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いま流行りの心理的安全性

おはようございます。
日曜日の朝寝坊気持ちが良いですね。
さて本日は「心理的安全性」について
最近は社内のエンゲージメント調査も行われるようになり、この評価結果を上にいる方々は経営層から指摘され、時にはポジション交代の人事異動にも反映されているように思います。

ここ最近社内外で「心理的安全性」というワードをよく目にする様になりました。あらためて検索してみると、「心理的安全性」とは

【組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のこと】

なるほど、ならば自分に問いかけよう
「いま自分は安心してミーティングなどで発言出来ているか?」

例えば私の所属している部署では、部長に対しての各種報告の場としてミーティングが週に2回定期開催されています。一つは営業数字の報告を行うミーティング、もう一つは部内において各担当に与えられた今期のミッションに関して報告を行うミーティング

昨年からのミーティングにおける自分や他の人と部長とのやりとりを振り返ってみると…

正直嫌な記憶しかないです。
自分の意図を理解していないと怒られたり、
そもそもの考え方自体が間違っている言われたり、
さらに部下から見て明らかに機嫌が良い時と悪い時が分かるんですよね。
ある時は「この分析だと、あなたは私にあえて考えさせるようにしている」と言われたりしました。そんな気はサラサラなく、私の能力不足なだけなのに…

その様なことが積み重なっていくとやはり人間自己防衛機能が発動して、
余計な事を言わない、言われた事だけをやる、
時間を掛けても否定されるならほどほどにやろう(怒られるのは織り込みずみ)のような考え方になるんですよね。

それと部内のほかの人が言っていて「なるほど」と思ったのが、
部内では上司の好き嫌いが露骨に出る1軍と2軍という区分けがあるということ(このワード、娘の中学校でもこんな話題が出ていましたね)。
人間なのでお気に入りの人がいるのは仕方ないが、ミーティングの場でお気に入りの若い人に「ちゃん」付けはやめてもらえないだろうか、それはあからさまだろ。

「心理的安全性」って言葉で言うのは簡単、けれど参加する人の安全性を確保するにはどうすればいいのだろう。やはり前述した通り人の振り見て我が振り直せか。

自分なら心理的安全性をどう作るか考えてみたい。

・落ち込む事は日々あるが、機嫌の悪さを極力出さない(人に当たらない)
・報告された内容に対して否定からは入らない。良かった点から言う。
・当社は発言する人が少なく、発言する人も限られることが多いので、自発的に意見を言ってもらうのではなく、こちらから当てることっでいろいろな人の意見を引き出す工夫が必要(活発な議論が行える企業文化を持たれている会社は必要ない)

まだまだ考え浅いけど、この先のために今の環境をじっくりと観察して、自分のためのことにつなげていければと考えています。嫌な環境もある意味学習の機会でもありますからね。

では良い日曜日をお過ごしください!


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