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ただ蝉のごとくに
お盆を過ぎると、「夏の第九」も勢いがなくなり、秋に向けてツクツクボウシが違う曲を奏ではじめる。
盛夏の蝉の声を私は「夏の第九」とひそかに名付けている。家のすぐ近くに雑木林があり、蝉の声は、まさに交響曲のように朝から鳴りひびく。溶けるような暑さに身を委ねて、その交響曲を聞くと、それは光のシャワーのように感じることもある。蝉たちは夏の太陽の光を音に変換しているのではないだろうか。
土の中に7年、出てきて7日と言われている蝉たち。暗闇から這い出て、7日間懸命に身を震わせて、交響曲を奏でて、その生涯を終える。
蝉のはかない一生に思いをはせながら、父の初盆で親族から聞いた話を反芻してみる。
いとこのSくんは父にかなり恩義を感じていた。若い頃のSくんはかなりやんちゃで、高校も退学になりかけたこともあった。父は、校長に直談判してなんとか首をつないだと聞いたことがある。
それ以外に、「あれは、自分のために、親戚集めてパーティーしてくれたんかな~」とSくんは回想しだした。そのパーティーは、駅近くの大きな中華料理店で行われたもので、私はあまり覚えていないものだったが、なんだが親族一同が集まってのパーティーだった。なんの脈絡もないパーティーだったので、あれはなんのためだったのだろう、とSくんは不思議に思ったらしい。父が主催したパーティーだったが、その目的は特になかったらしい。
その頃Sくんはかなり荒れていたので、それを励ますためだったかもと思い当たったらしい。そこでSくんは今までの自分の思いを切り替えて、あらたな人生をスタートさせることができたと吐露していた。
なにも語らないけど、たしかに父にはそういう優しさがあった。
父も、小さい頃、やんちゃで、小学校を何校も転校させられた経験がある。そんな父だったからこそ、Sくんが気になったのだろう。自分の分身のように感じていたのかもしれない。大きくなってからもSくんをよく飲みに連れて行ったらしい。
人の一生なんて、たかが知れている。たいして何かができるわけではない。ただ自分が気になること、してあげたいと思ったことは実行した方がいいのだろう。それは魂が微妙に震えるからだろう。
全身を震わせて、一生を終える蝉のように 私たちも、良心にしたがって、魂をわずかながらでも震わせて行動していけば、後の誰かの何かのステップにつながるのかもしれない。