの好色家で、そのくせ童貞。彼に彼女が出来れば少なくとも彼が破廉恥な事件を起こすことがなくなるのではないかとの専らの噂。だが、オヤジギャグを連発する癖は治らないだろう。
 馬野鹿子文部科学大臣は「困ったことだ」と遺憾の意を露(あらわ)にした。

 記事の横には私の顔写真がでかでかと載ってある。私はこぶ茶を飲みながらその記事を四、五回読み返し、新聞をびりびりに引き裂いた。
「陰謀だ。これは絶対に誰かの陰謀だ。こんな手の込んだことまでしやがって!」
 私は怒鳴った。久しぶりに熱くなった。新聞まで作って私に嫌がらせをしてきている。たった一部とはいえ、新聞を印刷するだけでもかなりの金がかかる筈だ。そんな金をかけてまで、私を狂わそうとしている奴はいったい誰なんだ。しかもこんな大がかりな嫌がらせをするような犯人は、かなりの偏執的な人間だと思われる。私にはそんなことをする人間の心当たりは全くない。いったい何のために?

「しまった。あの新聞、取っておけばよかった」
 会社に向かう途中、犯人の心当たりを思案していた私は呟いた。破らないで取っておけば、犯人を見つけるのに役立つかも知れないし、いざと言う時の物的証拠にもなる。私は自分の短気さに舌打ちした。

 駅に着いて、混雑する人ごみの中でホームに上がり、電車を待っていた時だった。何気なく隣のサラリーマンが見ていた新聞を覗いた私は、彼の新聞をひったくり、素っ頓狂な声を上げた。
「こ、これは、いったい、なんなんだぁ?」
 そこには私の記事が2段組みで載ってあった。しかも別の社の新聞だ。『村山さん、ご乱心? 磯野家でオヤジギャグ』と見出しにある。私の顔写真も載っていた。
 隣のサラリーマンは私の顔と新聞を交互に見て、「あ」と声をあげた。私はすぐに振り返って逃げるように歩き出し、ちょうどその時到着した電車にすかさず乗り込んだ。
 ちくしょう。どこのどいつだ。この沿線一帯の新聞を全て入れ替えている。ふ、ふざけやがって。
 目の前が真っ白になり、私の怒りは頂点に達していた。私にこんな大規模な嫌がらせまでして、いったい何の利益があるというのだ。
 分かっていることは、何者かがこの私に嫌がらせをしているということぐらいだった。いや、私を発狂させたいのかもしれない。エリートの私を何かと煙たがっている輩もいるに違いないからだ。
 そんなにエリートの私が邪魔なのか。そんなにこの私を狂わせたいのか。誰が狂うものか。くそう。私は負けないぞ。
「ざけんじゃないぞ」
 突然、満員電車の中で、私は大声で叫んだ。周りの人間はびっくりして私の方を見た。そして私の顔を見て、口々に「あ」と叫んで後ずさりした。朝刊を見て、私のことを知ってるようだ。私は大声で笑った。
「ぎゃっはははっは……私は狂ってないぞ」
 あたりに向かってわめきちらした。
「私はまだまだ正気だぞ。ざまあみやがれ!」

 会社に着いて自分の課に入った時、四、五人でかたまってなにやらこそこそと話していた同僚が、私の姿を見かけた途端、蜘蛛の子を散らすように去った。「オヤジギャグ」とか「すけべ」という言葉が聞こえたので、明らかに私の悪口を言っていたようだ。どうやら陰謀は私が考えているよりも大がかりらしい。

 チャイムが鳴り始業時間になると、新聞を読んでいた部長に呼ばれた。
「朝刊読んだよ」
「はあ」
 私はなんと答えていいのかわからなかった。
「マスコミはいろいろ無責任だからな。まあ、私も気にはしてないよ」
 そのくせ面白がっていることは、彼の唇の端にあらわれたかすかな笑みで明らかだった。
 昼休みになり、以前から惚れていた野比玉子を昼食に誘った。
「えっ?」
 彼女は明らかに迷惑しているようだった。
「何か用事でもあるんですか?」
「い、いえ」
 彼女はおどおどしながら返事をした。
 どうやら例のニュースを見ているらしい。有名になった私に関わって記事にされるのが恐いのだ。あたりを窺いながら、顔をこわばらせ後ずさりしている。唇もかすかに震えているようだ。仕方なく私は彼女を誘うのを諦めた。

