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ここだけの話① - 中途半端な絶望

どうも、北日本コード進行に詳しい協会会長(TK)です。
普段はTwitterで好きな曲のコード進行とか楽曲構成とか音楽に関する様々な理論と持論をこねくり回しています。
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@TK_chord


-----丁寧な言葉はここまで。


音楽や詩、随筆といった作品を作るときに、自分に対して制約を課す傾向にある。

それは、作品にテーマを持たせるためかもしれないし、何かギミックのようなものを仕掛けるためかもしれないし、自分の表現力に挑戦するためかもしれない。

もちろん、今回も例外ではない。
「音楽理論の話をしない」というのが今回の制約。
理論の話をしないだけであって、音楽の話はするよ。あしからず。

ここだけの話をしたい、ここじゃなくてもできる話はしない、そんな気持ちで頭がいっぱい。なんだかこれ韻を踏んでるみたい。

私は話題に困るとすぐその場で流れている音楽の話題やその理論に逃げるので、そういう自分の弱い部分と向き合えるような場所にしようと思っている。コード進行、ダメ、絶対。

そんな私が一体どんな話をできるのか。
そもそもどんな話を期待されているのか。
全くわからない。わからないけどワクワクしている。オファーを貰ったときからそうだった。
こんな私にオファーをくれた橙ちゃんには感謝しかない。

自分にしかできない「ここだけの話」を、模索しようと思う。


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順番のタイミングがとてもよく、私は一番最後にバトンを受け取る人となった。
他の方々の文章を読んでいると、それぞれの人の考えていることを、俯瞰で覗き込んでいるような感覚に陥る。

しかしここは「ここだけの話をする場所」。
他人の「ここだけの話」を覗いている時、他人の「ここだけの話」もまた、こちらを覗いているのだ。

他人の「ここだけの話」に覗かれてもいいような「ここだけの話」とは何だ。私にはわからぬ。太宰治だったらきっとここで「私は、町の公僕である。楽器を弾き、音楽仲間と遊んで暮して来た。けれども『ここだけの話』に対しては、人一倍に敏感であった。」とかそんなエピソードを挟み込んでくるのだろう。

違うか。太宰はそんなこと言わない。
深淵がどっちゃらってテーマを物語に盛り込むのは、どちらかというと中島敦だ。多分。


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最初の「ここだけの話」は、自分の「中途半端な絶望」との関わりかた。

コロナウイルスのせいで家にいることが多くなった時期があった。今でもそれは変わらないのかもしれない。
一人で様々なことを考えていると、時折深淵を覗き込んでしまう感覚に陥る。
要するに、自分の浅さとか醜さとか惨めさとか、そういうものが頭の中に現れるのだ。
生来、ネガティブな思考とともに生きていると思っているし、自他ともに認める「自己肯定感の低い人間」だから、こればっかりはしょうがないんだわ。

深淵は鏡だ。覗き込んだら覗き返してくる。
これがアイドルのライブだったら「レスもらった!」となるのだろうが、あいにく深淵はアイドルではない。概念だ。概念からファンサもらってもどうしようもない。

きっとライブの名前はa-nationではなくa-notionだろう。アイドルのライブだったらドームからの帰りには多幸感とともに歩くことになるだろうが、概念のライブは、「自分とは何か」といった現実もしくは命題を突きつけられ、全員が猫背で真駒内駅まで歩くことになるのは間違いない。

考えすぎは良くないことだと、小さい頃親か誰かに教えてもらった気がする。
「考えすぎると頭がおかしくなって虎になるよ」と言われた。
当時は全く意味がわからなかったが、歳を重ねて知識を増やしていくと「あぁ、なるほどそういうことか」と納得できた。

今なら彼の気持ちがわかる気がする。文章でも歌詞でも曲でも、こうやって何かをクリエイトしていくことは、自分自身を削って、ささくれてしまった心を虎に近づけていくことなのかもしれない。

言葉をこねくり回せる分、言語化して思考を整理をするのが好きだ。でもそれはあくまで「既知の言語表現」を組み合わせていくだけにすぎず、たまに化学反応のように素敵な表現が生まれたとしても、それはもしかしたらすでに存在するものなのかもしれないし、それを確認するすべはない。こうしてまた、小さな絶望が生まれる。

こういった「小さな絶望」の集合体が私の「中途半端な絶望」であり、多分この「中途半端な絶望」が私の「深淵」なのだと思う。自分の浅さ、醜さ、惨めさを自覚的に抱いていくということ。それが私の「中途半端な絶望」なのだ。中途半端だから別に死に至るわけではないし、かといって、根っからのポジティブになることはない。でも、いつからか「それでもいいのではないか」と思うようになった。別に死ぬわけでもないし、みんな絶望くらい胸に抱いて生きているでしょ。

そういうわけで、深淵を覗き込んでいるとき、私はふと安心することがある。それは、深淵がこういった「中途半端な絶望」を包み込んでくれるからなのかな、と、最近では考えている。

ネガティブなアウトプットは、ネガティブな思考を救うことがある、というのは、実はもうずっと前から気づいていた。深淵と向き合って得る安心感は、それとおそらく相似の関係なのだろう。
だから今回は、あえていきなりネガティブなアウトプットをした。これは第一印象が最悪だ。でも、最初から印象が良くてそこから下がっていくくらいだったら、底辺から始まって少しずつ上っていくほうがいいんじゃないかな。

あぁ、それと。
私と似たように「中途半端な絶望」を抱きながら生きている全ての人、どうかそれを、文章や詩や音楽で形にしてみてほしい。

もしかしたら、私みたいな人間が救われるかもしれないから。


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【今日の一曲】
多分、私がこういう考えに至った根源となった曲。「暖かくて寒気がする」って、すごく素敵な表現。

太陽 / BUMP OF CHICKEN


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