【小説】「待った」
「ん? ▲9八玉じゃ詰んでしまうかな? ▲9七玉にしとこう」
とある将棋道場で対局中、相手がトイレに立っている時、私は一旦指そうとした手を戻そうとした。
そこは初めての将棋道場で、局面は詰めろ逃れろの終盤戦であった。対局相手は若い男だったが、かなりの強敵で、年長者の私として、ここは絶対に負けられないところだ。
「おい、あんた」
野太い声が後ろで大きく響き、指し手を戻そうとしていたといううしろめたさがあった私はぎょっとして振り返った。
将棋道場の席主が後ろに立っていた。目は落ちくぼんでいて、あるかないかのように小さく、人中が深くて長く、いかにも頭の悪そうな男だった。人を見下すように顎を上げ、小さく白い眼で、ななめに私を睨んでいた。
彼は持っていた扇子を私の方へ突き出した。
「あんた、今『待った』をしようとしたな?」
私は苦笑して、玉を9八の地点に戻し、首をすくめて、ペコリと席主に頭を下げた。
席主はさっきと同じ表情、同じ姿勢のままで私のほうを睨み続けている。
席主の態度に私は少し腹を立てた。
「そんなに睨むなよ」
私はそう言った。
席主はゆっくりと扇子をおろした。私の言ったことが信じられないというような顔つきで、私を眺め続けている。
「なんだって?」
彼はいぶかしげにそう訊ねた。
「あんた今、なんて言った?」
「そんな眼で、人を見るもんじゃないって言ったんだよ」
できるだけ穏やかに言ったつもりだったが、席主は顔をこわばらせた。
「どんな眼で見たっていうんだ?」
やがて彼はゆっくりと言った。
「俺はね、あんたが相手のいない時に待ったをしようとしてたから注意したんだ。そしたらあんたは俺の眼付きが悪いと言う」
「いや、私は何も、あんたの眼付きが悪いなんて言った憶えはないよ」
「さっき、そう言ったじゃないか」
見たところ頭の悪そうな男だし、虫の居所が悪くてからんでくるのだろう、と私は思った。こんなところで席主と喧嘩してもはじまらない。
「すまん、すまん」
私はまた苦笑してあやまった。
「いや、誰もいなかったから、ついついね。あんたが初めからそこにいて、見ててくれればよかったんだけどね。はは」
席主はうつろに私を見つめ、呆けたようにもぐもぐと私の言葉を繰り返した。
やがて、にやりと笑って私に顔を近づけた。
「誰も見ていなかったら、待ったをしてもいいって言うのか?」
私は少しあきれて、席主の顔を見つめ返した。
「そんなことは言っていないよ」
「今、言ったじゃないか」
「いや、本当はね、私はまだ手を離してなかったんだよ。だから、これは待ったではなく、指し手を戻したにすぎないんだよ。ただ、それも見苦しいことだけどね。うん、よくないことだね。以後、気をつけるよ」
「へえ、『待った』じゃないって、あんたは言うのか?」
彼は扇子をいじりまわしながら、私を横目で見た。
「その証拠があるのか?」
「証拠。そんなものはないよ。馬鹿な」
「馬鹿とはなんだ」
男は扇子を握りしめた。
「いや、あんたを馬鹿と言ったわけじゃないよ」
「今、馬鹿と言ったじゃないか」
彼は私を睨み続けた。
私はたじたじとして、彼の顔から眼をそらした。
勝ち誇ったように胸を反らせて、席主は言った。
「手が離れてなかったってことが、どうして俺にわかるんだ。証拠もないのに……そうだろ? 証拠がないんだから、俺としては、あんたが待ったをしたんだと思うしかないだろ」
私はできるだけ悲しげな表情を作り、彼に言った。
「証拠なんて示せるわけないじゃないか。あとはあんたが私を信じるかどうかだよ。そんなに私のことが信じられないかね?」
「信じられないね」
席主は高飛車に、おっかぶせるような調子で言った。