 その日以来、マスコミの類は私のことを大々的に報道した。私の身に起こったささいなことが政治や経済のニュースと並んで報道されるようになったのだ。
 テレビのワイドショーでもこぞって私の特集を組んだ。

『村山さん、新幹線を新大阪で降りず、博多まで行ってしまう失態!』
『実はエリートだった村山さん!』
『村山さん、以前にも自転車でケーキ屋に乗り込む暴挙を?』
『ショック! ハゲとる場合じゃねえぞ、とは?』
『村山さん 意中の人は野比玉子さんか?』
『徹底解剖! 村山さんのすべて』

 特に私がオヤジギャグを言うと、マスコミが激しく反応するみたいだった。

『村山さん 会議中に叫ぶ! ”トビます、トビます”』
『”慰安旅行はいや~ん” 叫ぶ村山さん!』
『小学生に説教する村山さん ”君は生姜臭せぇよ”』
『肝臓を患った上司に、村山さんの暴言炸裂! ”管理職の肝移植”』

 そんな調子で、私の記事がマスコミを賑わせたままニ、三日が経過した。
 その朝、出勤途中の満員電車の中で、女性週刊誌の中吊り広告を見た私は「ぎゃっ」と声を上げた。

『村山さん、アダルトビデオを観ながら一言 ”ノーカットで脳葛藤”!』

 その横に赤く太い文字でこう書いてあった。

『その夜、村山さんはオナニーを2回した!』

 私はいたたまれなくなり電車を降りた。
 人権蹂躙だ! いったい、そんなことまでどうやって調べているのだ。犯人が組織ぐるみであることは間違いない。私が何をしたというのか?
 私ははらわたが煮えくり返るような怒りを覚え、ぶるぶると体を震わせた。絶対に犯人を見つけ出して、警察に突き出してやる。いや、八つ裂きにしてやる!

 会社が終わり、どうにも腹の虫が治まらなかった私は、気分転換に風俗にでも行くことにした。川崎や五反田の風俗店はマスコミの網にかかって危険なので、鶯谷の風俗店まで足を伸ばすことにした。少し遠いが仕方ない。店は『痴女の調教便』という店にした。
 店に入った瞬間、従業員が私を見て「あ」と叫んだ。
 もうこういったリアクションには慣れっこになっていたので、構わずに顔見知りの従業員の沖野さんに声をかけた。
「キキちゃんはいますか?」
「む、村山さん、今はちょっとまずいんじゃ……」
 彼はなぜかよそよそしい。明らかに迷惑そうな顔をしていた。
「なにがですか?」
 彼の態度に、私はむっとして少し語気を強めた。
「だって、ほら……マスコミの目とかもあるじゃない」
 彼は口ごもった。私に関わるのが嫌なのはみえみえだった。
 ここでもか。私はたまらなく悲しくなり、沖野さんの肩をぐっと掴み、涙を流しながら訴えた。
「マ、マスコミの目があるからって。わ、私は風俗にも行っちゃいけないんですか?」
 嗚咽した。
「ま、まあ、今日のところは帰ったほうがいいよ」
 沖野さんは私を憐れむような眼で見ながらそう言った。大きな力には逆らえませんよとでも言いたげだった。
 私は沖野さんから手を離し、力なくその場にしゃがみこんだ。
「”マスコミ”の目があると、私は”マスカキ”もできないんですか……」
 気でも紛らわせようと私が冗談を言った瞬間、沖野さんは「ひっ」と悲鳴をあげ、後ろに飛び上がった。その声を聞いて皆が集まってきた。
 しばらくして、沖野さんが喉が締めつけられるような声でうめいた。
「お、オヤジギャグだ……」
 オヤジギャグに過敏なのは、この間からだ。いったいオヤジギャグがどうしたというのだ。
「ダジャレは沖野さんも好きだったじゃないですか。”ダジャレを言うのはだれじゃ”とかね。な~んちゃって」
 沖野さんはビクンと硬直した。みるみるうちにがたがたと震えだした。なにがなんだかさっぱり分からない。
「そんなに驚くなら、”わたくしはタクシー”で帰りますよ。”あんさんのアンサー”はどないでっか?」
 居合わせた人間が泣きそうな顔になった。私はやけくそになった。
「しーらけ鳥飛んでいく、南の空に、みじめ、みじめ……」
 沖野さんは口から泡を吹いてひっくり返った。

