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一息飛びにはできないことへ継続的に取り組むということの価値

一時期菜食生活に挑戦していましたが、挫折したtakumiです。
タンパク質を一定量とることがむずかしく、それによって食欲が落ち着かず、結果的にナッツやフルーツをドカ食いしてしまっていました。
鶏胸肉や鶏卵は安価に手に入りやすい高タンパク食で、鉄板ではありますが、やはりダイエッターの強い味方ですね。おかげさまで食欲の暴走を防ぐことができています。
(菜食でもプロテインなどをうまく取り入れたら変わるのかな…
プロテインでタンパク質を摂取したとしても食欲が穏やかになる効果はあるのかな…。
サラダチキンやゆで卵のもさもさ食感が噛む回数を増やして満腹中枢をしげきしているのかしら…。
色々気になってきました。今度再度実験します。詳しい人教えてください。)

前置きだけでもっと語れてしまいそうなので、どこかでダイエット挑戦ログも文章にしたいなと思っていますが、本題です。

継続することの価値

以前にも似たような話題で文章を書かせていただきました
「なかなかできるようにならないことへ継続して取り組むことの価値」についてです。
僕自身比較的幼い頃からゲームや漫画、アニメなどエンタメに触れて育ちました。わかりやすいのでゲームを例に取り上げて対比としてまとめます。

ゲームにおいてもプレイイングが上達するためには時間投下が必要だったりしますが、一定レベルまで上達するにあたって過度なストレスなくスムーズに成長実感を得られるような体験が多いかと思います。
(時としてその投下時間をお金で買えてしまったりもします。)

ゲームの世界ではその体験上の難易度設計を「レベルデザイン」と呼んでいます。どんなゲームでもチュートリアルなども含めてどれだけ段階的に難易度≒ストレスをコントロールできるのか、考慮された設計がなされています。
そのため努力の投下量に対して、納得できる成長実感を得ることができます。
(わざわざファンタジーの世界で、現実に忠実になかなか成長を感じられないゲームはなかなか手に取ってもらえないので、気持ちよく感じられるようになっています)

ゲームを悪者だとしたいのではないです。
ただこの手の刺激に慣れ過ぎてしまうと、現実世界で努力することが難しくならないのかと、自らの体験を通して危機感を感じました。
身に覚えがあったのです。

僕自身は今ヨガに挑戦中なのですが、できるようになったと成長実感を感じられる瞬間がある日も、感じられない日もあります。感じられない日が多い気がします。
しかし一方で先生の魅力に引っ張られる中でなんとか継続していると、ある日突然できるようになったり、コツを掴むことができたりを経験しました。

なので、やっぱり上達のためには継続が大事だと考えます。
(継続のために教える側はレベルデザインも大事なのかもしれませんが。)

成長実感を感じられない時に、どれだけ嫌にならずに継続できるか。
できない期間もできるようになるために工夫を味わえたり、できるようになった瞬間を糧に頑張ったりができるためには、日頃から簡単に成長を実感できてしまうものに慣れすぎると、継続力・忍耐力が弱くなってしまうのではないかと感じました。
ストレス発散としての有用性などもあると思いますので、ゲームが悪だとは思いません。でも適量摂取を心がけなければ麻痺してしまう可能性を感じます。

そもそも努力することの価値

ここまで物事ができるようになるためには「継続」が大切であり、継続力を磨くにあたって、日頃から簡単に成長実感を得られてしまうものに触れすぎる危険性についてまとめてみました。

次にそもそも「努力すること」の価値という観点でもまとめてみたいと思います。昨今定着しつつある「推し文化」との対比でまとめてみます。
(僕自身も昔アイドルを追っかけた経験/エンタメ業界での就業経験があるので、自身の経験をベースに個人が感じたことです。)

「推し」にもさまざまな文脈があると思いますが、一旦対象を「人(二次元・三次元含む)」とした上で、話します。
「推し」を作る背景にある想いとして、抽象化すると「生い立ちや努力のプロセスへの共感」があるのかなと思っています。
でもこれにも危険性があると思っていて…。

他者の努力に自分の思いを乗せて「応援する気持ち」は自分のものですが
「他者の努力」は自分のものではありません。
しかし「応援」を通じて、「共感」を通じて、成長実感に似たものを感じられてしまうなと思っています。
実際僕自身も、推しアイドルが不遇な環境の中、自身の努力で地位を確立していくプロセスに感涙していた時代があります。本心から感動できたので、尊い体験ではありますが、それはぼくの努力ではないのです。
人の努力を応援するなという意味ではなく、それだけに依存してしまうと、自身ができるようになるためのプロセス=努力することを惜しむようになってきてしまうのではと感じました。

なにがいいたいかまとめ

努力is正義、だとは思っていません。
でも人生において、仕事も含めたどんなことも「できた方が楽しい」とは思うのです。そしてできるようになるためには、できないこと・苦しいことも経験することになります。そこを乗り越えるための力を蓄えるには、時にストレスから逃れる出口(今回はゲームや推しの存在をあげました)もあってよいものだとは思いますが、本質的には仕事のストレスは仕事で解決しないと根本解決にはつながらないと思います。

その乗り越える力をどのように養うかを考える上で、好きなことを通じて
できないことをできるようになるためのプロセスを自身の身体感覚を通じて味わうことの価値を感じたというお話でした。
自身の継続力・忍耐力を磨くために、まずは好きだと思えるもの(ヨガ)で努力してみます。

仕事を休職し今後について考えている中で「どのようなことに時間を割くのか」意識的に生活をしている中での個人の気づきをシェアさせていただきました。食事も趣味も適量バランスよく摂取するのが大切なのかもしれないですね。

不快になる方がいたら申し訳ございません。

takumi


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