「あんた、最初俺が注意した時、頭を下げただろ。あれは自分が待ったをしたから、きまりが悪いのをごまかすために頭を下げたんじゃないのか?」
「いや、私の言い方が気に食わなかったんだったら、謝るがね」
私は吐息をついた。
「だけど、その、人を犯罪者みたいに言うのだけは、もうやめてくれないか。いや、これはお説教ではなくて、頼んでるんだがね」
「待ったをしといて、俺の口のききかたにけちをつけるのか? あんた、さっきから俺にけちばかりつけてるな」
彼は低い声でぼそぼそと言った。
「じゃ、次は俺に言わせて貰おう」
そう言ってから彼は扇子を私に突き出し、小さな眼を見開いて声を張りあげた。
「貴様は相手のいない時に待ったをしたんだ。待ったをした奴は法律的には処罰されないが、その精神は犯罪者そのものだ。勝手なことを言うな。悪いことをしたのがばれたら、いさぎよく、悪いことをしましたと言って、這いつくばってあやまれ!」
他に客はいなかったが、その声は狭い道場中に響きわたった。あまりの声の大きさに、私は息をのみ、怒鳴り続ける彼の顔をただ眺めているだけだった。
「なんだ、なんだ?」
席主は私の視線に気づき、歯をむき出して突っかかってきた。
「なぜそんな心外そうな顔をするんだ。え? 今度は俺に何を言いたいんだ。そんなに怒鳴るなとでも言いたいのか?」
私が反省を求める視線を彼に向けたまま黙り続けていると、彼はやや身を引いて眼を細めた。
「そうか。そんなに怒鳴るなと言いたいんだな。そうだろ?」
「そうだよ」
私は嘆息し、小さな声で言った。
「あまりにも失礼すぎるじゃないか。少なくとも私は客なんだからね」
席主はせせら笑った。
「待ったをしておいて、なにが客だ」
「もう、帰るよ。いくらだね」
私はもう話しても無駄だと思い、財布を取りだそうとした。
「あんた、白痴か」
と、席主は言った。
私は自分の耳が信じられなかった。
「あんたが帰ったら、今トイレにいっている対局相手はどうなるんだ。あんたが待ったさえしなければ、確実に勝って気を良くしたであろう彼はどうなるんだ。あんたは彼に断りなしで帰ってもいいと思ってるのか。勝ち将棋のつもりでトイレから戻ってきて、対局相手が勝手に帰ったことを知った時の、彼の精神的ダメージはどうするつもりだ。え? 待ったはするし、それを注意しても反省しないし、挙げ句の果てには対局相手を放り出して帰ると言う。あんた、絶望的なまでに自己中心的な人間だな」
彼は私の顔に唾を飛ばしながら続けた。
「おい。待ったをして、それを見つけられたから帰らせてくれと言ったって、そいつは駄目なんだぜ。待ったは待った。罪は罪なんだぜ」
「じゃ、罰金を払うよ。それでいいだろ」
私は背広の内ポケットから札入れを出した。
「ほう、財布をふりまわしはじめたな」
席主は私の考えを見透かしたとでも言いたげに、にたにた笑った。
「あんたは金持ちらしいな」
「金持ちじゃないさ。だけど、こんなことでゴタゴタもめるのはもう厭なんだ」
「こんなことだって?」
彼は世にも不思議な事が起きたかのような顔をして、素っ頓狂な声を上げた。
「待ったがこんなことだって? 断りもなく対局相手を放り出して逃げ帰ることがこんなことだって?」
「いや。それは私の言いかたが悪かった。待ったや対局放棄はよくないことだが、私は待ったをやったやらないっていう押し問答が厭なだけなんだ」
「ほう。もしかするとそれは、皮肉じゃないのか。まるで俺が無理矢理あんたに、罪をおっかぶせたように聞こえるねえ」
「だから、それを言い出すと押し問答になる。だから私が罰金を払って、それでけりをつけようじゃないかと言ってるんだ。それでいいだろ」
「よくないねえ」