 翌朝の朝刊には、一面で私のことをとりあげていた。

『村山さん 風俗店で失神ギャグ爆裂!』
 昨夜20時ごろ、台東区の風俗店に村山さんが出現したが、従業員の必死の説得により、サービスを受けることは思いとどまった。しかしサービスを受けられなかった腹いせか、オヤジギャグを連発し、間近で聞かされた従業員のOさんは失神した。村山さんのオヤジギャグで失神者の被害がでたのはこれが初めて。失神させたオヤジギャグとは以下の5点である。

・マスコミの目があると、マスカキできない(2文字シモネタダジャレ)
・ダジャレを言うのはだれじゃ(4文字ダジャレ)
・な~んちゃって(死語)
・わたくしはタクシー(4文字ダジャレ)
・あんさんのアンサー(3文字ダジャレ)
・しーらけ鳥飛んでいく、南の空に、みじめ、みじめ(古典ギャグ)

 シモネタ、死語、古典ギャグと多彩な村山さんのオヤジギャグに有効な対応策も見つからず、関係者は頭を悩ませている。
 一命を取り止めた従業員のOさんは、最後に憤然として吐き捨てた。
「あんなひどいオヤジギャグは生まれて初めてだよ!」
 その場に居合わせた目撃者のNさんもこう証言する。
「このボカァ、その場で心臓停止するかと思いましたよ。ドキドキ」

 この記事を見た私は怒髪天をつき、歯がみして叫んだ。
「ぶっ、ぶっ殺してやる!」
 私がオヤジギャグを言おうが死語を連発しようが、そんなことは知ったこっちゃあない。なんでそんなことまで記事にされて、馬鹿にされなくちゃならないんだ。
 しかも、「このボカァ」なんて言う奴は一人しかいないぞ。くそっ。にゃっくんの野郎、新聞社のやつにくだらないことをベラベラ喋りやがって。
 もう許さない。新聞社に怒鳴り込んでやる。プライバシーの侵害で訴えてやる、そう言って編集長でも脅せば、少しは犯人の手がかりも分かるかも知れない。
 覚悟を決めた途端に私は冷静になった。ちょっと待てよ。今までの状況から考えてみると、これは誰かの陰謀とは考えにくい。陰謀だったとしても国家レベルの陰謀のようだ。そうでなけりゃこんな大掛かりな嫌がらせができるわけがない。新聞社に怒鳴り込んだところで到底解決するとは思えないぞ。
 そう思ったところで、テレビでは私の特番が始まっていた。

「皆さんこんにちは。今日は『忍び寄る恐怖!──村山さんのオヤジギャグの裏には?』の特別番組をお送りします。最近オヤジギャグを連発中の村山さんのオヤジギャグの弊害と、被害に遭った犠牲者たちの社会復帰について報道していきたいと思います」
 オヤジギャグごときで、なにが忍び寄る恐怖だ。こいつらはふざけているのか? しかも社会復帰だって? 人のことを病原菌みたいに言いやがって。くそっ。
「それでは講師の先生を紹介したいと思います。オヤジギャグ迷惑理論を日本で初めて提唱し、村山さんに関することは誰よりもお詳しい村山評論家の若王子さんです。先生どうぞよろしくお願いします」
「よろしくお願いします。ペコリ」
 私は愕然とした。何故にゃっくんがこんなところにいるのだ?
「先生、オヤジギャグの弊害にはどのようなものがあるのでしょうか?」
「フムフム、そうですね。まず、オヤジギャグを聞いた瞬間に動悸、息切れ、目眩がします。それを我慢して聞き続けると、失神、発狂、虚脱、ひどいときには廃人になる可能性もありますね。ウンウン」
 そんなことがあるか。ぼけっ。
「村山さんのオヤジギャグを聞いても同じ症状が現れますか?」
「村山さんのギャグは特にひどいですね」
「と言いますと?」
「まず、村山さんのオヤジギャグはシモネタが多いのが特徴です。しかも非常につまらない。女性の方にとっては、彼の存在は非常に危険です。なにしろ彼は変態の一歩手前ですから」
 にゃっくんの野郎、言いたい放題言いやがって。誰が変態の一歩手前だ。君だっていつもシモネタを連発してるじゃないか。
「このボカァ、これを”村山病”と名づけました。ひとたびこの村山病にかかると、オヤジギャグを言わずにはいられなくなります」
「感染経路はオヤジギャグですか?」
「はい。最初はオヤジギャグを聞いて村山病にかかります。発症しますと、今度はオヤジギャグを連発するようになります」
「それはまずい。だって村山さんを野放しにしてたら被害者は増える一方じゃないですか? その被害者たちが発症すると連鎖反応で村山病患者が増えませんか?」
「そうなんです。ですから、村山さんを野放しにするのは非常に危険なことなんですね」
 おいおい。村山病だって? 私はとうとう本当の病原菌扱いか。冗談じゃないぞ。
「伝染病みたいなやつですか?」
「ええ。しかも村山さんは、バイオセーフティーレベル4の病原体に分類されてもいいと、このボカァ、思いますよ」
「ラ、ラッサ熱やエボラ出血熱と同じクラスの病原体なんですか?」
「はい。非常に危険ですね。直ちに村山さんを隔離しないと……」