彼はかぶりを振った。
「どう見たってあんたは金持ちなんだよ。いい服着てるしな。血色もいいし、よく肥えている。金持ちは金を出すのになんの苦痛も感じないだろう。だから金だけですますわけにはいかんよ」
「君はいったい何を言っているんだ……」
さすがに背筋を冷たいものが走った。
「あんたは早く俺に金を払いたいんだろ。そうだろ。俺に金を払えば、俺に金を恵んでやったような気分になれるからだ。な。そうだろ? なぜかと言うと、あんたはまだ、計画的に待ったをしたってことを自分で認めてないからだ」
「私はただ急いでいるだけなんです」
私はわざと馬鹿丁寧に言った。
「なぜ、急いでいる人間が将棋道場なんかに来て将棋を指すんだ。あんたの言ってる事と、やってる事は支離滅裂だぜ」
席主は両手を挙げ、わざとらしく意外そうな顔をして見せた。だが、私を言い負かした嬉しさが隠しきれぬように唇の隅にあらわれていた。
「じゃあ、どうすれば早くこの場を解放してくれるのかね」
今度は尊大な調子で言ってみた。
彼は尊大な様子を作って、私の口真似をした。
「どうすれば早くこの場を解放してくれるのかね」
嘲笑を浮かべ、彼は私の鼻先に顔を近づけた。
「急に態度がでかくなったな、この野郎」
「野郎とはなんだ」
むっとして、私がそう言い返したとたん、彼の平手が私の頬に飛んだ。
「でかい口をきくな! あんたがたとえどこの会社の社長だろうが、国会議員だろうが、この店で将棋を指す以上はただの客だ。そして、待ったをした以上は犯罪者同然の扱いをされても仕方がないんだ。わかったか!」
焼け付くようにひりひりと痛む頬を押さえながら、私は彼の勢いに圧倒され、頭を下げてあやまった。
「すみません」
「貴様はいったい何者だ。大会社の社長か? ああん。それとも国会議員の先生様か?」
たたみかけるような彼の調子に、私はどぎまぎしながら答えた。
「いえ。私はただの将棋指しです」
「将棋指しってのは何だ。プロの棋士ってことか」
「そうです」
「へへえ、プロ棋士か」
彼はやや意外そうに私を、頭のてっぺんからつま先まで舐めまわすように眺め、ややおだやかな口調で訊ねた。
「そうか。あんた、棋士の先生様かい。で、名前はなんなんだ?」
「角田銀造です」
「ははあ、角田銀造か。今期C級2組からフリークラスに落ちた、あの角田銀造か?」
「……はい」
「新四段になった時は、天才棋士と呼ばれたが、酒と女とギャンブルに溺れ、さっぱりうだつの上がらなくなった、あの角田銀造か?」
私が黙っていると、彼はまた私に思いっきり、ビシッと平手を食らわせた。
「馬鹿野郎。あんだけ素質があるって言われて、皆に期待されていたのに、その期待を裏切って、つまらねえ事にとち狂いやがって。お前、周りの人にすまないと思わないのか」
私は強い罪悪感に苛まれ、深くうなだれた。
「すみませんでした」
「そういう具合に、素直にあやまればいいんだよ。で、どうだ? 待ったの方も素直にあやまってしまえよ」
また、話をぶり返してきた。
「それであなたの、お気がすむのなら……」
と、私は諦めて言った。
「お気がすむのなら? なんだいそれは? それであやまってるつもりかい」
彼は激しくかぶりを振った。
「それじゃあやまったことにはならないな。あんたは一歩歩くと忘れるニワトリかね? さっき何て言った? 這いつくばってあやまれ。俺はそう言ったんだぜ」
私は眼を丸くした。
「ほ、本当に這いつくばらせるつもりですか?」
「そうだよ」
彼は平然としてそう言い、やっと気づいて大きくうなずいた。
「そうか。あんたは棋士の先生様だったな。棋士先生ともあろうものが、しょぼい将棋道場の席主風情の前に這いつくばってあやまるなんてことはできない。つまりあんたはそう言いたいわけだな?」
「あのう、罰金をお支払いすれば、それでいいのではないかと思うのですが……」
「何度同じ事を言わせるんだ。金では解決がつかないと、さっき言っただろ。相当頭が悪いね。あんた、ほんとにプロ棋士かね。あんたがプロ棋士だという証拠がどこにあるか?」
「でも、あなたはさっき、私を知ってたじゃないですか」
「馬鹿。あんたの知能はサルなみだな。俺が知っていたのは角田銀造というプロ棋士の名前だけだ。あんたがその本人だとは認めてないぞ」
私は俯き、ぶつぶつと呟くように言った。
「そこまで人が信じられないなら、仕方がない……」
席主は私に近寄り、耳を私の口元に寄せ、大声で叫ぶように言った。
「え? 何? 何? なんっと言った? ちっとも聞こえないなあ。そんな小さな声で喋られたんじゃあ」
彼は片方の肩でどんと私の胸を突いた。
「もう一度言ってみろよ」
また、肩で胸を突いた。
「さあ。もう一度言ってみろよ。さあ。え? 何だって?」
「そこまで人を疑うのですか」
「いや、そうじゃない。あんたはこう言ったんだ。そこまで人が信じられないなら、仕方がない」
聞こえているじゃないかと反駁したいのを抑えて私は小さくうなずいた。
「仕方がないというのは、どう仕方がないんだ。何をされても仕方がないと言うのか。そうなんだな。あきらめたんだな。たとえ、ぶん殴られても仕方がないと、そう腹を決めたんだな」
彼は突然、私の顎に強烈に拳を叩きつけた。
あまりの衝撃に一瞬気が遠くなった。私はげふと息を洩らしてよろめいた。
「こうされても仕方がない。そう思ったわけだろ」
彼はそう言いながら、私を殴り続けた。
私は、頭から流れ出る血をハンカチでぬぐいながら、朦朧としながらも将棋盤に手をついた。
「それで気が済んだのなら、もう許していただけませんか」
目の前に赤い火花が飛び散っていた。
「俺の気が済む、済まないの問題じゃないよ」
彼ははあはあと荒い息をついて言った。
「俺があんたを許してそれでどうなる? どうにもならないよ。そうだろう?」
「じゃ、つまりこれは、あなたの一存でやっていらっしゃるのではないと?」
「俺の一存で、こんな好き勝手、できるわけないだろう」
「では、誰の命令でこのようなことを?」
「命令ではない。意志を代行しているだけだ。あんたをとっちめてるのは、この将棋道場の意志であり、日本将棋連盟の意志でもあり、さらに日本中の将棋ファンの意志でもあるわけさ。わかったか、この馬鹿野郎」
その時、トイレのドアが開いて、対局相手が洗面所で手を洗っている水道の音が聞こえてきた。
そこで私ははっと思い出した。その若い男は身長が180cm以上はゆうにあり、がっしりした筋肉質の男だった。あの男まで怒らせたら席主どころの騒ぎではないだろう。私は身震いした。へたをすれば首の骨くらいはへし折られるかもしれない。一刻も早くここを逃げ出したいという思いがますます強くなった。
私は財布の中から1万円札を5,6枚、震える手で抜き取り、席主にそのお金を渡した。彼はそれをうなずいて受け取り、ボケットに収めた。私はそそくさとこの道場を出ようとした。
「おい、あんた、どこへ行く?」
席主は私の肩にぐいっと手をかけた。
「まだ、行けとは行ってないぞ」
私は驚いて振り返った。
「えっ? だって、今……」
「今、なんだね。俺がもういいから行けとでもいったかね?」
「いいえ」
「そうだろ。言ってないだろ。だいたい、そんなこと俺が言う筈ないよ。だって、まだ話は終わっちゃいないんだもんな」
彼はにたりと汚い歯をむき出した。
トイレから対局相手の若い男が肩をいからせて戻ってきた。