 私は無表情でぬうっと立ち上がり、リビングテーブルを持ち上げて、思い切りテレビに叩きつけた。ものすごい音がしてブラウン管が割れ、破片があたりに飛び散った。私は何度も何度もテーブルをテレビに打ちつけた。テーブルが真っ二つに割れ、テレビは原形をとどめなくなっていた。
「はあはあ、好き勝手なこと言いやがって。なんで私だけがこんな目に遭うんだよぅ。私がなにをしたっていうんだ。助けてくれー。えーん、えーん」
 私はたまらなく悲しくなり、泣き出した。

 次の日の朝刊のトップは、
『村山さん テレビを破壊! 村山病末期症状か?』
だった。

 その日以来、私は一切オヤジギャグを言わないようにした。オヤジギャグを言うからマスコミに追い掛け回されるのだ。それならば金輪際オヤジギャグを言わないようにすればいい。私はそう考えたのだ。
 同僚は私がいつオヤジギャグを出すかとひやひやしていたようだった。そのくせ私がオヤジギャグを言おうものなら、マスコミにぺらぺら喋ることは分かっていた。場を和ませようとしてうっかりオヤジギャグを出しそうになったこともあったが、私は必死で我慢した。
 しかし、オヤジギャグを言わないことがこんなに辛いものだとは思わなかった。もしかしたら、にゃっくんの言う通り、本当に病気になってしまったのかと思ったくらいだ。

 オヤジギャグを出さなくなった日を境に、新聞やテレビから私関連のニュースが減っていった。最初のうちは『村山さん 次のオヤジギャグは古典ギャグか?』という予想記事も出たりもしたが、私がオヤジギャグを全く言わなくなったので、マスコミの加熱ぶりも徐々に冷めていったようだった。

 一週間後。私の記事は一切なくなった。あれだけあった私のニュースがテレビにも新聞にも全然見当たらなくなった。私の記事は完全に消え去ったのだ。
 私の代わりに、デーブ・スベッターという人のニュースがトップで報道されていた。なんでも有名な芸能人だそうだ。見出しは、『デーブの渾身ギャグ! 歯グキをかじるとリンゴから血が出ませんか?』だ。画面には報道陣に向かって、オヤジギャグを言っている彼の見苦しい姿が映し出されていた。
 どうやら今度のマスコミの標的はこの人らしい。

 次の日の朝。朝刊はデーブの記事が一面を飾っていた。
『土佐犬と叫んだ(とさけんとさけんだ)──4文字ダジャレを言い放つデーブ・スベッター!』という意味不明の見出しだった。

 こうして、ようやく私に平穏の日々は戻った。相変わらずデーブ・スベッターという人は叩かれ続けている。この間は、満員電車の中でオヤジギャグを叫び、十数人を失神させたとかで、号外が出ていたくらいだ。見出しは、
『デーブ・スベッターさん満員電車でオヤジギャグ!──布団がふっ飛んだ!』
 になっていた。懲りない人だ。

 あれ以来、私はオヤジギャグだけは絶対に言わなくなった。いつどこでマスコミに叩かれるか分からないからである。たまに私に向かってオヤジギャグを言う人がいるが、言う立場から聞かされる方の立場になってみると、いかにオヤジギャグがつまらないのかがよく分かる。
 オヤジギャグで場を和ませるというのは口実だ。実際のところは、本人が楽しいからオヤジギャグを喋るのだ。私はそう考えるようになっていた。
 聞かされる人にとっては、オヤジギャグほどうっとうしいものはないかも知れない。

 でも、オヤジギャグなんかより、はるかにうっとうしいのは、マスコミだろうな。
 ほうじ茶を一口すすりながら、私はぼんやりそう考えた。


(了)


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小説が面白いと思ったら、スキしてもらえれば嬉しいです。 講談社から「虫とりのうた」、「赤い蟷螂」、「幼虫旅館」が出版されているので、もしよろしければ! (怖い話です)