「どうしたんだい?」
「いや、この人があんたにプロレスの技をかけて欲しいんだってさ。ほら、お金も貰ってある」
彼はさっき渡したお金をその男に手渡した。聞くところによると、どうやら若い男は有名なプロレスラーらしい。私は泣きそうな声で、こう答えた。
「い、いえ、結構です……」
「結構だって?」
若い男は眼をつり上げて言った。
「何が結構だって? あんた俺に技をかけて欲しくないのか? 俺に技をかけてもらうなんてのはプロレスマニアにとっては勲章のようなもんだぜ。それがいやだって言ってるのか?」
「は、はい……あの、遠慮させて頂きます」
「なんだ。遠慮してるのか?」
若い男は笑った。
「遠慮なら無用だよ、あんた」
「いえ、遠慮しているのではなく、本当に痛いのは苦手なんです」
「痛いのは苦手」
そう呟いて、若い男は眼を丸くした。
「本当に技をかけて欲しくないのかね?」
「はい」
若い男は私に顔を近づけて言った。
「それなら、あんた、なんでこんなお金出したんだい? いったい、このお金は何のお金なんだい?」
席主が私を睨みながら横から口を出した。
「そうだ。あんた、それならなんでこんなお金を出したんだ? あんたは一体どういうつもりで俺にこのお金を寄越したんだい?」
「は、それは、その……」
私の心臓は破裂しそうに高鳴った。
「おい、お前、まさか……」
席主は唸った。
「まさかこの俺を買収するつもりで、そのお金を出したんじゃあるまいな」
「買収って、なんのことだい?」
若い男は怪訝そうに私たちを見つめた。
「いや、この人が、あんたのいない間に待ったをしようとしてたんだ」
席主は無情にも、こう言い放った。
「何だって。待っただって?」
若い男は巨大な体を震わせて低い声で唸った。
私は即座に床に這いつくばり、土下座してあやまった。
「もうしわけありませんでした」
鳴咽した。
「私は待ったをしただけでなく、それをあなたに隠そうとして、席主様を買収しようとしました。本当にごめんなさい」
席主は私の顎を靴の先で強く蹴り上げた。私は仰向けにひっくり返った。鼻から血が吹き出し、何か言おうとすると、口からも血が吹き出した。
「おいおい、何も暴力をふるうことはないんじゃないか」
若い男は席主を止めた。
「だってこいつはこの俺に暴力をふるったも同然なんだ。しかも札びらの暴力だぜ」
席主の言葉に、若い男は納得したようにうなずいた。
「なるほど。するってえと何かい。この俺も暴力をふるわれたことにはならないかい?」
「間違いなくそうだよ。待ったをされたし、無断で帰ろうとされかけたし、あんたは俺以上に暴力をふるわれたことになるな」
席主は答えた。
「それならば、この俺もこの男にお返しをしなくちゃいけないのかね?」
「そういうことになるな」
席主は私の髪の毛を引っ張って私に念を押した。
「そうだろ。あんたはそれだけのことをやっちまったんだよな?」
私は這いつくばったまま、うめきながら答えた。
「はい。何をされてもいたしかたございません」
言い終わるなり、げほげほと咳きこんだ。あたりに血が飛び散った。
「おうおう、可哀相に」
若い男は私を立たせ、力まかせに殴りつけた。私は後ろに数メートル吹っ飛んだ。よろよろ立ち上がったら、走ってきて膝蹴りをぶっ放され、私は再び後ろに跳ね上がり、道場の壁に思い切りぶつかった。視界が真っ暗になり気が遠くなってきた。。
男の右ストレートが、私の胃袋に炸裂した。一瞬息ができなくなり、その直後に私は胃液を吐いた。
「待ったをしたんじゃ、仕方がないもんな……悪く思うなよ」
若い男は、死相が現れている私の顔を見て、歯をむき出して嬉しそうに呟くと、私の体を持ち上げた。
(了)